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	<title>アラエス &#187; 欧化主義</title>
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	<item>
		<title>キリスト教と国民の道徳について　－平民主義・国粋主義・教育勅語・キリスト教の導入・内村鑑三－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1636</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1636#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 20:16:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想後期　－近現代－]]></category>
		<category><![CDATA[三宅雪嶺]]></category>
		<category><![CDATA[内村鑑三]]></category>
		<category><![CDATA[岡倉天心]]></category>
		<category><![CDATA[徳富蘇峰]]></category>
		<category><![CDATA[教育勅語]]></category>
		<category><![CDATA[新渡戸稲造]]></category>
		<category><![CDATA[明治時代]]></category>
		<category><![CDATA[欧化主義]]></category>
		<category><![CDATA[西村茂樹]]></category>
		<category><![CDATA[陸羯南]]></category>

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		<description><![CDATA[明治時代の日本におけるキリスト教と人々の道徳について考えます &#160; &#160; ・当時の背景 　・極端な欧化主義（欧米のように変わっていこうという考え方のこと）の体制を取っていた 　　→欧化主義をスムーズに行う [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1636">キリスト教と国民の道徳について　－平民主義・国粋主義・教育勅語・キリスト教の導入・内村鑑三－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治時代の日本におけるキリスト教と人々の道徳について考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の背景</p>
<p>　・極端な欧化主義（欧米のように変わっていこうという考え方のこと）の体制を取っていた</p>
<p>　　→欧化主義をスムーズに行うという狙いも含め、官僚が国の主導権を握っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような風潮に対して、抵抗した人々が現れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・三宅雪嶺や陸羯南・・国粋主義を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※国粋主義・・日本に昔からある伝統を大切にし、欧化主義を批判する考え方</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・徳富蘇峰・・平民主義を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※平民主義・・官僚による上からの西洋化ではなく、</p>
<p>　　　　　　　　平民による下からの西洋化が大切だという考え方</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→この２つの考え方は後に論争となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※また、当時、岡倉天心という人が、「西洋の根本は力だが、</p>
<p>　　東洋の原理は美と精神である」と考えた</p>
<p>　　→そのため、岡倉天心は、日本美術の復興と紹介に力を入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国民道徳について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国民道徳について考えた人の中で有名な人に、西村茂樹という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西村茂樹・・明六社の一員で、「日本道徳論」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　　→その本の中で、国家の基本は制度や法律よりも道徳だと</p>
<p>　　　　　　　　　考えたことを書いた</p>
<p>　</p>
<p>　　→西村茂樹は、儒学を基本とした上で、西洋哲学を取り入れたものを</p>
<p>　　　国民道徳だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※国民道徳とは・・日本国民特有の道徳で、日本国民として従ったり守ったりするべき</p>
<p>　　　　　　　　　　だと考えられた道徳のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような考え方も影響し、日本では、「国家の基本を道徳に置こう」</p>
<p>　　という雰囲気が広がっていった</p>
<p>　　※その雰囲気の中、１８９０年に教育勅語が出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・教育勅語について</p>
<p>　→忠と孝を中心とする国民道徳を天皇の名前で定めていて、</p>
<p>　　道徳と教育において、国家の指導原理だった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・キリスト教の移入について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開国から１９年後の１８７３年（明治６年）にキリスト教禁止の高札が撤廃された</p>
<p>　　→そのため、外国の宣教師がキリスト教の活発な布教をはじめとして、</p>
<p>　　　教育や社会福祉活動、廃娼運動などを行った</p>
<p>　　※高札・・江戸時代に法律などを一般の人達にに告示するために</p>
<p>　　　　　　　広場などに掲げた板の札のこと</p>
<p>　　※廃娼運動・・公娼（世間で認められた売春婦のこと）を</p>
<p>　　　　　　　　　廃止することを目的とした運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような影響を受けて、内村鑑三や新島襄をはじめとする多くの若い知識人が</p>
<p>　　　プロテスタンティズムに魅了された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※新島襄は、同志社英学校を作り、キリスト教的精神主義にもとづく教育を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・内村鑑三について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・内村鑑三は、内面的独立と平等を提唱した</p>
<p>　　→キリストを信じる人は、自分の心の面において、道徳に忠実で、</p>
<p>　　　気高くなければいけないと考えた</p>
<p>　・無教会主義（教会や儀礼を排除して、直接「聖書」の言葉に基づく信仰を</p>
<p>　　するべきだという考え方）を提唱した</p>
<p>　・キリスト教は、西洋の文明と進歩の根底だと考えた</p>
<p>　・「二つのＪ」（Japan「日本」とJesus「イエス」）は互いに支え合っているから、</p>
<p>　　切り離せないものだと考えた</p>
<p>　　※内村の墓に「私は日本のために/日本は世界のために/世界はキリストのために/そして</p>
<p>　　　全ては神のために」と書いてある</p>
<p>　・内村鑑三は、上のような考え方から教育勅語の考え方に反対していたため、</p>
<p>　　教育勅語に記されていた、「明治天皇の署名を神として扱うこと」という内容を</p>
<p>　　拒否して、礼拝をしなかった</p>
<p>　　＝この出来事を不敬事件と言う</p>
<p>　・日露戦争の時に、日本の世論は主戦論だった中、内村鑑三は非戦論を提唱した</p>
<p>　　→そこで、内村鑑三は「武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教」だと考えた</p>
<p>　・「余は如何にして基督信徒となりし乎」「代表的日本人」などを書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・内村鑑三に関連して考えた人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・井上哲次郎－・国家主義の立場に立って、「教育と宗教の衝突」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　　・キリスト教は忠君愛国（王に真心をこめて、国を愛すること）に</p>
<p>　　　　　　　　　反するものであると考えて否定した</p>
<p>　</p>
<p>　・植村正久など－・君主（その場所での最高位の人）よりすごい存在である神様の存在を</p>
<p>　　　　　　　　　　認めることで国家が人類の進歩に役に立つことがわかると考えた</p>
<p>　</p>
<p>　※この２つの考え方は対立し、論争となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新渡戸稲造－・「武士道」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　　・キリスト教が日本で発展するためには、</p>
<p>　　　　　　　　　道徳の根本である武士道が思い起こされなければならないと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日本は当時、極端な欧化主義を取っていた</p>
<p>・三宅雪嶺や陸羯南は国粋主義を、徳富蘇峰は平民主義を提唱した</p>
<p>・西村茂樹が国民道徳について考えた</p>
<p>・明治６年にキリスト教禁止の高札の撤廃が起き、それをきっかけに様々な運動が起こった</p>
<p>・内村鑑三は、内面的独立、平等、無教会主義などを提唱した</p>
<p>・内村鑑三は、「２つのＪ」や非戦論を提唱した</p>
<p>・内村鑑三が、不敬事件に関連した</p>
<p>・井上哲次郎は国家主義の立場に立ち、キリスト教を否定した</p>
<p>・植村正久などが、神の存在を認めることで、国家が人類の進歩に役に立つと考えた</p>
<p>・新渡戸稲造は、キリスト教が日本で発達するためには、武士道が重要だと考えた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1636">キリスト教と国民の道徳について　－平民主義・国粋主義・教育勅語・キリスト教の導入・内村鑑三－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>明治時代の条約改正について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1264</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1264#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 27 Oct 2013 23:43:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[ノルマントン号事件]]></category>
		<category><![CDATA[井上馨]]></category>
		<category><![CDATA[児島惟謙]]></category>
		<category><![CDATA[大津事件]]></category>
		<category><![CDATA[大隈重信]]></category>
		<category><![CDATA[日英通商航海条約]]></category>
		<category><![CDATA[欧化主義]]></category>
		<category><![CDATA[関税自主権]]></category>
		<category><![CDATA[領事裁判権]]></category>
		<category><![CDATA[鹿鳴館外交]]></category>

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		<description><![CDATA[条約改正について考えてみます &#160; &#160; ・条約改正について &#160; &#160; 　・江戸幕府が欧米の国々と結んだ不平等条約の改正 　　（特に、領事裁判権（治外法権）の撤廃と関税自主権の回復）は、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1264">明治時代の条約改正について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>条約改正について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・条約改正について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・江戸幕府が欧米の国々と結んだ不平等条約の改正</p>
<p>　　（特に、領事裁判権（治外法権）の撤廃と関税自主権の回復）は、</p>
<p>　　国家を独立させて、富国強兵を目指す日本にとって大きな課題だとして重要視された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・岩倉具視と寺島宗則の交渉の失敗の後に、井上馨外務卿（後の外務大臣）は</p>
<p>　　交渉に向かうことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・井上馨は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・１８８２年に、東京に外国の代表を集めて、予備会議という会議を開いた</p>
<p>　　　・その後、１８８６年に正式な会議に移った</p>
<p>　　　　＝その結果１８８７年に、内地雑居（日本国内を外国人に開放すること）を</p>
<p>　　　　　認める代わりに、領事裁判権を原則撤廃にするという改正案が、</p>
<p>　　　　　欧米の国々によって一応了承された</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※しかし、領事裁判権の撤廃については、欧米と同じような法典を使うこと、</p>
<p>　　　　外国人が被告（訴えられる側）の裁判の時は、半分以上は外国人判事を</p>
<p>　　　　採用しなければいけないこと、という条件がついた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府の内部では、条約改正交渉に反対する意見が増えた</p>
<p>　　→そのため、井上馨は条約改正の交渉を中止して、外務卿を辞任した</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※なぜ、条約改正に反対する意見が増えてきたのか</p>
<p>　　　　・領事裁判権の撤廃の条件が、日本の国家の主権を侵害している</p>
<p>　　　　　という批判が出てきたから</p>
<p>　　　　・井上馨が交渉を成功させるために、極端な欧化主義を取ったから</p>
<p>　　　　　→欧化主義の考え方によって、井上馨は東京日比谷に</p>
<p>　　　　　　鹿鳴館という外国人接待の施設を作った</p>
<p>　　　　　　＝このような井上馨の外交を、鹿鳴館外交という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ただし、ノルマントン号事件という事件で、</p>
<p>　　　　世論が不平等条約について反感を持った、ということもあった</p>
<p>　　　　・ノルマントン号事件とは・・</p>
<p>　　　　　・１８８６年に、横浜から神戸に向かうイギリスの貨物船が暴風雨に当たって</p>
<p>　　　　　　沈没するという出来事が起きた</p>
<p>　　　　　・その時に、イギリス人が日本の船乗りを見殺しにしたという出来事が起きた</p>
<p>　　　　　・しかし、イギリス領事が行った審判で、イギリス人の船長は悪くない</p>
<p>　　　　　　という判断を出すという事件が起きた</p>
<p>　　　　　　＝この事件を、ノルマントン号事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・井上馨の後は、大隈重信外務卿が後を受け継いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→大隈重信は、条約改正に好意的な国から個別に交渉していくことを決めた</p>
<p>　　→その結果、アメリカ、ドイツ、ロシアとの間で条約の改正を達成した</p>
<p>　</p>
<p>　　　※しかし、後に条約改正以外の約束として、大審院に外国人判事を使う事を</p>
<p>　　　　認めていたことが発覚した</p>
<p>　　　　→そのため、政府の内部からも外部からも反対論が出てきた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※さらに、１８８９年対外硬派連合に入っていた玄洋社という団体の一人によって、</p>
<p>　　　　大隈重信が傷つけられるという事件が起きた</p>
<p>　　　　＝この事件によって、改正の交渉はまた中断した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、ロシアがシベリア鉄道という鉄道を作って東アジアに出てくる計画を立てた</p>
<p>　　→この計画を知ったイギリスは、ロシアを警戒したため、日本に対して好意的になり、</p>
<p>　　　お互いに対等を原則とする条約の改正に応じることを考えた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→そこで、青木周蔵外務卿という人改正交渉を始めたが、</p>
<p>　　　１８９１年の大津事件という事件で辞任してしまった</p>
<p>　　→さらに、その後を継いだ榎本武揚という人も本格的な交渉をすることはなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※大津事件とは</p>
<p>　　　　・日本に訪問している最中のロシア皇太子が、琵琶湖遊覧の帰りに、</p>
<p>　　　　　滋賀県の大津市で警察の巡査だった津田三蔵という人によって</p>
<p>　　　　　切りつけられてケガをした事件のこと</p>
<p>　　　　　→この事件について、当時の政府だった松方内閣は、</p>
<p>　　　　　　ロシアとの関係が悪くなることを怖がって、皇太子を切りつけた犯人を</p>
<p>　　　　　　死刑にするように裁判所に圧力をかけた</p>
<p>　　　　　→しかし、大審院（最高裁判所）の長だった児島惟謙という人は、圧力を気にしないで</p>
<p>　　　　　　法律を適用させて無期徒刑にすることで、児島惟謙は司法権の独立を守った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のように、交渉が上手くいかない状況で、第２次伊藤博文内閣の外務卿だった</p>
<p>　　陸奥宗光という人が出てきた</p>
<p>　　→陸奥宗光は、自由党に支持されたため、国内の改正反対を抑えて、１８９４年に交渉した</p>
<p>　　　＝その結果、日英通商航海条約という対等な条件での条約を調印することに成功した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日英通商航海条約の内容</p>
<p>　　　　・領事裁判権の撤廃</p>
<p>　　　　・関税率の引き上げ</p>
<p>　　　　・お互いに対等な状況で最恵国待遇を認める</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、欧米の国々とも改正条約が調印されて、１８９９年に同時に適用された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１１年に小村寿太郎外務卿が、関税自主権の回復を達成した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このようにして、開国してから半世紀で、日本は初めて対等の地位を得ることが出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・条約改正までの流れとその内容を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1264">明治時代の条約改正について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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