イスラーム世界の成立について
イスラーム世界の成立について考えてみます
・イスラーム世界の成立について
・ムハンマドが死んだ後に、イスラーム教徒は共同体の指導者として、
カリフ(後継者という意味)を選出した
・アラブ人は、カリフの指導のもとに大規模な征服活動(ジハード「聖遷」)を始めて、
以下のようなことが起きた
→・東方で、ササン朝を滅ぼした
・西方で、シリアとエジプトをビザンツ帝国から奪った
=この流れの結果、多くのアラブ人が家族と一緒に征服地に移住した
・しかし、その後にカリフの権利をめぐってイスラーム教徒の間に対立が起こった
※この時に、第4代カリフのアリーという人が暗殺されるということが起きた
→すると、アリーと敵対していたシリアの総督だったムアーウィヤという人は、
661年に、ダマスクスにウマイヤ朝という王朝を作った
=アリーまでの4代のカリフを正統カリフという
・ウマイヤ朝は、8世紀の初めに以下のような動きを見せた
→・東方では、ソクディアナとインド西部を征服した
・西方では、北アフリカを征服した
=その後、711年にイベリア半島というところに進出して、
西ゴート王国というのを滅ぼした
→その後、ウマイヤ朝は何度かフランク王国というところに侵入するということを行った
※しかし、732年にトゥール・ポワティエ間の戦いという戦いに負けてしまった
=その結果、ウマイヤ朝はピレネー山脈の南にしりぞくことになってしまった
・上のような流れを受けて誕生したイスラーム世界では、以下のような動きが見られた
→・アラブ人が帝国を支配する集団になった
・アラブ人は、イスラーム世界のアラブ人以外の民族と異なる特権を与えられた
・イスラーム世界の代表者であるカリフは、征服が拡大すると同時に権力も拡大していった
・国家財政の基礎のために、地租(ハラージュ)と人頭税(ジズヤ)を
征服地の先住民だけに課した
※征服地の先住民は、イスラーム教に改宗しても実際は免除されることはなかった
※イスラーム教の宗派について
・イスラーム教徒は、ウマイヤ朝などを代表とする多数派のスンナ派(スンニー)と、
少数派のシーア派に分かれる
→・スンナ派・・ムハンマドの言行(スンナ)を生活のルールとして、
共同体の統一を重視した
・シーア派・・第4代カリフであったアリーの子孫だけが
共同体を指導する資格があると主張した
=スンナ派とシーア派は対立してきた
ポイント
・イスラーム世界の成立過程をおさえる
・ウマイヤ朝の動きをおさえる
このあたりが今回のポイントです