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	<title>アラエス &#187; 慶長遣欧使節</title>
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		<title>江戸時代初期の外国との関係について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1203</link>
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		<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 07:04:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[江戸時代前期]]></category>
		<category><![CDATA[ドン＝ロドリゴ]]></category>
		<category><![CDATA[ヤン＝ヨーステン]]></category>
		<category><![CDATA[リーフデ号]]></category>
		<category><![CDATA[三浦按針]]></category>
		<category><![CDATA[山田長政]]></category>
		<category><![CDATA[慶長遣欧使節]]></category>
		<category><![CDATA[朱印船貿易]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>
		<category><![CDATA[糸割符制度]]></category>
		<category><![CDATA[紅毛人]]></category>

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		<description><![CDATA[江戸時代初期の外国との関係について考えてみます &#160; &#160; ・海外の日本への動きについて &#160; &#160; 　・１６００年に、オランダ船リーフデ号という船が豊後という場所にたどり着いた &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1203">江戸時代初期の外国との関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>江戸時代初期の外国との関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・海外の日本への動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１６００年に、オランダ船リーフデ号という船が豊後という場所にたどり着いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※なぜ、オランダが日本に来ようとしたのか</p>
<p>　　　・当時のヨーロッパでは、スペインから独立を達成したオランダと</p>
<p>　　　　毛織物の工業が発達したイギリスが活躍して出てきた</p>
<p>　　　　→そこで、オランダとイギリスの２つの国が、東インド会社という会社を作った</p>
<p>　　　　　＝東インド会社を作ることで、アジアに進出することを目指していたため、</p>
<p>　　　　　　オランダが日本に来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・徳川家康は、リーフデ号の航海士だったヤン＝ヨーステン（耶揚子）と、</p>
<p>　　水先案内人（水路を安全に案内する人）だったウィリアム＝アダムズ（三浦按針）という</p>
<p>　　２人の人を江戸に呼んで、外交や貿易の顧問にした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・その後、１６０９年にオランダが、１６１３年にイギリスが徳川幕府から</p>
<p>　　貿易を行う許可を得た</p>
<p>　　→そこで、日本は肥前の平戸という場所に商館（商人が営業をする場所）を作った</p>
<p>　　　※この時、オランダ人とイギリス人は、紅毛人と呼ばれていた</p>
<p>　　　※宗教がカトリック（昔の宗教）からプロテスタント（新しい宗教）になっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・徳川家康は、朝鮮や琉球王国などを仲介して、明と国交を回復することを交渉した</p>
<p>　　＝しかし、明に拒否されて、交渉は失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・徳川家康は、スペインとの貿易を積極的に行おうとした</p>
<p>　　→そこで、徳川家康はスペインにあるメキシコと貿易することを求めて、</p>
<p>　　　メキシコに京都の商人だった田中勝介という人を派遣した</p>
<p>　</p>
<p>　　　※スペインとの交流は、サン＝フェリペ号事件以来無かったが、</p>
<p>　　　　ドン＝ロドリゴという人が上総という場所に到着して、</p>
<p>　　　　次の年に徳川家康がドン＝ロドリゴに船を渡して、メキシコに返したことで復活した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※仙台の藩主だった伊達政宗という人が、１６１３年に自分の家臣だった</p>
<p>　　　　支倉常長という人をスペインに派遣して、メキシコと貿易を行おうとしたが、</p>
<p>　　　　貿易を行う交渉は失敗に終わった</p>
<p>　　　　＝この時に伊達政宗が派遣した使節を、慶長遣欧使節という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ポルトガルの商人は、マカオを拠点にして中国産の生糸を長崎に持って行くことで、</p>
<p>　　多額のお金を得ていた</p>
<p>　　→そこで幕府は、糸割符制度という制度を作ることで、</p>
<p>　　　ポルトガルの商人が利益を独占することを阻止した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※糸割符制度とは・・</p>
<p>　　　・京都、堺、長崎の一部の商人に糸割符仲間というグループを作らせて、</p>
<p>　　　　糸割符仲間が毎年春に輸入する生糸の価格を決めて、</p>
<p>　　　　決めた価格で輸入する生糸をまとめて買い、買った生糸を糸割符仲間のメンバーに</p>
<p>　　　　分配する制度のこと</p>
<p>　　　　→糸割符制度に、江戸と大阪の商人が加えられ、</p>
<p>　　　　　京都、堺、長崎、江戸、大阪は五カ所商人と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本人の海外への動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・日本の商人の多くは、ルソン、アンナン、トンキン、カンボジア、タイなどに</p>
<p>　　船を使って渡っていた</p>
<p>　　→幕府は、海外に渡航する商人に、海外での渡航を許可するための</p>
<p>　　　朱印状というものを渡した</p>
<p>　　　＝朱印状を持っている船を朱印船と言い、朱印船が行う貿易を朱印船貿易という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朱印船貿易について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朱印船貿易が盛んになった時に、海外に移住してしまう日本人も出てきた</p>
<p>　　　→そのため、海外の南方の各地に日本町という町が作られることもあった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　　※海外に行った日本人の中で、山田長政という人は、</p>
<p>　　　　　アユタヤ朝というところの王室に重宝された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朱印船を出した大名で代表的な人に、島津家久、有馬晴信などという人達がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朱印船に出した商人で代表的な人に、以下のような人達がいる</p>
<p>　　　→・長崎－末次平蔵　・摂津－末吉孫左衛門　・京都－角倉了以や茶屋四郎次郎　</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・朱印船貿易の時に、以下のようなものを輸入した</p>
<p>　　　→・アジア産・・生糸、砂糖、鮫皮など</p>
<p>　　　　・ヨーロッパ産・・ラシャなどの織物</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→一方で、日本は銀、銅、鉄などを輸出した</p>
<p>　　　　※当時の日本の銀の輸出額は、世界の銀の産出額の３分の１にまでなった</p>
<p>　　　　　と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝以上のような動きがある中での幕府の初期の外交は、キリスト教は禁止するものの、</p>
<p>　　落ち着いた貿易は積極的に行っていく、という方針で動いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・海外の日本への動きについて押さえる</p>
<p>・日本の海外への動きと朱印船貿易を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1203">江戸時代初期の外国との関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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