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	<title>アラエス &#187; 西安事件</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>日中戦争について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1307</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1307#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:14:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[傀儡政権]]></category>
		<category><![CDATA[南京事件]]></category>
		<category><![CDATA[抗日民族統一戦線]]></category>
		<category><![CDATA[日中戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東亜新秩序]]></category>
		<category><![CDATA[盧溝橋事件]]></category>
		<category><![CDATA[第2次上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[第2次国共合作]]></category>
		<category><![CDATA[華北分離工作]]></category>
		<category><![CDATA[西安事件]]></category>

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		<description><![CDATA[日中戦争について考えてみます &#160; &#160; ・日中戦争について 　　 　 　・中国では、１９３５年から関東軍によって、華北分離工作が平然と行われた 　　※華北分離工作・・華北を中国の国民政府の支配から切り離 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1307">日中戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日中戦争について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日中戦争について</p>
<p>　　</p>
<p>　</p>
<p>　・中国では、１９３５年から関東軍によって、華北分離工作が平然と行われた</p>
<p>　　※華北分離工作・・華北を中国の国民政府の支配から切り離して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　日本が支配しようとすること</p>
<p>　　　華北・・チャハル、山西、綏遠、河北、山東という５つの省をまとめた呼び方として</p>
<p>　　　　　　　日本が使っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に国民政府は、イギリスの援助を受けて幣制改革を行って、</p>
<p>　　中国国内の経済を統一させようとした</p>
<p>　　※幣制改革・・貨幣制度の改革のことで、当時の中国は地域的な通貨などをやめて、</p>
<p>　　　　　　　　　中国統一の貨幣を流通させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この動きを見て、関東軍は華北に傀儡政権（冀東防共自治委員会）という</p>
<p>　　　政権を作って、分離工作を進めていった</p>
<p>　　　※次の年の１９３６年に日本政府は、華北分離工作を国の政策として決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上の動きに対して、中国国民の中で、抗日救国運動という日本に対抗する運動が起きた</p>
<p>　　→その結果、１９３６年１２月に西安事件が起きた</p>
<p>　　　＝西安事件をきっかけにして、国民政府は共産党を倒すことを中止して、</p>
<p>　　　　内乱を終わらせて、日本と本格的に戦う事を決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※西安事件について</p>
<p>　　　　・中国共産党は、国民党軍に何度も攻撃されたため、瑞金というところを諦めた</p>
<p>　　　　→その後に、中国共産党は１万２０００キロの大移動を行い、</p>
<p>　　　　　延安というところにたどりついて延安を、革命を起こすための新しい拠点にした</p>
<p>　　　　→そこで、国民政府は延安にある共産党軍を倒すことを張学良という人に命令した</p>
<p>　　　　→すると、張学良は中国を励ますために来ていた蒋介石を西安という地域で監禁して、</p>
<p>　　　　　内戦を停止することと、力を合わせて日本と対抗することを共産党側に要求した</p>
<p>　　　　　＝この時の、張学良が蒋介石を監禁した事件を西安事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３７年７月７日に、北京郊外の盧溝橋という橋の近くで日本軍と中国軍がぶつかる</p>
<p>　　という事件が起きた</p>
<p>　　＝この事件を盧溝橋事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※盧溝橋事件は、いったんは現地で停戦協定が成立した　　　</p>
<p>　　　→しかし、当時の近衛文麿内閣が軍部の圧力に負けて、最初は軍隊を拡大しない</p>
<p>　　　　方針だったものを変えて兵力を増やしつつ、戦場を広げていった</p>
<p>　　　→この動きに対し、国民政府も日本と徹底的に戦う姿勢を見せた</p>
<p>　　　→その結果、戦いが全面戦争になってしまった</p>
<p>　　　　＝この戦争を日中戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　※日中戦争について</p>
<p>　　　　　　・日本政府は、最初はこの戦争を「北支事変」、次に「支那事変」と</p>
<p>　　　　　　　名づけたが実際は全面戦争だった</p>
<p>　　　　　　・日本も中国も、アメリカの中立法という法律が適用されるのを避けるために</p>
<p>　　　　　　　正式には宣戦布告をしなかった</p>
<p>　　　　　　　※中立法には、戦争状態にある国への武器や弾薬の輸出の禁止</p>
<p>　　　　　　　　という内容が含まれていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３７年８月に、上海でも戦いが始まった</p>
<p>　　＝この戦いを第２次上海事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３７年９月に、国民党と共産党がもう一度手を組んだ</p>
<p>　　＝この提携を、第２次国共合作という</p>
<p>　　　→第２次国共合作によって、抗日民族統一戦線という戦線を誕生させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、中国にどんどん軍隊を送りこんでいった</p>
<p>　　→そのため、１９３７年の年末に、国民政府の首都だった南京という地域を占領した</p>
<p>　　　※南京を占領する前後に、日本軍は南京の中でも外でも略奪や暴行を行ったり、</p>
<p>　　　　婦女子を含む多くの一般人や捕虜を殺したりした</p>
<p>　　　　＝この出来事を南京事件という</p>
<p>　　　　　→南京の状況は、外務省のルートを通って、陸軍の上の人達にも伝わっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→国民政府は、南京から漢口、漢口から重慶へと、どんどん奥地に</p>
<p>　　　　入っていったもののあくまでも日本と戦う姿勢を続けた</p>
<p>　　　　※そのため、日中戦争は泥沼のような状態になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況だったので日本は、大規模な攻撃を行う事を中断した</p>
<p>　　→その代わりに、様々な場所に傀儡政権を作るスタイルに切り替えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３８年１月に近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と声明した</p>
<p>　　→この声明によって、国民政府と交渉して平和を取り戻すという道を</p>
<p>　　　自分から切り捨てた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、１９３８年の終わりに、日中戦争の目的が日本、満州、中国の３国が</p>
<p>　　手を組む東亜新秩序建設であるということを声明した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※東亜新秩序について</p>
<p>　　　　・１９３８年１月の「国民政府を対手とせず」という声明、</p>
<p>　　　　　１１月３日の東亜新秩序声明、１２月２２日の近衛三原則声明</p>
<p>　　　　　（善隣友好、共同防共、経済提携）をまとめて近衛声明と言い、</p>
<p>　　　　　その一つが東亜新秩序だった</p>
<p>　　　　※なぜ、このタイミングで戦争の目的を近衛声明として、改めて日本側が表明したのか</p>
<p>　　　　・当時のヨーロッパが危機的な状況であり、イギリスのアジアに対する</p>
<p>　　　　　政策が弱くなった</p>
<p>　　　　　→そこで日本は、中国内部で日本に友好的な人を表に出すことで、</p>
<p>　　　　　　中国を支配するチャンスになると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そして、国民政府の重要人物だった汪兆銘（精衛）という人を重慶から連れ出した</p>
<p>　　→その後、１９４０年に様々な地域にある傀儡政権を組み合わせた</p>
<p>　　　＝その結果、汪兆銘をトップに置いた、日本に友好的な新しい国民政府を</p>
<p>　　　　南京に作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、汪兆銘政権は非常に弱々しいものだった</p>
<p>　　　→そのため、傀儡政権を使って日中戦争を終わらせるという政策は失敗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民政府は援蒋ルート（アメリカやイギリスなどからの物資の搬入路）を</p>
<p>　　通じて援助を受けた</p>
<p>　　→この援助によって、その後も日本と戦い続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日中戦争について、過程、内容、背景などを中心に様々な内容を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1307">日中戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>満州事変について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1041</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1041#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 09:50:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界恐慌・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[リットン調査団]]></category>
		<category><![CDATA[上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[八・一宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国際連盟]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[溥儀]]></category>
		<category><![CDATA[西安事件]]></category>
		<category><![CDATA[関東軍]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変について考えてみます &#160; &#160; ・満州事変について &#160; &#160; 　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた 　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>満州事変について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・満州事変について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた</p>
<p>　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くなった</p>
<p>　　　→さらに、１９２７年には金融恐慌が発生した</p>
<p>　　　　＝そして、１９２９年の世界恐慌によって、日本が大きなダメージを受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の経済面では、混乱が発生すると同時に労働争議が多発し、社会不安が広がった</p>
<p>　　※しかし、日本の既成の政党は政権争いを続けていたため、国民の信頼を失った</p>
<p>　　　＝そこで軍部は、経済危機を大陸での支配圏の拡大によって解決することを考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３１年９月に、日本の関東軍は中国東北地方（当時の日本は「満州」と呼んでいた）の</p>
<p>　　柳条湖で鉄道を爆破するということを起こした</p>
<p>　　→日本は、この爆破を口実にして、軍事行動を起こし、東北地方の大半を占領してしまった</p>
<p>　　　＝この出来事を満州事変という</p>
<p>　　　　※日本の軍部は、国際社会の注目をそらすために、１９３２年に上海事変を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の軍事行動は国際的に批判された</p>
<p>　　※さらに、中国の提訴によって国際連盟がリットン調査団という団体の派遣を決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、既成事実を作るために、１９３２年３月に、清朝最後の皇帝だった溥儀という人を</p>
<p>　　執政（のちの皇帝）に置いて、中国東北地方に満州国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・リットン調査団は、軍事行動が自分達を守るためのものであるという日本の主張をしりぞけた</p>
<p>　　※この主張のしりぞけを、国際連盟も支持した</p>
<p>　　　＝そのため、日本は１９３３年３月に、国際連盟脱退を通告された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この後、日本の侵攻は、熱河方面に向かっていった</p>
<p>　　※一時は、長城を超えて北京にせまり、華北支配を狙うようになった</p>
<p>　　→華北支配と並行する形で、一部の軍人はテロやクーデタ事件を起こして、</p>
<p>　　　国内での影響力を強めようとした</p>
<p>　　　※代表的なテロやクーデタに、</p>
<p>　　　　１９３２年の五・一五事件、</p>
<p>　　　　１９３６年の二・二六事件などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本軍は、１９３５年に、防共の名目で内モンゴルと華北に侵攻した</p>
<p>　　→その時日本は、河北省東部に国民政府から分離した冀東防共自治政府を設置させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で中国は、１９２８～３０年に関税自主権回復を達成したことで、国民政府が力を得た</p>
<p>　　→この時に、国内の政治的かつ軍事的な統一を目指した</p>
<p>　　　＝そのため中国は、満州事変などの日本の軍事行動への対応よりも、</p>
<p>　　　　共産党との戦いに力を入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３４年に、瑞金という人を中心とする共産党軍は、国民政府軍の攻撃を受けて、</p>
<p>　　延安を中心とする奥地の陝西省と甘粛省を目指す長征というのを実行した</p>
<p>　　※この動きの過程で、共産党内の毛沢東の指導力が高まっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に、国民政府はイギリスとアメリカ合衆国の援助で通貨を統一した</p>
<p>　　※今まで中国の通貨は基本的に銀で、紙幣を各銀行が発行していたため、</p>
<p>　　　通貨の価値や範囲が不安定だった</p>
<p>　　　→そこで国民政府は、銀を禁止して、ポンドに連動した四大銀行が発行する銀行券を</p>
<p>　　　　国内通貨として定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝これら一連の動きによって、中国の地方の軍閥の力が弱められ、</p>
<p>　　　国内統一への方向がさらに進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満州事変をきっかけに中国の抗日運動が全国に広まっていった</p>
<p>　　→そこで中国は、１９３５年８月に中国共産党が八・一宣言を出して、</p>
<p>　　　内戦の停止と民族統一戦線の結成を呼び掛けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西安にいた張学良という人は、上のような状況を見て、共産党への攻撃を促した蒋介石を</p>
<p>　　捉えて、日本への対抗と内戦の停止を説得した</p>
<p>　　＝この出来事を西安事件という</p>
<p>　　　→西安事件の時に、蒋介石は説得を受け入れたため、その後に国共がふたたび接近した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・満州事変についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです　　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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