江戸時代の庶民の思想について
江戸時代の庶民の思想について解説します
・江戸時代の庶民の思想の根底
→江戸時代の身分制度の下で、町人は社会的に軽く見られていたが、経済が発達するにつれて、
町人独自の文化が作られていった
・当時生み出された文化とそれに携わった人の代表に、
井原西鶴、近松門左衛門、西川如見などがいる
・井原西鶴-浮世草子(町人の社会の状況や人情を描いた物語のこと)を通して、
世俗世界の人々の様子に深く共感した
・近松門左衛門-世話浄瑠璃を作って、男女が義理と人情の葛藤に苦しむ様子を表現した
※義理-他人との関わりの時に、従って守るべき道理のこと
・西川如見-町人には町人としての生き方があることを自覚するべきだと考え、
町人の生き方を肯定した
→上のような流れを踏まえて、庶民の思想について考え、研究した代表的な人達に、
石田梅岩、安藤昌益、二宮尊徳などがいる
・石田梅岩-・町人の商業は、政治を助ける職業であり、大切だと考えた
・町人が守るべき道徳として、正直と倹約を推奨した
※正直-自分と他人の所有を明確にすること
例:借りたものは返し、貸したものは返してもらう、など
倹約-物惜しみではなく、人と物事を生かすために、財宝をむだにしないこと
→町人が正直と倹約を守ることは政治の一部を担うことだと考えた
・石田梅岩は、道徳に関しては、武士と町人との間に上下は無いと考えた
・石田梅岩は、朱子学をベースに神道や仏教を取り入れたものであり、
心学(石門心学)と呼ばれた
・「都鄙問答」(とひもんどう)を書いた
・安藤昌益-・人々全員が自ら畑を耕して(万人直耕)食べ、自分で布を織って
(直織)着る平等な世界が理想と考えた
=このような世界を、自然世と呼んだ
・畑や布織りを他人に頼っている人がいる社会はダメだと考えた
=このような世界を、法世と呼んだ
→法世の社会を自然世に戻し、平等な世界を作るべきだと考えた
・「自然真営道」を書いた
・二宮尊徳-・農業は、天道と人道から成り立っていると考えた
※天道-物事の自らの働きのこと(天道は稲を成長させるが、
同時に雑草も茂らせる)
人道-人が行う行為のこと(雑草を抜き取って、稲の成長を助ける)
・人々の欲望は天道であり、欲望を制し、倹約と勤労に
つとめることが人道だと考えた
→倹約と勤労の具体的な方法を分度と推譲と言う
※分度-自分の経済力に応じて生活すること
推譲-分度で生まれた余裕を将来のために備えたり、
貧乏で苦しむ人に譲ったりすること
・今の自分たちは、祖先がいたから、今の自分がいる。
だから、祖先に感謝しないといけないと考えた
=このような考え方を、報徳思想と言う
※分度と推譲は、人々が日々の生活で報徳を行うことであると考えた
ポイント
・井原西鶴が浮世草子、近松門左衛門が世話浄瑠璃、西川如見が町人の生き方の肯定をした
・石田梅岩が、正直と倹約を提唱した上で、心学を作り、都鄙問答を書いた
・安藤昌益が、万人直耕をなどを踏まえた上での自然世を推奨し、法世を否定し、
自然真営道を書いた
・二宮尊徳が、農業は天道と人道から成り立つことを前提として、
分度と推譲を提唱し、報徳思想を考えた
このあたりが今回の部分でポイントです