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	<title>アラエス &#187; トゥール・ポワティエ間の戦い</title>
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	<item>
		<title>フランク王国の発展とイスラームとの関係について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/830</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/830#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:06:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[アタナシウス派]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム]]></category>
		<category><![CDATA[カロリング朝]]></category>
		<category><![CDATA[カール＝マルテル]]></category>
		<category><![CDATA[トゥール・ポワティエ間の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[ブルグンド王国]]></category>
		<category><![CDATA[メロヴィング家]]></category>
		<category><![CDATA[地中海]]></category>
		<category><![CDATA[東ゴート王国]]></category>

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		<description><![CDATA[フランク王国の発展とイスラームとの関係について考えてみます &#160; &#160; ・フランク王国の発展とイスラームとの関係について &#160; &#160; 　・４８１年に全てのフランク人が、メロヴィング家のクロ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/830">フランク王国の発展とイスラームとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランク王国の発展とイスラームとの関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フランク王国の発展とイスラームとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・４８１年に全てのフランク人が、メロヴィング家のクローヴィスという人によって統一された</p>
<p>　　→この動きによって、フランク王国はガリア中部を支配下において、</p>
<p>　　　東ゴート王国にならぶ強国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、他のゲルマン人の多くが異端であるアリウス派キリスト教を信仰していた</p>
<p>　　　→しかし、グローヴィスは正統派のアタナシウス派に改宗した</p>
<p>　　　※この改宗は、後にフランク王国がローマ人貴族を支配層に取り込んで、</p>
<p>　　　　西ヨーロッパの中心勢力になる一因だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・６世紀の半ばに、フランク王国がブルグンド王国などを倒して全てのガリアを統一した</p>
<p>　　※しかし、８世紀になるとメロヴィング朝という王朝の権力が衰えていくようになった</p>
<p>　　　＝その結果、王家の行政と財政の長官である宮宰という役職が</p>
<p>　　　　実権を握るようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でこのころに、アラビア半島から急速に広がって地中海世界に侵入したイスラーム勢力が、</p>
<p>　　フランク王国に近づきつつあった</p>
<p>　　→イスラーム勢力は、ウマイヤ朝時代にアラブ人のイスラーム教徒が北アフリカを西に進み、</p>
<p>　　　イベリア半島に渡って７１１年に西ゴート王国を倒した</p>
<p>　　　※さらに、イスラーム勢力がピレネー山脈を越えてガリアに侵攻しようとしていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→そこで、メロヴィング朝の宮宰であったカール＝マルテルという人が</p>
<p>　　７３２年のトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム軍を倒し、</p>
<p>　　西方キリスト教世界を外敵から守ることに成功した</p>
<p>　　※カール＝マルテルの子どものピピンという人は、</p>
<p>　　　７５１年にメロヴィング朝を廃して王位についた</p>
<p>　　　＝その結果、カロリング朝という王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・今までの様々なゲルマン国家は、大体は旧西ローマ帝国の統治制度を受け継いだ</p>
<p>　　※さらに、地中海商業と都市生活にもとづく地中海世界も基本的にはまだ残っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、イスラーム勢力の侵入と同時に、地中海世界の統一性が崩れ出してきてしまった</p>
<p>　　　＝その結果、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・地中海がイスラーム勢力に支配された</p>
<p>　　　　・キリスト教徒が自由に交通できなくなった</p>
<p>　　　　・地中海の商業圏が衰退してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フランク王国の流れをおさえる</p>
<p>・イスラームの侵入によるヨーロッパの変化をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/830">フランク王国の発展とイスラームとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>イスラーム世界の成立について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/813</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/813#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:34:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム世界]]></category>
		<category><![CDATA[イベリア半島]]></category>
		<category><![CDATA[ウマイヤ朝]]></category>
		<category><![CDATA[カリフ]]></category>
		<category><![CDATA[シーア派]]></category>
		<category><![CDATA[ジハード]]></category>
		<category><![CDATA[スンナ派]]></category>
		<category><![CDATA[トゥール・ポワティエ間の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ムハンマド]]></category>
		<category><![CDATA[西ゴート王国]]></category>

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		<description><![CDATA[イスラーム世界の成立について考えてみます &#160; &#160; ・イスラーム世界の成立について &#160; &#160; 　・ムハンマドが死んだ後に、イスラーム教徒は共同体の指導者として、 　　カリフ（後継者とい [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/813">イスラーム世界の成立について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イスラーム世界の成立について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イスラーム世界の成立について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ムハンマドが死んだ後に、イスラーム教徒は共同体の指導者として、</p>
<p>　　カリフ（後継者という意味）を選出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アラブ人は、カリフの指導のもとに大規模な征服活動（ジハード「聖遷」）を始めて、</p>
<p>　　以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・東方で、ササン朝を滅ぼした</p>
<p>　　　・西方で、シリアとエジプトをビザンツ帝国から奪った</p>
<p>　　　　＝この流れの結果、多くのアラブ人が家族と一緒に征服地に移住した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、その後にカリフの権利をめぐってイスラーム教徒の間に対立が起こった</p>
<p>　　※この時に、第４代カリフのアリーという人が暗殺されるということが起きた</p>
<p>　　　→すると、アリーと敵対していたシリアの総督だったムアーウィヤという人は、</p>
<p>　　　　６６１年に、ダマスクスにウマイヤ朝という王朝を作った</p>
<p>　　　　＝アリーまでの４代のカリフを正統カリフという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ウマイヤ朝は、８世紀の初めに以下のような動きを見せた</p>
<p>　　→・東方では、ソクディアナとインド西部を征服した</p>
<p>　　　・西方では、北アフリカを征服した</p>
<p>　　　　＝その後、７１１年にイベリア半島というところに進出して、</p>
<p>　　　　　西ゴート王国というのを滅ぼした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、ウマイヤ朝は何度かフランク王国というところに侵入するということを行った</p>
<p>　　　※しかし、７３２年にトゥール・ポワティエ間の戦いという戦いに負けてしまった</p>
<p>　　　　＝その結果、ウマイヤ朝はピレネー山脈の南にしりぞくことになってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような流れを受けて誕生したイスラーム世界では、以下のような動きが見られた</p>
<p>　　→・アラブ人が帝国を支配する集団になった</p>
<p>　　　・アラブ人は、イスラーム世界のアラブ人以外の民族と異なる特権を与えられた</p>
<p>　　　・イスラーム世界の代表者であるカリフは、征服が拡大すると同時に権力も拡大していった</p>
<p>　　　・国家財政の基礎のために、地租（ハラージュ）と人頭税（ジズヤ）を</p>
<p>　　　　征服地の先住民だけに課した</p>
<p>　　　　※征服地の先住民は、イスラーム教に改宗しても実際は免除されることはなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※イスラーム教の宗派について</p>
<p>　　・イスラーム教徒は、ウマイヤ朝などを代表とする多数派のスンナ派（スンニー）と、</p>
<p>　　　少数派のシーア派に分かれる</p>
<p>　　　→・スンナ派・・ムハンマドの言行（スンナ）を生活のルールとして、</p>
<p>　　　　　　　　　　　共同体の統一を重視した</p>
<p>　　　　・シーア派・・第４代カリフであったアリーの子孫だけが</p>
<p>　　　　　　　　　　　共同体を指導する資格があると主張した</p>
<p>　　　　　＝スンナ派とシーア派は対立してきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イスラーム世界の成立過程をおさえる</p>
<p>・ウマイヤ朝の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/813">イスラーム世界の成立について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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