元禄文化の時の様々な学問と美術について
元禄文化の時の様々な学問と美術について考えてみます
・元禄文化の時の様々な学問について
・新井白石という人が、「読史余論」という本を書き、自分なりの歴史の見方を描いた
・自然科学の分野では、本草学、農学、医学などの実用的な学問が発達した
→その中でも、貝原益軒という人の「大和本草」、
宮崎安貞という人の「農業全書」などの本が有名になった
・測量や商売の取引などが行われるようになった時に、和算という数学が発達した
→その中でも、関孝和という人は和算に関して様々な研究をした
→さらに、吉田光由という人が出てきて、「塵劫記」という本を書いたため、
民間でも和算が広まった
・天文と暦の学問の分野で、渋川春海(安井算哲)という人が、貞享暦という暦を作った
→その功績によって、渋川春海は幕府の天文方という役職についた
※貞享暦・・暦の誤差を修正した、日本独自の暦のこと
・国文学の分野で、戸田茂睡という人が、和歌で使えない言葉が決められている無意味さと、
俗語を使うことの正しさを説明した
・契沖という人が「万葉集」を研究して、「万葉代匠記」という本を書いた
・北村季吟という人が「源氏物語」や「枕草子」などを研究して、
作者の意図を知る努力をした
→戸田茂睡、契沖、北村季吟などの古典研究は、後に国学として発展していった
・元禄美術について
※元禄時代の美術は、上方の有力な町人を中心に、寛永期の文化を受け継ぎ、
より良い作品が出てきた
・絵画の分野では、土佐派という画派から土佐光起という人が出てきた
→土佐派から分かれた住吉如慶、住吉具慶の親子は、幕府に呼ばれて活躍した
=住吉親子の画派を、住吉派という
・京都では、尾形光琳という人が俵屋宗達の方法を取り入れて、
琳派という画派を作った
・江戸では、菱川師宣という人が、浮世絵の版画を始めた
・陶器では、京都の野々村仁清という人が、上絵付法という方法をベースに
色絵というものを完成させた
→そのため、野々村仁清は京焼というものを誕生させた
・尾形光琳の弟の尾形乾山という人が、高雅な作品を残したと言われている
・染物では、宮崎友禅という人が友禅染という染物を生みだした
ポイント
・元禄文化の時の様々な学問を押さえる
・元禄美術について押さえる
このあたりが今回のポイントです