江戸時代初期の外国との関係について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 16:04      
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江戸時代初期の外国との関係について考えてみます

 

 

・海外の日本への動きについて

 

 

 ・1600年に、オランダ船リーフデ号という船が豊後という場所にたどり着いた

 

  ※なぜ、オランダが日本に来ようとしたのか

   ・当時のヨーロッパでは、スペインから独立を達成したオランダと

    毛織物の工業が発達したイギリスが活躍して出てきた

    →そこで、オランダとイギリスの2つの国が、東インド会社という会社を作った

     =東インド会社を作ることで、アジアに進出することを目指していたため、

      オランダが日本に来た

 

  

 ・徳川家康は、リーフデ号の航海士だったヤン=ヨーステン(耶揚子)と、

  水先案内人(水路を安全に案内する人)だったウィリアム=アダムズ(三浦按針)という

  2人の人を江戸に呼んで、外交や貿易の顧問にした

 

 

 ・その後、1609年にオランダが、1613年にイギリスが徳川幕府から

  貿易を行う許可を得た

  →そこで、日本は肥前の平戸という場所に商館(商人が営業をする場所)を作った

   ※この時、オランダ人とイギリス人は、紅毛人と呼ばれていた

   ※宗教がカトリック(昔の宗教)からプロテスタント(新しい宗教)になっていた

 

 

 ・徳川家康は、朝鮮や琉球王国などを仲介して、明と国交を回復することを交渉した

  =しかし、明に拒否されて、交渉は失敗に終わった

 

 

 ・徳川家康は、スペインとの貿易を積極的に行おうとした

  →そこで、徳川家康はスペインにあるメキシコと貿易することを求めて、

   メキシコに京都の商人だった田中勝介という人を派遣した

 

   ※スペインとの交流は、サン=フェリペ号事件以来無かったが、

    ドン=ロドリゴという人が上総という場所に到着して、

    次の年に徳川家康がドン=ロドリゴに船を渡して、メキシコに返したことで復活した

 

   ※仙台の藩主だった伊達政宗という人が、1613年に自分の家臣だった

    支倉常長という人をスペインに派遣して、メキシコと貿易を行おうとしたが、

    貿易を行う交渉は失敗に終わった

    =この時に伊達政宗が派遣した使節を、慶長遣欧使節という

 

 

 ・ポルトガルの商人は、マカオを拠点にして中国産の生糸を長崎に持って行くことで、

  多額のお金を得ていた

  →そこで幕府は、糸割符制度という制度を作ることで、

   ポルトガルの商人が利益を独占することを阻止した

 

  ※糸割符制度とは・・

   ・京都、堺、長崎の一部の商人に糸割符仲間というグループを作らせて、

    糸割符仲間が毎年春に輸入する生糸の価格を決めて、

    決めた価格で輸入する生糸をまとめて買い、買った生糸を糸割符仲間のメンバーに

    分配する制度のこと

    →糸割符制度に、江戸と大阪の商人が加えられ、

     京都、堺、長崎、江戸、大阪は五カ所商人と呼ばれた

 

 

 

 

 

・日本人の海外への動きについて

 

 

 ・日本の商人の多くは、ルソン、アンナン、トンキン、カンボジア、タイなどに

  船を使って渡っていた

  →幕府は、海外に渡航する商人に、海外での渡航を許可するための

   朱印状というものを渡した

   =朱印状を持っている船を朱印船と言い、朱印船が行う貿易を朱印船貿易という

 

 

 

 ・朱印船貿易について

 

  ・朱印船貿易が盛んになった時に、海外に移住してしまう日本人も出てきた

   →そのため、海外の南方の各地に日本町という町が作られることもあった

  

    ※海外に行った日本人の中で、山田長政という人は、

     アユタヤ朝というところの王室に重宝された

 

  ・朱印船を出した大名で代表的な人に、島津家久、有馬晴信などという人達がいる

 

  ・朱印船に出した商人で代表的な人に、以下のような人達がいる

   →・長崎-末次平蔵 ・摂津-末吉孫左衛門 ・京都-角倉了以や茶屋四郎次郎 

   

  ・朱印船貿易の時に、以下のようなものを輸入した

   →・アジア産・・生糸、砂糖、鮫皮など

    ・ヨーロッパ産・・ラシャなどの織物

 

   →一方で、日本は銀、銅、鉄などを輸出した

    ※当時の日本の銀の輸出額は、世界の銀の産出額の3分の1にまでなった

     と言われている

 

 

 =以上のような動きがある中での幕府の初期の外交は、キリスト教は禁止するものの、

  落ち着いた貿易は積極的に行っていく、という方針で動いていた

 

 

ポイント

・海外の日本への動きについて押さえる

・日本の海外への動きと朱印船貿易を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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