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	<title>アラエス &#187; 身分制議会</title>
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		<title>中世のイギリスとフランスについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/853</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/853#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:25:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ウィリアム1世]]></category>
		<category><![CDATA[エドワード1世]]></category>
		<category><![CDATA[シモン＝ド＝モンフォール]]></category>
		<category><![CDATA[ジョン王]]></category>
		<category><![CDATA[ヘンリ2世]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[三部会]]></category>
		<category><![CDATA[中世のイギリス]]></category>
		<category><![CDATA[中世のフランス]]></category>
		<category><![CDATA[身分制議会]]></category>

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		<description><![CDATA[中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます &#160; &#160; ※中世のヨーロッパの様子 　・１３～１４世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、 　　貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/853">中世のイギリスとフランスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※中世のヨーロッパの様子</p>
<p>　・１３～１４世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、</p>
<p>　　貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議会を開いて、</p>
<p>　　話し合いを行うことで国内の統一を目指していった</p>
<p>　　※身分制議会・・三身分の代表者からなる議会のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・王権の勢いと中央集権化の動きは、それぞれの国でも独特の動きを見せていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※イギリスの封建社会は、ウィリアム１世のノルマン朝が征服王朝だったことから、</p>
<p>　　例外的に最初から王権が強かった</p>
<p>　　</p>
<p>　※血統の関係上、フランスから入ったプランタジネット朝の初代の王様だった</p>
<p>　　ヘンリ２世という人は、フランスの西半部を領有して、</p>
<p>　　大きな勢力を作っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→ところが、その後にヘンリ２世の子どものジョン王という人が、以下のような動きを見せた</p>
<p>　　・フランスの国王であったフィリップ２世と戦って、フランスの領地の多くを失った</p>
<p>　　・教皇のインノケンティウス３世と戦って、破門された</p>
<p>　　・財政困難になって、重い税を課したため、貴族が結束してジョンに反抗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝上のような動きの結果、１２１５年に大憲章（マグナ＝カルタ）というのを</p>
<p>　　　　王に認めさせることになった</p>
<p>　　　　※大憲章が置かれたことで、イギリス立憲政治の最初の基礎が置かれたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ジョン王の後に出てきたヘンリ３世という人は、大憲章を無視した</p>
<p>　　→そこで、シモン＝ド＝モンフォールという人は、</p>
<p>　　　貴族を引き連れて反乱を起こし、王を倒した</p>
<p>　　　＝その結果１２６５年から、今まであった高位聖職者や大貴族の会議に</p>
<p>　　　　州や都市の代表を加えて、国政を協議した</p>
<p>　　　　※この動きがイギリス議会の起源だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１２９５年からは、エドワード１世という人によって、模範議会というのが</p>
<p>　　招集されるようになった</p>
<p>　　→その後、１４世紀半ばに模範議会の内容が以下のように変わっていった</p>
<p>　　　・上院と下院に分かれるようになった</p>
<p>　　　　※上院・・高位聖職者と大貴族を代表する団体のこと</p>
<p>　　　　※下院・・州と都市を代表する団体のこと</p>
<p>　　　　→そして、法律の制定や新しい課税には下院の承認が必要になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※イギリスでは、騎士が早い段階で軍事的な性格を失って、</p>
<p>　　　　地方のジェントリ（郷紳）になった</p>
<p>　　　　＝そのため、騎士は州を代表して都市の市民と並んで下院と同じ扱いになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フランスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスのカペー朝のもとでは、最初は王権が北フランスの一部を</p>
<p>　　領有するだけのきわめて弱い勢力だった</p>
<p>　　※一方で、当時は大諸侯の勢いが強かった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→しかし、１２世紀の終わりに即位したフランス国王のフィリップ２世という人は、</p>
<p>　　　ジョン王と戦って国内のイギリス領の大半を奪った</p>
<p>　　</p>
<p>　　→また、ルイ９世という人は、南フランス諸侯の保護を受けていた</p>
<p>　　　異端のアルビジョワ派（カタリ派）を征服して、王権を南フランスにも広げていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、フィリップ４世という人は、ローマ教皇であるボニファティウス８世という人</p>
<p>　　　との戦いの時に、１３０２年に三部会を開いいた</p>
<p>　　　＝結果的に三部会の支持を得て教皇をおさえ、フィリップ４世は</p>
<p>　　　　王権をさらに強化していった</p>
<p>　　　　※三部会・・聖職者、貴族、平民の代表者が出席する会議のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世ヨーロッパの様子をおさえる</p>
<p>・当時のイギリスの様子についておさえる</p>
<p>・当時のフランスの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/853">中世のイギリスとフランスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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