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	<title>アラエス &#187; ササン朝</title>
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	<item>
		<title>イスラーム教の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/812</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/812#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:29:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アラビア半島]]></category>
		<category><![CDATA[アラブ人]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム教]]></category>
		<category><![CDATA[オアシス]]></category>
		<category><![CDATA[コーラン]]></category>
		<category><![CDATA[ササン朝]]></category>
		<category><![CDATA[ヒジュラ]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ムハンマド]]></category>
		<category><![CDATA[紅海貿易]]></category>

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		<description><![CDATA[イスラーム教の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・イスラーム教の誕生について &#160; 　※イスラーム教の流れは、アラビア半島から始まった 　 &#160; &#160; 　・イスラーム教誕生まで [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/812">イスラーム教の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イスラーム教の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イスラーム教の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※イスラーム教の流れは、アラビア半島から始まった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム教誕生までの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・アラビア半島は、多くが砂漠に覆われていた</p>
<p>　　　→アラビア半島には、アラブ人と呼ばれる人達が住んでいて、</p>
<p>　　　　以下のような行動がされていた</p>
<p>　　　　・各地に点在するオアシスを中心に、昔から遊牧や農業生活を営んでいた</p>
<p>　　　　・隊商による商業活動が行なわれていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・６世紀の後半に、ササン朝とビザンツ帝国というところが戦いを繰り返すということが起きた</p>
<p>　　　→すると、絹の道と呼ばれる道が２つの国の国境で途切れてしまった</p>
<p>　　　　＝結果的に、ビザンツ帝国の国力の低下と、ビザンツ帝国が支配していた</p>
<p>　　　　　紅海貿易という貿易も衰退した</p>
<p>　　　　　※そのため、絹の道や海の道と呼ばれる道を通って運ばれていた商品は、</p>
<p>　　　　　　アラビア半島西部を通るようになった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　→この流れの結果、アラビア半島にあったメッカという都市の大商人が</p>
<p>　　　　利益を上げるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、メッカに生まれたクライシュ族という民族の商人であるムハンマドという人が出てきた</p>
<p>　　→ムハンマドは、６１０年ころに唯一神であるアッラーの言葉を</p>
<p>　　　さずけられた預言者だと自覚した</p>
<p>　　　＝その結果、ムハンマドは多神教にかわり、一神教であるイスラーム教を</p>
<p>　　　　唱えるようになっていった　　　　　</p>
<p>　　　　※アッラーは、イスラーム教が成立する前から、メッカの人々によって</p>
<p>　　　　　神の中の最高神として信仰されていた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→ムハンマドは、富を独占していたメッカの大商人を批判していた</p>
<p>　　　※そのため、ムハンマドはメッカの大商人による迫害を受け、</p>
<p>　　　　６２２年に少数の信者を連れて</p>
<p>　　　　メディナというところに移住し、メディナにイスラーム教徒（ムスリム）の</p>
<p>　　　　共同体（ウンマ）を作った</p>
<p>　　　　＝この移住のことを、ヒジュラ（聖遷）という</p>
<p>　　　　　※ヒジュラは太陰暦だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・６３０年に、ムハンマドは死者を出すことなく、メッカを征服した</p>
<p>　　※この時に、多神教の神殿だったカーバを、イスラーム教の聖殿に定めた</p>
<p>　　　→その後、アラブの様々な部族がどんどんとムハンマドの支配下にはいっていった</p>
<p>　　　　＝結果的に、ムハンマドの権威のもとにアラビア半島がゆるやかに統一されていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム教は、「コーラン」という教典があった</p>
<p>　　※「コーラン」は、ムハンマドにくだされた神の言葉を集めたものであり、</p>
<p>　　　アラビア語で記されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ムハンマドは、「旧約聖書」と「新約聖書」を、イスラーム教の前段階の神の啓示の書と</p>
<p>　　　みなしたから、ユダヤ教徒とキリスト教徒は、信仰の自由を認められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※コーランの教義の中心は、アッラーへの絶対的な服従（イスラーム）だった</p>
<p>　　　→その掟は、信仰生活に加えて、政治、社会、文化の活動の</p>
<p>　　　　全てに影響を与えている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イスラーム教の成立過程をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/812">イスラーム教の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/659</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/659#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 29 Sep 2013 18:44:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[アルダシール1世]]></category>
		<category><![CDATA[アレクサンドロス大王]]></category>
		<category><![CDATA[イラン文明]]></category>
		<category><![CDATA[ササン朝]]></category>
		<category><![CDATA[シャープール1世]]></category>
		<category><![CDATA[セレコウス朝]]></category>
		<category><![CDATA[ニハーヴァンドの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[バクトリア]]></category>
		<category><![CDATA[パルティア]]></category>
		<category><![CDATA[マニ教]]></category>

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		<description><![CDATA[パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について考えてみます &#160; &#160; ・パルティアについて &#160; &#160; 　・紀元前３３４年に、マケドニアの王様だったアレクサンドロス大王という人は、 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/659">パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・パルティアについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・紀元前３３４年に、マケドニアの王様だったアレクサンドロス大王という人は、</p>
<p>　　東方の遠征に行き、エジプトを征服した</p>
<p>　　→その後、アケメネス朝のペルシアを滅ぼして、</p>
<p>　　　インドの北西部に進出していった</p>
<p>　　　＝結果的にアレクサンドロス大王は、東西にまたがるほどの大きな帝国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アレクサンドロス大王が亡くなった後、</p>
<p>　　アレクサンドロス大王が征服したアジアの領土については、</p>
<p>　　全ての領土をギリシア系のセレコウス朝に受け継がれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、紀元前３世紀の半ばころに、アム川上流にいたギリシア人が独立して、</p>
<p>　　バクトリアという王国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、遊牧のイラン人の族長だったアルサケスという人が、</p>
<p>　　カスピ海東南部にパルティア（中国名で安息）という国を作った</p>
<p>　　→パルティアは、紀元前２世紀の半ばころに、メソポタミアを自分の地域に併合させた</p>
<p>　　　＝その結果、クテシフォンというところに都を設定し、</p>
<p>　　　　東西貿易の利益を独占して、栄えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ササン朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・農業を土台とするイラン人が、パルティアを倒して、ササン朝という王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝は、アルダシール１世という人が作った</p>
<p>　　→アルダシール１世は、クテシフォンを首都にし、</p>
<p>　　　ゾロアスター教を国の宗教にして、国を統一しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、ササン朝の２代目の皇帝にシャープール１世という人が就いた</p>
<p>　　→シャープール１世は以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・シリアに侵入して、ローマ軍を倒し、</p>
<p>　　　　シリアの皇帝だったウァレリアヌスを捕虜にした</p>
<p>　　　・東方で、インダス川の西岸にまで広がるような広い地域を統合して、</p>
<p>　　　　中央集権的な体制を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝は、５世紀の後半に、中央アジアの遊牧民だったエフタルに侵入された</p>
<p>　　→そこで、ホスロー１世という人の時代の時に、</p>
<p>　　　　トルコ系遊牧民だった突厥と手を組んで、エフタルを倒した</p>
<p>　　→その後、ビザンツ帝国というところとの戦いも有利に進めていき、和平を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、ホスロー１世が亡くなってからは、ササン朝はだんだんと衰えていった</p>
<p>　　→そのため、７世紀の半ばに新しく出てきたイスラーム勢力だったアラブ人によって</p>
<p>　　　征服されて滅んでしまった</p>
<p>　　　※滅亡したのは、６５１年だった</p>
<p>　　　※しかし、６４２年のニハーヴァンドの戦いという出来事の時に</p>
<p>　　　　ササン朝はアラブに負けてしまったので、</p>
<p>　　　　その時にササン朝は、事実上崩壊してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イラン文明について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・パルティアの初期の文化は、ヘレニズムという文化の影響を強く受けていた</p>
<p>　　※そのため、王様は、「ギリシア人を愛するもの」という称号を帯びていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、紀元前１世紀ころに、イランの伝統文化が復活し始めた</p>
<p>　　＝その結果、ギリシアの神々と、イランの神々の両方が、　</p>
<p>　　　一緒にまつられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝の時に、「アヴェスター」という教典が編集された</p>
<p>　　※アヴェスター・・イランの民族的宗教だったゾロアスター教の教典のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・３世紀に、宗教家だったマニという人が、ゾロアスター教、仏教、キリスト教を融合して、</p>
<p>　　独自にマニ教という宗教を作った</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※マニ教について</p>
<p>　　　　・マニ教は、ササン朝の内部では、特殊すぎるということで</p>
<p>　　　　　弾圧されて広まらなかった</p>
<p>　　　　・しかし、北アフリカ、中央アジアなどにマニ教は広まっていった</p>
<p>　　　　・唐の時代の中国にもマニ教は伝えられた</p>
<p>　　　　・アウグスティヌスという人は、カルタゴというところに住んでいた時に</p>
<p>　　　　　マニ教の影響を受けた</p>
<p>　　　　・キリスト教の中で異端派だった派閥（アルビジョワ派など）の一部にも、</p>
<p>　　　　　マニ教の影響が認められている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝時代に、建築、美術、工芸などの分野が発達した</p>
<p>　　→精巧につくられた銀器、ガラス器、彩釉陶器の技術や様式は特に素晴らしく、</p>
<p>　　　様々な場所に受け継がれた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※当時の技術はどこに受け継がれたのか</p>
<p>　　　　・ササン朝の次のイスラーム時代に受け継がれた</p>
<p>　　　　・ビザンツ帝国を通って、地中海世界に受け継がれた</p>
<p>　　　　・南北朝、隋唐時代の中国を通って、飛鳥・奈良時代の日本に受け継がれた</p>
<p>　　　　　※日本で受け継がれて作られた代表的な作品に、</p>
<p>　　　　　　法隆寺の獅子狩文錦、正倉院の漆胡瓶などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・パルティアについておさえる</p>
<p>・ササン朝についておさえる</p>
<p>・イラン文明についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/659">パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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