中世のイギリスとフランスについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/13 14:25      
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中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます

 

 

※中世のヨーロッパの様子

 ・13~14世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、

  貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議会を開いて、

  話し合いを行うことで国内の統一を目指していった

  ※身分制議会・・三身分の代表者からなる議会のこと

 

 ・王権の勢いと中央集権化の動きは、それぞれの国でも独特の動きを見せていった

 

 

 

 

 

・イギリスについて

 

 

 ※イギリスの封建社会は、ウィリアム1世のノルマン朝が征服王朝だったことから、

  例外的に最初から王権が強かった

  

 ※血統の関係上、フランスから入ったプランタジネット朝の初代の王様だった

  ヘンリ2世という人は、フランスの西半部を領有して、

  大きな勢力を作っていった

 

 →ところが、その後にヘンリ2世の子どものジョン王という人が、以下のような動きを見せた

  ・フランスの国王であったフィリップ2世と戦って、フランスの領地の多くを失った

  ・教皇のインノケンティウス3世と戦って、破門された

  ・財政困難になって、重い税を課したため、貴族が結束してジョンに反抗した

 

   =上のような動きの結果、1215年に大憲章(マグナ=カルタ)というのを

    王に認めさせることになった

    ※大憲章が置かれたことで、イギリス立憲政治の最初の基礎が置かれたと言われている

 

 

 ・ジョン王の後に出てきたヘンリ3世という人は、大憲章を無視した

  →そこで、シモン=ド=モンフォールという人は、

   貴族を引き連れて反乱を起こし、王を倒した

   =その結果1265年から、今まであった高位聖職者や大貴族の会議に

    州や都市の代表を加えて、国政を協議した

    ※この動きがイギリス議会の起源だと言われている

 

 

 

 ・1295年からは、エドワード1世という人によって、模範議会というのが

  招集されるようになった

  →その後、14世紀半ばに模範議会の内容が以下のように変わっていった

   ・上院と下院に分かれるようになった

    ※上院・・高位聖職者と大貴族を代表する団体のこと

    ※下院・・州と都市を代表する団体のこと

    →そして、法律の制定や新しい課税には下院の承認が必要になった

 

   ※イギリスでは、騎士が早い段階で軍事的な性格を失って、

    地方のジェントリ(郷紳)になった

    =そのため、騎士は州を代表して都市の市民と並んで下院と同じ扱いになった

 

 

 

 

 

・フランスについて

 

 

 ・フランスのカペー朝のもとでは、最初は王権が北フランスの一部を

  領有するだけのきわめて弱い勢力だった

  ※一方で、当時は大諸侯の勢いが強かった

  

  →しかし、12世紀の終わりに即位したフランス国王のフィリップ2世という人は、

   ジョン王と戦って国内のイギリス領の大半を奪った

  

  →また、ルイ9世という人は、南フランス諸侯の保護を受けていた

   異端のアルビジョワ派(カタリ派)を征服して、王権を南フランスにも広げていった

 

  →さらに、フィリップ4世という人は、ローマ教皇であるボニファティウス8世という人

   との戦いの時に、1302年に三部会を開いいた

   =結果的に三部会の支持を得て教皇をおさえ、フィリップ4世は

    王権をさらに強化していった

    ※三部会・・聖職者、貴族、平民の代表者が出席する会議のこと

 

 

ポイント

・中世ヨーロッパの様子をおさえる

・当時のイギリスの様子についておさえる

・当時のフランスの様子についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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