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	<title>アラエス &#187; 藤原不比等</title>
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		<title>大宝律令とその制度について　－政治スタイルと官吏－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1114</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1114#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 14:25:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[七道]]></category>
		<category><![CDATA[五刑]]></category>
		<category><![CDATA[刑部親王]]></category>
		<category><![CDATA[国・郡・里]]></category>
		<category><![CDATA[大宝律令]]></category>
		<category><![CDATA[摂津職]]></category>
		<category><![CDATA[畿内]]></category>
		<category><![CDATA[蔭位の制]]></category>
		<category><![CDATA[藤原不比等]]></category>
		<category><![CDATA[養老律令]]></category>

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		<description><![CDATA[大宝律令と民衆について考えてみます &#160; &#160; ・大宝律令について &#160; 　・大宝律令とは 　　→・７０１年（大宝元年）に刑部親王と藤原不比等という人達によって、 　　　　作られた律令のこと 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1114">大宝律令とその制度について　－政治スタイルと官吏－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大宝律令と民衆について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大宝律令について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大宝律令とは</p>
<p>　　→・７０１年（大宝元年）に刑部親王と藤原不比等という人達によって、</p>
<p>　　　　作られた律令のこと</p>
<p>　　　・律は、刑法のことを指す</p>
<p>　　　・令は、役人の勤務の規定や人々の税金の規定などのことを指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→大宝律令が完成した時に、律令制度を使った政治の仕組みもほぼ完成した</p>
<p>　　　※７１８年に藤原不比等などが養老律令というものを作ったが、</p>
<p>　　　　大宝律令と大きくは変わらなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大宝律令の時の政治制度とスタイルについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・中央行政組織</p>
<p>　　　→・神祇官と太政官という２つの官があった</p>
<p>　　　　　※・神祇官・・神々の祭りを仕切る</p>
<p>　　　　　　・太政官・・行政全般を仕切る</p>
<p>　　　　　　　　　　　　→太政官の下に、八省の省があり、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　それぞれの省が政治や事務を行った</p>
<p>　　　　・行政の運営は、力のある氏から任命された、太政官の公卿が</p>
<p>　　　　　話し合うことで行われた</p>
<p>　　　　　※公卿・・公と卿のことで、太政大臣、大納言、参議などを指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・地方組織</p>
<p>　　　→・全国が、畿内と七道に区分されるようになった　</p>
<p>　　　　　※・畿内は、５つ（山城、大和、河内、和泉、摂津）に分けられた</p>
<p>　　　　　　・七道は、東北道、東海道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道を指す</p>
<p>　　　　・国、郡、里（里は後で郷になる）という行政区画が設置された</p>
<p>　　　　　※・国について→・国司という、中央から派遣された地方の官僚が置かれた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　・国司は、国府という役所（後に国衙と呼ばれるようになる）で</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　国の中を治めようとした</p>
<p>　　　　　　・郡について→・郡司という、国司の下で郡を治める地方の官僚が置かれた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　・郡司は、昔からの地方豪族が任命された</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　・郡司は、郡家という郡の役所で、郡の中を治めようとした</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　・その他の地域</p>
<p>　　　→・京に、左京職と右京職という、京都の政治などを行う役所を置いた</p>
<p>　　　　・難波に、摂津職を置いた</p>
<p>　　　　・九州北部に太宰府を置いた</p>
<p>　　　　　　※大宰府は西海道をまとめる役割があり、九州北部は外交や軍事のために</p>
<p>　　　　　　　重要な場所として重視された</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　→地方組織やその他の地域の役所には、多くの官吏（役人）が勤務していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・官吏について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・官吏には、官位相当制が採用された</p>
<p>　　　　※官位相当制・・官吏に位階を与えて、位階に合わせて官職を任命する制度のこと</p>
<p>　　　　　→位階や官職に合わせて、封戸、田地、禄と言われる給与が与えられたり、</p>
<p>　　　　　　調、庸、雑徭などの負担が免除されたりした</p>
<p>　　　　　　　※・封戸・・その戸からの税収が封主に与えられるという、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　位封や職封などの給与こと</p>
<p>　　　　　　　　・田地・・位田や職田などの田んぼという給与のこと</p>
<p>　　　　　　　　・禄・・年に２回現物給付で与えられる季禄などの給与のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・位が五位という位以上の貴族は手厚い保護を受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・蔭位の制が採用された</p>
<p>　　　→蔭位の制・・五位以上の子、三位以上の孫は、父（祖父）の位階に応じた</p>
<p>　　　　　　　　　　位階を与えられる制度のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　※蔭位の制には、貴族が自分達の身分を維持し続けるという目的があった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貴族や役人は、刑罰に関しては重罪でなければ実刑にはならなかった</p>
<p>　　　→刑罰も、免職や代償で刑罰自体が免除される、という権利があった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・司法制度について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・刑罰には五刑（笞、杖、徒、流、死）がある</p>
<p>　　　→地方では、郡司に笞罪までの裁判の権利があった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・国家、天皇、親や伯父伯母などに反発することは罪であり、特に重い罪だとされた</p>
<p>　　　→この罪を八虐と言い、位の高い人でも免除されなかったり、</p>
<p>　　　　刑が減ったりしないくらい重い罪だとされた</p>
<p>　　　　※この法律を作った目的には、国家や社会の秩序を守るという狙いがある</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・大宝律令の概要と、大宝律令の時の政治スタイルを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1114">大宝律令とその制度について　－政治スタイルと官吏－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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