19世紀の科学や技術の人々への影響と地理の発展について
19世紀の科学や技術の人々への影響と地理の発展について考えてみます
・科学や技術の人々への影響について
※自然科学の様々な部門は、18世紀までにほぼ基礎が出来上がっていた
→その後、産業革命による工業の急激な発達にともなって、物理学や化学などが
19世紀のなかばころからめざましい進歩が見られるようになった
※この時に、専門研究や教育の場としての大学の整備も行なわれた
・生物学の分野で、ダーウィンという人が1859年に「種の起源」という本で
進化論を提唱した
→すると、聖書の語句をそのまま歴史的事実ととらえる今までの人間観の人達が
大きな衝撃を受けた
※そのため、人文や社会の様々な科学にまで広がって激しい論争が起きた
・さらに、電気や石油の利用など、生産に直結した新しい技術の開発が行なわれた
※この動きは、産業界を大きく変化したと言われている
・上のような科学や技術の発展は、便利で快適な都市の生活を生み出したと言われている
→パリでは、第二帝政の時期にオスマンという人によってパリが改造された
→同じ時期にロンドンでは、地下鉄が開通した
=以上のような動きなどで、近代都市が誕生した
・都市には、図書館などの文化施設が作られた
※この時期に、映画も楽しめるようになった
・当時、発行部数が拡大するという形で成長していた新聞が、
政治の動きに大きな影響を与えることになった
・当時の地理の発展について
・19世紀に、欧米人による世界各地の探検が進んだ
※オーストラリアは、すでに17世紀のなかごろからオランダ人の
タスマンという人によってヨーロッパに知られていた
・その後、18世紀の後半にイギリスのクックという人が太平洋を探検した
→この探検によって、ニューギニアやニュージーランド、ハワイについての知識も得られた
※しかし、当時はまだ、地球上には欧米人にとって未知の地域が
まだ多く残っていたと言われている
・19世紀のなかばから後半にかけて、リヴィングストンとスタンリーという人が、
アフリカ内陸部の探検を行った
→19世紀の終わりころからは、中国の奥地や中央アジアの学術調査も始まった
・当時は、世界各地の社会に関する情報が得られるようになった
※そのため、のちの文化人類学につながる業績も発表された
・しかし、当時の欧米人には欧米のみを「文明社会」とみなす傾向が強かった
※人類を皮膚の色などの見た目的な特徴から分類しようとした人種や、
歴史的かつ文化的に作られる集団である民族などについての情報や研究には、
他人を低く見る傾向が含まれがちだったと言われている
・20世紀の初頭に、極地探検が成功した
→1909年にアメリカのピアリという人は、北極点に達した
→1911年にノルウェーのアムンゼンという人が、南極点に達した
→そして、1912年にイギリスのスコットという人が、南極点に達した
ポイント
・19世紀の科学や技術の人々への影響についておさえる
・地理の発展についておさえる
このあたりが今回のポイントです