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	<title>アラエス &#187; アウラングゼーブ帝</title>
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	<item>
		<title>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/902</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/902#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 07:42:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[アウラングゼーブ帝]]></category>
		<category><![CDATA[インド]]></category>
		<category><![CDATA[オーストリア継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[プラッシーの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[マイソール戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ムガル帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァスコ＝ダ＝ガマ]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>

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		<description><![CDATA[西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます &#160; &#160; ・西ヨーロッパ勢力の進出について &#160; 　※西欧の国々の進出までの流れについて 　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/902">西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ヨーロッパ勢力の進出について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※西欧の国々の進出までの流れについて</p>
<p>　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世界には、港市を結ぶネットワークが形成されていた</p>
<p>　　　→このネットワークでは、ムスリム商人やインド商人が活躍していた</p>
<p>　　・１５世紀の終わりにヴァスコ＝ダ＝ガマという人によってインドへの直接の航路が</p>
<p>　　　発見されるようになった</p>
<p>　　　→すると、ヨーロッパの商業勢力がインド洋世界への新たな参加者として登場した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ヨーロッパ勢力の動きとインドの植民地化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの商業勢力の活動が本格化する１７世紀から１８世紀にかけてのインドは、</p>
<p>　　商品経済の発展を背景に、各地で政治経済活動が活発化し、</p>
<p>　　地方政権が力をつけていった時期だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・オランダ、イギリス、フランスなど、ヨーロッパ各国の東インド会社が、</p>
<p>　　以下のようなことを行っていた</p>
<p>　　→・ヨーロッパで需要が大きかったインド産の綿布の獲得を目指していた</p>
<p>　　　・そこで、インドに各地に着々と商館を建設し、商業活動を拡大した</p>
<p>　　　・その対価として、インドへ金や銀を大量に持ち込んできた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝このような、綿布を中心の輸出商品とする対外交易の拡大と、大量の金や銀の流入は、</p>
<p>　　　農業生産物を現物で分配するということを基礎として成り立ってきたという</p>
<p>　　　今までのインド経済の構造に大きな変化をもたらす要因になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方政権の台頭に悩まされていたアウラングゼーブ帝が１８世紀の初めに死去する</p>
<p>　　ということが起きた</p>
<p>　　→すると、ムガル帝国は支配領域をまとめていく政治的な力を急速に失っていった</p>
<p>　　　＝結果的に、ムガル帝国は名目的な存在になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、地方の様々な勢力は、独立性をさらに高めていった</p>
<p>　　※そのため、お互いに軍事的な抗争を繰り返すようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの国々のうち、イギリスとフランスの両方の東インド会社は、</p>
<p>　　１８世紀にはいってからも活発な商業活動を続けていた</p>
<p>　　→両方の東インド会社は、これらの抗争に関わらないでいつづけることが出来ず、</p>
<p>　　　だんだんと抗争に巻き込まれていった</p>
<p>　　　※さらに、両方の東インド会社は、インドとは無関係のヨーロッパでの対立を</p>
<p>　　　　持ち込むこともあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような対立の例として、以下のようなものがある</p>
<p>　　　・１８世紀のなかばに、インド南部のカーナティックと呼ばれた地域を舞台に、</p>
<p>　　　　オーストリア継承戦争や七年戦争と関連してイギリス、フランス、インドなどの</p>
<p>　　　　地方勢力が入り乱れて繰り広げられた戦争</p>
<p>　　　・インド東部でベンガル地方政権とフランスとの連合勢力がイギリスと抗争した</p>
<p>　　　　１７５７年のプラッシーの戦い</p>
<p>　　　　＝結局、軍事力と資金力が高かったイギリスは、１７６３年のパリ条約で</p>
<p>　　　　　インドでのイギリスとフランスとの戦いに決着をつけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→イギリスは、他のような争いも起きた</p>
<p>　　　・インドの様々な勢力に対して、１７６５年にイギリスは東部でベンガルとビバールの</p>
<p>　　　　両方の地域の徴税権を獲得して、財政基盤を確保した</p>
<p>　　　・南部で４回にわたるマイソール戦争、西部でのマラーター戦争、</p>
<p>　　　　西北部でのシク王国との戦争でイギリスはそれぞれ勝利をおさめた</p>
<p>　　　　＝結果的にイギリスは、１９世紀の半ばにインド全域を支配することに成功した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような流れを受けてイギリスは、一部は藩王国として間接統治とし、</p>
<p>　　　他は直接支配するという体制を作った</p>
<p>　　　※この体制によって、インドの政治的植民地化を完成させたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・西欧の国々の進出についておさえる</p>
<p>・イギリスがインドを支配するまでの流れをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/902">西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ムガル帝国の成立と衰退について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/894</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/894#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 21:21:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[足利]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近世・近代アジア史前期]]></category>
		<category><![CDATA[アウラングゼーブ帝]]></category>
		<category><![CDATA[アクバル]]></category>
		<category><![CDATA[カビール]]></category>
		<category><![CDATA[シク教]]></category>
		<category><![CDATA[バーブル]]></category>
		<category><![CDATA[パーニーパットの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ヒンドゥー王国]]></category>
		<category><![CDATA[マンサブダール制]]></category>
		<category><![CDATA[ムガル帝国]]></category>

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		<description><![CDATA[ムガル帝国の成立と衰退について考えてみます &#160; &#160; ・ムガル帝国の成立について &#160; &#160; 　・１６世紀に入ると、中央アジア出身のティムールの子孫であるバーブルという人が、 　　カーブ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/894">ムガル帝国の成立と衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ムガル帝国の成立と衰退について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ムガル帝国の成立について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１６世紀に入ると、中央アジア出身のティムールの子孫であるバーブルという人が、</p>
<p>　　カーブルを本拠地にして北インドに進出するという出来事が起きた</p>
<p>　　→バーブルは、１５２６年にパーニーパットの戦いで、</p>
<p>　　　デリー＝スルタン朝最後のロディー軍に勝利し、</p>
<p>　　　ムガル帝国のきっかけを作ったと言われている</p>
<p>　　　※バーブルは支配者としてすぐれていただけでなく、</p>
<p>　　　　ペルシア語やアラビア語の教養も深かったため、</p>
<p>　　　　「バーブルの書」をはじめとする作品でも知られている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・実質的に帝国の土台を作ったのは、第３代のアクバルという人だった</p>
<p>　　→アクバルは以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・首都をアグラに移した</p>
<p>　　　・支配階層の組織化をはかった</p>
<p>　　　・維持すべき騎兵、騎馬数とそれに応じた給与によって支配階層を等級づけて官位を与えた</p>
<p>　　　　※この制度は、マンサブダール制という</p>
<p>　　　・全国の土地を測量して徴税する制度を導入した</p>
<p>　　　　＝このような動きを通して、中央集権的な統治機構を整えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１５～１６世紀のインド社会では、イスラーム教とヒンドゥー教との融合をはかる信仰が</p>
<p>　　盛んになった</p>
<p>　　→その中で、カビールや愛と献身を考え、シク教の祖となったナーナクが登場した</p>
<p>　　　※・カビール・・不可触民への差別を非難し、人類が根本的に一つであることを説明した</p>
<p>　　　　・愛と献身・・愛と献身によって神とともに生きることでカーストの区別なく</p>
<p>　　　　　　　　　　　解脱できることを説明した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような時代背景のもとで、アクバルは信仰と統治の両面でヒンドゥー教徒と</p>
<p>　　イスラム教徒の融合をはかった</p>
<p>　　→そうすることで、支配の基盤を固めようとした</p>
<p>　　→さらにアクバルは、自らヒンドゥー教徒の女性と結婚し、</p>
<p>　　　非イスラーム教徒に課されていた人頭税（ジズヤ）を廃止して、</p>
<p>　　　ヒンドゥー勢力を味方につけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・文化面でも、以下のように、融合への積極的な動きが見られた</p>
<p>　　→・ムガル宮廷にはイラン出身者やインド各地から画家が招かれ、</p>
<p>　　　　細密画が多数生み出された</p>
<p>　　　・地方の宮廷では、地方語による作品が生み出されると同時に、</p>
<p>　　　　それらの作品のペルシア語への翻訳が進んだ</p>
<p>　　　・公用語のペルシア語がインドの地方語に融合したウルドゥー語も誕生した</p>
<p>　　　　※ウルドゥー語は、現在のパキスタンの国語になっている</p>
<p>　　　・インド様式とイスラーム様式が融合したタージ＝マハルなどの</p>
<p>　　　　壮大な建築が現在に残された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・南インドでは、１４世紀にウィジャヤナガルと呼ばれるヒンドゥー王国が誕生した</p>
<p>　　→ヒンドゥー王国は、１６世紀の初めに全盛期を迎えた</p>
<p>　　　※しかしイスラーム勢力との抗争によってヒンドゥー王国が衰退した</p>
<p>　　　　＝結果的に、地方の様々な勢力の自立化が進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ムガル帝国の衰退について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ムガル帝国は、アウラングゼーブ帝という人の時代に最大の領土となった</p>
<p>　　※しかし、アウラングゼーブ帝という人はまた、支配の弱体化が進んだ時代でもあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ムガル帝国の支配層は、地租の徴収を強化した</p>
<p>　　※一方で、農村や都市で活発に展開していた商品生産に積極的に関わろうとしなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アウラングゼーブは、イスラーム教を信仰した</p>
<p>　　→一方で、ヒンドゥー教寺院の破壊を命令し、人頭税の復活などを行った</p>
<p>　　　＝そのため、ヒンドゥー教徒を圧迫して反発を招いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→上のような情勢の中で、地方の勢力が着実に力をつけていった</p>
<p>　　※その中で、各地の農民の反乱や独立の動きが表面化した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→西インドでは、ムガル帝国の支配から独立してヒンドゥー国家の建設を目指す</p>
<p>　　マラーター王国が登場した</p>
<p>　　※西北インドでは、シク教徒が反乱を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝結果的にアウラングゼーブの死後に、ムガル帝国は一気に解体した</p>
<p>　　→そして、ベンガルやデカンに独立政権が生まれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ムガル帝国の成立についておさえる</p>
<p>・ムガル帝国の衰退についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/894">ムガル帝国の成立と衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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