元禄文化の文学と儒学について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 19:01      
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元禄文化の文学と儒学について考えてみます

 

 

・元禄文化について

 

 ※元禄時代に、幕府の政治が安定して経済が成長してくると、武士や町人だけではなく、

  庶民でも様々な文化が出てきた

  =この時期の文化を、元禄文化という

 

 

 

 ・元禄文化の特徴

 

  ・人間と社会を現実主義や実証主義でとらえる

 

  ・町人の中から、現世を「浮き世」と見ることで現実を描こうとする文学が出てきた

 

  ・儒学や古典研究、自然科学の学問などが重視された

 

 

 

 

 

・元禄時代の文学について

 

 ※元禄時代の文学は、上方という地方の町人文芸が中心だった

  →代表的な人に、松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門などがいる

 

 

 

 ・松尾芭蕉について

 

  ・松尾芭蕉は伊賀の出身だった

 

  ・蕉風(正風)俳諧という、さびやかるみや静けさなどで表現される俳諧を作った

 

  ・代表的な作品に「奥の細道」という作品がある

 

 

 

 ・井原西鶴について

 

  ・井原西鶴は大坂の町人だった

 

  ・井原西鶴は、西山宗因という人から勉強して、談林俳諧という俳諧で注目され、

   浮世草子という小説を描いた

   

  ・代表的な作品に「好色一代男」などの好色物、「武道伝来記」などの武家物、

   「日本永代蔵」や「世間胸算用」などの町人物などがある

 

 

 

 ・近松門左衛門について

 

  ・近松門左衛門は、武士の出身だった

 

  ・近松門左衛門は、義理と人情で悩む人の様子を、人形浄瑠璃や歌舞伎の

   脚本によって描いた

 

  ・近松門左衛門の作品は、人形遣いの辰松八郎兵衛などが演じ、

   竹本義太夫などが語って、民衆に共感された

   ※竹本義太夫の語りは、義太夫節と呼ばれ、独立した音曲に成長した

 

  ・代表的な作品に「曽根崎心中」などの世話物、

   「国性(姓)爺合戦」などの時代物などがある

 

 

 

 ・当時の歌舞伎について

 

  ・歌舞伎が当時の民衆の演劇として成長していった

 

  ・江戸や上方には、芝居小屋が設置された

 

  ・歌舞伎では、以下のような有名な役者が出た

   →江戸で、いさましい演技(荒事)によって評判になった

    初代市川団十郎という人が出た

   →上方で、恋愛劇(和事)を得意とした坂田藤十郎という人が出た

   →上方で、女形の代表として芳沢あやめという人が出た

 

 

 

 

 

・当時の儒学について

 

 ・儒学は、幕藩体制の社会での人々の役割について解説したため、盛んになった

  ※中でも朱子学は、大義名分論(身分を重視する考え方)をベースにして、

   身分秩序や礼儀を重視した

   →そのため、朱子学が封建社会を維持する目的で、教学として幕府や藩で重視された

 

 

 

 ・朱子学は戦国時代に土佐で始まったとされている

  ※朱子学の一派として、谷時中という人に受け継がれた南学(海南学派)

   という学派があった

   →南学の系統から、山崎闇斎や野中兼山という人達が出てきた

    

  ※山崎闇斎は、垂加神道という神道を説いた

   →垂加神道とは・・今までの伊勢神道や唯一神道、吉川惟足という人の吉川神道などを

            土台にした神道のこと

   →垂加神道は、神の道と天皇の徳が一体だと考えた

    =その考え方が、崎門学という学問での尊王論の根拠になったと言われている

 

 

 

 ・中江藤樹や、その弟子の熊沢蕃山などは、明の王陽明という人が始めた陽明学を勉強した

  →陽明学は、知行合一という考え方の立場から現実を批判するなど、

   革新的な考え方だった

   =そのため、陽明学は幕府から批判された

 

  ※熊沢蕃山は「大学或問」という本などで、武士土着論という考え方を提唱して、

   幕府を批判した

 

 

 

 ・山鹿素行や伊藤仁斎などの人達が、古学派という学問を始めた

  ※古学派・・孔子や孟子の古典に戻ろうとする考え方のこと

 

  ※山鹿素行は、朱子学を批判して「聖教要録」を、日本を「中朝」と呼ぶ考え方から

   「中朝事実」などの本を書いた

 

  ※伊藤仁斎とその子どもの伊東東涯の親子は、京都の堀川という場所で

   私塾の古義堂という塾を開いた

 

 

 

 ・伊藤仁斎の古学を受け継いだ荻生徂徠という人が、経世論という考え方を提唱し、

  江戸に私塾の蘐園塾を開いた

  ※経世論・・社会を治める具体的な方法に対する考え方のこと

 

  ※荻生徂徠は、都市の拡大を抑えて、武士の土着が必要だという考え方を示した

   →そのため荻生徂徠は、柳沢吉保や8代将軍徳川吉宗などに用いられ、

    享保の改革の時に顧問の役割を果たした

 

  ※荻生徂徠の弟子だった太宰春台という人が経世論を発展させ、武士も商業をして、

   専売制度で利益を出すべきだと考えた

 

 

 

ポイント

・元禄文化の概要を押さえる

・元禄時代の文学を押さえる

・当時の儒学とそれぞれの思想を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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