中世のイギリスとフランスについて
中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます
※中世のヨーロッパの様子
・13~14世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、
貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議会を開いて、
話し合いを行うことで国内の統一を目指していった
※身分制議会・・三身分の代表者からなる議会のこと
・王権の勢いと中央集権化の動きは、それぞれの国でも独特の動きを見せていった
・イギリスについて
※イギリスの封建社会は、ウィリアム1世のノルマン朝が征服王朝だったことから、
例外的に最初から王権が強かった
※血統の関係上、フランスから入ったプランタジネット朝の初代の王様だった
ヘンリ2世という人は、フランスの西半部を領有して、
大きな勢力を作っていった
→ところが、その後にヘンリ2世の子どものジョン王という人が、以下のような動きを見せた
・フランスの国王であったフィリップ2世と戦って、フランスの領地の多くを失った
・教皇のインノケンティウス3世と戦って、破門された
・財政困難になって、重い税を課したため、貴族が結束してジョンに反抗した
=上のような動きの結果、1215年に大憲章(マグナ=カルタ)というのを
王に認めさせることになった
※大憲章が置かれたことで、イギリス立憲政治の最初の基礎が置かれたと言われている
・ジョン王の後に出てきたヘンリ3世という人は、大憲章を無視した
→そこで、シモン=ド=モンフォールという人は、
貴族を引き連れて反乱を起こし、王を倒した
=その結果1265年から、今まであった高位聖職者や大貴族の会議に
州や都市の代表を加えて、国政を協議した
※この動きがイギリス議会の起源だと言われている
・1295年からは、エドワード1世という人によって、模範議会というのが
招集されるようになった
→その後、14世紀半ばに模範議会の内容が以下のように変わっていった
・上院と下院に分かれるようになった
※上院・・高位聖職者と大貴族を代表する団体のこと
※下院・・州と都市を代表する団体のこと
→そして、法律の制定や新しい課税には下院の承認が必要になった
※イギリスでは、騎士が早い段階で軍事的な性格を失って、
地方のジェントリ(郷紳)になった
=そのため、騎士は州を代表して都市の市民と並んで下院と同じ扱いになった
・フランスについて
・フランスのカペー朝のもとでは、最初は王権が北フランスの一部を
領有するだけのきわめて弱い勢力だった
※一方で、当時は大諸侯の勢いが強かった
→しかし、12世紀の終わりに即位したフランス国王のフィリップ2世という人は、
ジョン王と戦って国内のイギリス領の大半を奪った
→また、ルイ9世という人は、南フランス諸侯の保護を受けていた
異端のアルビジョワ派(カタリ派)を征服して、王権を南フランスにも広げていった
→さらに、フィリップ4世という人は、ローマ教皇であるボニファティウス8世という人
との戦いの時に、1302年に三部会を開いいた
=結果的に三部会の支持を得て教皇をおさえ、フィリップ4世は
王権をさらに強化していった
※三部会・・聖職者、貴族、平民の代表者が出席する会議のこと
ポイント
・中世ヨーロッパの様子をおさえる
・当時のイギリスの様子についておさえる
・当時のフランスの様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです