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	<title>アラエス &#187; ガズナ朝</title>
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	<item>
		<title>イスラーム勢力の進出とインドの様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/819</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/819#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 16:15:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アイバク]]></category>
		<category><![CDATA[アフガニスタン]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム]]></category>
		<category><![CDATA[インド]]></category>
		<category><![CDATA[ガズナ朝]]></category>
		<category><![CDATA[ゴール朝]]></category>
		<category><![CDATA[デリー＝スルタン朝]]></category>
		<category><![CDATA[ヒンドゥー教]]></category>
		<category><![CDATA[ラージプート]]></category>
		<category><![CDATA[奴隷王朝]]></category>

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		<description><![CDATA[イスラーム勢力の進出とインドの様子について考えてみます &#160; &#160; ・イスラーム勢力の進出とインドの様子について &#160; &#160; &#160; 　・アフガニスタンを拠点とするトルコ系のガズナ朝 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/819">イスラーム勢力の進出とインドの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イスラーム勢力の進出とインドの様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イスラーム勢力の進出とインドの様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アフガニスタンを拠点とするトルコ系のガズナ朝が出てきた</p>
<p>　・ガズナ朝から独立したイラン系とされるゴール朝が出てきた</p>
<p>　　→この２つのイスラーム勢力は、インドの富を奪うことを目指して、</p>
<p>　　　１０世紀末から北インドに対して軍事的な侵攻を繰り返していった</p>
<p>　</p>
<p>　　※ラージプートと呼ばれるヒンドゥー教の様々な勢力は、お互いの仲が悪かったため、</p>
<p>　　　２つのイスラーム勢力の軍事的な侵攻に対抗することが出来なかった</p>
<p>　　　＝その結果、１３世紀の初めにインドで最初のイスラーム政権が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初のイスラーム政権になったのは、ゴール朝のインド遠征に同行して、</p>
<p>　　北インドの支配地域の経営を任された将軍のアイバクという人が</p>
<p>　　デリーというところに作った王朝だった</p>
<p>　　※アイバクは、奴隷出身だった</p>
<p>　　　＝そのため、この王朝を奴隷王朝という</p>
<p>　　　　→奴隷王朝を含めて、その後デリーを本拠地をにしたイスラームの様々な王朝を、</p>
<p>　　　　　まとめてデリー＝スルタン朝という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※奴隷王朝は、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝と続いていった</p>
<p>　　　→これらの王朝の中で、ハルジー朝は、地租の金納化など様々な経済改革を実施した</p>
<p>　　　　＝この経済改革は、後のムガル帝国の経済政策に受け継がれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム勢力の進出によって、初期に以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・仏教の拠点が破壊されて、インドから仏教が消滅した</p>
<p>　　　・ヒンドゥー教の寺院が破壊された</p>
<p>　　　・破壊された寺院のの資材がイスラーム建築に流用されるという例もあった</p>
<p>　　　　※しかし、現実の統治ではイスラーム教が強制されることはなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→イスラーム信仰は、バクティやヨーガなどの昔からの信仰と共通する部分もあった</p>
<p>　　　＝そのため、都市の住民やカースト差別に苦しむ人々の間にも</p>
<p>　　　　イスラーム信仰が広まっていった</p>
<p>　　　　※バクティ・・神へ自分の身を捧げること</p>
<p>　　　　　ヨーガ・・苦行を通じて、神との合体を求めること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝上のような流れを通して、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　・ヒンドゥー教とイスラーム教の両方の要素を融合させた壮大な都市が作られた</p>
<p>　　　・インドのサンスクリット語の作品がペルシア語に翻訳されるということが起きた</p>
<p>　　　　＝結果的に、インド＝イスラーム文化が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イスラーム勢力の進出の様子についておさえる</p>
<p>・インドの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/819">イスラーム勢力の進出とインドの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>東方イスラーム世界の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/815</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/815#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:55:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アッバース朝]]></category>
		<category><![CDATA[カザン＝ハン]]></category>
		<category><![CDATA[ガズナ朝]]></category>
		<category><![CDATA[スルタン]]></category>
		<category><![CDATA[セルジューク朝]]></category>
		<category><![CDATA[トゥグリル＝ベク]]></category>
		<category><![CDATA[ニザーミーヤ学院]]></category>
		<category><![CDATA[マムルーク]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[東方イスラーム世界]]></category>

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		<description><![CDATA[東方イスラーム世界の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・東方イスラーム世界の動きについて &#160; &#160; 　・アッバース朝のカリフは、９世紀の初めころからマムルークと呼ばれる 　　トルコ人 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/815">東方イスラーム世界の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東方イスラーム世界の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東方イスラーム世界の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アッバース朝のカリフは、９世紀の初めころからマムルークと呼ばれる</p>
<p>　　トルコ人奴隷を親衛隊として使うようになった</p>
<p>　　※遊牧民だったトルコ人は騎馬戦士として優れていた</p>
<p>　　※親衛隊として使ってた時、マムルーク勢力が拡大するにつれて、</p>
<p>　　　カリフの権力が低下していくことになった</p>
<p>　　　→しかし、他の地域からマムルークを買って軍事力の中心とする動きが、</p>
<p>　　　　イスラーム世界で一般的になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・セルジューク朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・トルコ人のセルジューク朝という王朝が中央アジアから西方に進出していった</p>
<p>　　　※セルジューク朝もマムルークを使った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝はトゥグリル＝ベクという人が作った</p>
<p>　　　→トゥグリル＝ベクは、１０５５年にブワイフ朝を倒してバグダードに入城した</p>
<p>　　　　※この時に、アッバース朝のカリフからスルタン（支配者）の称号を授けられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝はスンナ派を信仰していたため、シーア派を信仰していた</p>
<p>　　　ファーティマ朝に対抗する形で、セルジューク朝の土地内部の主要な都市に</p>
<p>　　　学院（マドラサ）を作った</p>
<p>　　　＝学院を作ることで、スンナ派の神学と法学を奨励して学問の育成を行った</p>
<p>　　　　※これらの学院は、建設の指導を行ったニザーム＝アルムルクという人にちなんで、</p>
<p>　　　　　ニザーミーヤ学院と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝は、シリアの海岸地帯にも進出していき、ビザンツ領を圧迫していった</p>
<p>　　　※この動きは、後にヨーロッパのキリスト教団が十字軍を誕生させるきっかけになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>　・カラ＝ハン朝とガズナ朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・トルコ人のカラ＝ハン朝は、東と西のトルキスタンを組み合わせて、</p>
<p>　　　この地方にイスラーム文化を導入した</p>
<p>　　</p>
<p>　　・アフガニスタンのガズナ朝は１０世紀の終わりから北インドへの侵入を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝イスラーム世界は分裂していたにも関わらず、上のようなトルコ人の活躍があったために、</p>
<p>　　　　イスラーム世界が着実に拡大していったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような動きの後、モンゴルの勢力が発展していった</p>
<p>　　→フラグという人が連れていたモンゴル軍は、西アジアに進出して、</p>
<p>　　　１２５８年にバグダードを陥れた</p>
<p>　　　＝その結果、アッバース朝は滅亡し、カリフの制度が一度消滅した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フラグは、イランとイラクを領有してイル＝ハン国という国を作った</p>
<p>　　→イル＝ハン国はエジプトのマムルーク朝と敵対した</p>
<p>　　　＝結果的にカザン＝ハンという人の時にイル＝ハン国はイスラーム教を国教に定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カザン＝ハンは、地租を中心とするイスラーム式の税制を導入した</p>
<p>　　→この税制の導入によって、農村の復興を目指した</p>
<p>　　→一方で、イスラーム文化の保護も目指した</p>
<p>　　　＝そのため、モンゴル人の支配のもとにイラン＝イスラーム文化が成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東方のイスラーム世界の概況をおさえる</p>
<p>・セルジューク朝についておさえる</p>
<p>・カラ＝ハン朝とガズナ朝についておさえる</p>
<p>・モンゴル勢力の発達の様子とイル＝ハン国についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/815">東方イスラーム世界の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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