緊張緩和と各国への影響について
冷戦の終了による世界への影響と緊張緩和について考えてみます
・冷戦の終了による世界への影響と緊張緩和について
・アメリカとソ連との間の緊張緩和の影響は、最初にヨーロッパに出てきた
・1969年に成立した西ドイツのブラント政府は、社会主義国との関係改善を
目指す東方政策を行った
→西ドイツは、以下のようなことを行っていった
・1970年に、ソ連と武力不行使条約を結んだ
・ポーランドと戦後国境(オーデル=ナイセ線)を認めた国交正常化条約を締結した
=東欧の国々との外交の正常化を進めた
・1972年に、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4国が
ベルリンの現状維持協定を結んだ
→これを受けて、1972年の終わりに東ドイツと西ドイツが相互に承認しあった
※東ドイツと西ドイツは、1973年に両方とも国際連合に加盟した
・1966年に、ソ連のブレジネフ書記長という人が提案した
全欧安全保障協力会議(CSCE)についても、東西の間で交渉が行なわれていた
※全欧安全保障協力会議について
・1975年にヘルシンキで、アルバニア以外の全てのヨーロッパの国と、
アメリカ、カナダの首相が参加する形でこの会議が開かれた
・CSCEは、1995年に全欧安全保障協力機構(OSCE)として
常設の地域機構になった
・全欧安全保障協力会議で、ヘルシンキ宣言が採択された
※ヘルシンキ宣言・・主権尊重、武力不行使、科学や人間交流の協力を
提唱した宣言のこと
・1970年代に、南ヨーロッパの軍事政権や独裁政権も消えていった
→・ポルトガルでは、アンゴラなどの植民地で解放勢力の攻撃を受けたため、
独裁体制が危うかった
→そして、1974年に独裁体制は軍事クーデタで倒された
=その結果、新政府はアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウの独立を認め、
国内を民主化した
・スペインでは、権威主義体制をとっていた
→1975年にフランコという人が亡くなって、後継者に指名されたブルボン朝の
フアン=カルロス1世という人が即位するということが起きた
=すると、1978年に新憲法によって民主的君主制に移っていった
・ギリシアでは、1967年から軍事政権が続いていた
→この軍事政権は、1974年に倒れた
=そして、1975年にギリシアが民主制に復帰した
=上のような国々は、議会制民主主義が共通の政治基盤だった
・アジアでは、アメリカのニクソン大統領が、ニクソン=ドクトリンをかかげた
※ニクソン=ドクトリンについて
・直接的な軍事介入をやめて、同盟国の自力貿易にゆだねる方針のこと
・この方針にもとづいて、1972年に日本に沖縄を返還した
・中国との関係正常化を目指した
・1971年には、キッシンジャー大統領補佐官が北京を訪問した
→次の年の1972年に、ニクソン大統領が訪中して毛沢東と会談した
※この会談の時に、中華人民共和国を中国と認めた
=そのため、アジアでのアメリカと中国との間の緊張が無くなっていった
→緊張緩和と参加国の利害が様々になったため、1977年にSEATOが、
1979年にCENTOが解散した
→アメリカと中国との接近は、日本を含めて以下のように各地に広がっていった
・日本の田中首相が、1972年に北京を訪問して日中国交正常化を果たして、
台湾との関係を断絶した
・1978年に、日中平和友好条約を結んだ
・1971年に国連総会が、中華人民共和国に中国代表権を認め、
台湾の国民党政府の追放を決定した
ポイント
・緊張緩和と各国への影響についておさえる
このあたりが今回のポイントです