イスラーム教の誕生について
イスラーム教の誕生について考えてみます
・イスラーム教の誕生について
※イスラーム教の流れは、アラビア半島から始まった
・イスラーム教誕生までの流れについて
・アラビア半島は、多くが砂漠に覆われていた
→アラビア半島には、アラブ人と呼ばれる人達が住んでいて、
以下のような行動がされていた
・各地に点在するオアシスを中心に、昔から遊牧や農業生活を営んでいた
・隊商による商業活動が行なわれていた
・6世紀の後半に、ササン朝とビザンツ帝国というところが戦いを繰り返すということが起きた
→すると、絹の道と呼ばれる道が2つの国の国境で途切れてしまった
=結果的に、ビザンツ帝国の国力の低下と、ビザンツ帝国が支配していた
紅海貿易という貿易も衰退した
※そのため、絹の道や海の道と呼ばれる道を通って運ばれていた商品は、
アラビア半島西部を通るようになった
→この流れの結果、アラビア半島にあったメッカという都市の大商人が
利益を上げるようになっていった
・その後、メッカに生まれたクライシュ族という民族の商人であるムハンマドという人が出てきた
→ムハンマドは、610年ころに唯一神であるアッラーの言葉を
さずけられた預言者だと自覚した
=その結果、ムハンマドは多神教にかわり、一神教であるイスラーム教を
唱えるようになっていった
※アッラーは、イスラーム教が成立する前から、メッカの人々によって
神の中の最高神として信仰されていた
→ムハンマドは、富を独占していたメッカの大商人を批判していた
※そのため、ムハンマドはメッカの大商人による迫害を受け、
622年に少数の信者を連れて
メディナというところに移住し、メディナにイスラーム教徒(ムスリム)の
共同体(ウンマ)を作った
=この移住のことを、ヒジュラ(聖遷)という
※ヒジュラは太陰暦だった
・630年に、ムハンマドは死者を出すことなく、メッカを征服した
※この時に、多神教の神殿だったカーバを、イスラーム教の聖殿に定めた
→その後、アラブの様々な部族がどんどんとムハンマドの支配下にはいっていった
=結果的に、ムハンマドの権威のもとにアラビア半島がゆるやかに統一されていった
・イスラーム教は、「コーラン」という教典があった
※「コーラン」は、ムハンマドにくだされた神の言葉を集めたものであり、
アラビア語で記されていた
※ムハンマドは、「旧約聖書」と「新約聖書」を、イスラーム教の前段階の神の啓示の書と
みなしたから、ユダヤ教徒とキリスト教徒は、信仰の自由を認められた
※コーランの教義の中心は、アッラーへの絶対的な服従(イスラーム)だった
→その掟は、信仰生活に加えて、政治、社会、文化の活動の
全てに影響を与えている
ポイント
・イスラーム教の成立過程をおさえる
このあたりが今回のポイントです