儒学の受容と展開について
儒学について考えます
・儒学の受容(儒学は、日本にどのように取り入れられたのか)
・儒学は、7世紀頃に朝廷が遣隋使(のちに遣唐使)を中国に派遣したことで、
日本に入ってきた
→これにより、官人(現在で言う役人)によって政治が行われるようになったり、
律令が制定されたりした
・官人の育成には明教道が重要とされ、明教道以外には明法道や紀伝道などがあった
※明教道:「礼記」や「易経」などの儒学の経典を学ぶ学問のこと
明法道:律令(法律や政治経済についての規定のこと)や
格式(礼儀や作法のこと)を学ぶ学問のこと
紀伝道:「史記」や「文選」を学ぶ学問のこと
→儒学は、政治に関係する規定の手本として理解され、受け入れられていった
・朱子学の思想、考え方について
・朱子学は儒学の一部で、日本では特に江戸時代に朱子学が盛んになった
・当時は、朱子学が考える理(物事の根本の正しい考え)は天という場所にあると
考えられており、天にある理が理想だから求めていこうと考えていた
・当時の朱子学に関連した人
・藤原惺窩:元々は禅宗の僧だったが、一般の人に戻り、儒学者となった。
江戸時代の儒学の生みの親
・林羅山:禅宗の僧となることを拒んで、朱子学者として、幕府に仕えた
・山崎闇斎:塾を開いて、朱子学を説明し、教えていった
・林羅山や山崎闇斎の朱子学の考え方
・政治を行う人や君子は、自分が控え目な行動をすること、
自分の行動を慎むこと(=敬)によって、欲望や情念(抑えがたい感情)を捨てて、
人間に元々ある本来の心を維持するべきだと考えた
=これを存心持敬と言う
・本来の心を維持することで、天と通い合うから、
天と通い合い、天と自分の本来の心を合一しなければいけないと考えた
=この考え方を天人合一と言う
※天人合一とは・・
→天より下の世界(=世俗世界、人々が生活している世界)にある道理(=天理)を
理解して、実際に自分自身で理を表現すること
※天理は、四季や時間の経過など、自然現象などの道理だけでなく、
上下定分の理も含まれると考えた
※上下定分の理とは・・
→王様と家来のような上下の関係や身分秩序などは、
道理が表現されているという考え方のこと
・政治を行う人(為政者)は、全ての道理を明らかにして、
物事を全て知り尽くしていないといけないと考えた
=このような考え方を格物致知と言う
※儒学や朱子学を勉強した人の中で活躍した人達について
・貝原益軒-薬草を中心に植物の観察と分類を行って、
「大和本草」という本を書いた
・新井白石-朱子学の立場からキリスト教の教説に対する批判を書いた
「西洋紀聞」という本を書いた
・雨森芳洲-「交鱗提醒」というものを書いて、朝鮮との外交を
どうするべきかを考えた
ポイント
・儒学は、遣隋使(後の遣唐使)によって入ってきた
・明教道が重要とされ、明教道以外には明法道や紀伝道などがあった
・儒学は、政治に関係する規定の手本として理解され、受け入れられていった
・当時の朱子学は天にある理を理想とした
・当時の朱子学に関連する人に藤原惺窩、林羅山、山崎闇斎などがいる
・羅山や闇斎は、存心持敬を維持した上での天人合一を重視した
・天理の中には、上下定分の理も含まれていると考えた
・格物致知が大切だとした
・その他に、貝原益軒、新井白石、雨森芳洲がいる