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	<title>アラエス &#187; バクトリア</title>
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	<item>
		<title>クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/769</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/769#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 09 Oct 2013 19:09:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[アジア・アメリカ古代史]]></category>
		<category><![CDATA[カニシカ王]]></category>
		<category><![CDATA[ガンダーラ]]></category>
		<category><![CDATA[クシャーナ朝]]></category>
		<category><![CDATA[サータヴァーハナ朝]]></category>
		<category><![CDATA[バクトリア]]></category>
		<category><![CDATA[ヘレニズム]]></category>
		<category><![CDATA[大乗仏教]]></category>

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		<description><![CDATA[クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について考えてみます &#160; &#160; ・クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について &#160; &#160; 　・マウリヤ朝が衰退した時に、紀元前２世紀にバクトリアから 　　ギ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/769">クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・マウリヤ朝が衰退した時に、紀元前２世紀にバクトリアから</p>
<p>　　ギリシア人の勢力が西北インドに出て来た</p>
<p>　　→ギリシア人勢力は西北インドにヘレニズム文化をもたらした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、イラン系遊牧民が西北インドに進出してきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１世紀になると、バクトリア地方からクシャーナ族がインダス川流域に入ってきた</p>
<p>　　＝そして、クシャーナ族がクシャーナ朝という王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→クシャーナ朝の最盛期は、２世紀なかばのカニシカ王という王の時だった</p>
<p>　　　※カニシカ王は、中央アジアからガンジス川中流域にいたる地域を支配した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・クシャーナ朝の特徴として、以下のようなことがあげられる</p>
<p>　　→・クシャーナ朝は、中国とローマを結ぶ交通路の重要な位置だった</p>
<p>　　　　→そのため、クシャーナ朝では国際的な経済活動が活発に行われていた</p>
<p>　　　・ローマの貨幣を参考にして大量の金貨が発行された</p>
<p>　　　　※これは、当時ローマとの交易が盛んであり、大量の金が</p>
<p>　　　　　インドにもたらされたことによる影響だと言われている</p>
<p>　　　　※この時の貨幣には、イランやギリシア、インドなどの文字や神々が描かれていた</p>
<p>　　　　　＝これは、東西の交流が発展していたことを示している</p>
<p>　　　・大乗仏教を保護した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時の宗教について</p>
<p>　　　・紀元前後に、仏教の中から新しい運動が生まれてきた</p>
<p>　　　・今までの仏教は、出家者が厳しい修行を行って自分自身が</p>
<p>　　　　救われることを求めるものだった</p>
<p>　　　・新しい仏教では、様々な人々を救うことを目指した</p>
<p>　　　　→そのため、新しい仏教のような運動を、様々な人々の大きな乗り物</p>
<p>　　　　　という意味を込めて、大乗と呼んだ</p>
<p>　　　　　※大乗仏教に対し、今までの仏教を小乗仏教と呼ぶことがある</p>
<p>　　　　　※小乗仏教は、多くの部派に分かれたが、その中の上座部というのが、</p>
<p>　　　　　　大きな勢力を持つようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・大乗仏教は、小乗仏教を自分だけの悟りを目的とした自己中心的なものだと批判した</p>
<p>　　　　→そのため、大乗仏教は自分の悟りよりも、人々を救うことのほうが大切だと考えていた</p>
<p>　　　　　＝結果的に、出家しないまま修行を行う意義を説いた菩薩信仰が広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・今まではブッダはおそれ多いものとされて、具体的な像が作られることがなかった</p>
<p>　　　　→しかし、ヘレニズム文化の影響を受けて、仏像が生み出されることで</p>
<p>　　　　　信仰されるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・大乗仏教は、クシャーナ朝の保護を受けていることもあり、</p>
<p>　　　　ガンダーラという王国を中心とした仏教美術と一緒に、</p>
<p>　　　　中央アジア、中国、日本などに影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・クシャーナ朝とおなじように勢力を持っていたのは、西北インドから南インドにかけて</p>
<p>　　勢力を持っていたサータヴァーハナ朝という王朝だった</p>
<p>　　→サータヴァーハナ朝では、仏教やジャイナ教の活動がさかんだった</p>
<p>　　→サータヴァーハナ朝のもとで、北インドから南インドへ多くのバラモンが招かれた</p>
<p>　　　＝その結果、北インドと南インドの文化の交流が進むことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・クシャーナ朝についておさえる</p>
<p>・大乗仏教を中心とした当時の宗教の様子についておさえる</p>
<p>・サータヴァーハナ朝についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/769">クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/659</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/659#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 29 Sep 2013 18:44:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[アルダシール1世]]></category>
		<category><![CDATA[アレクサンドロス大王]]></category>
		<category><![CDATA[イラン文明]]></category>
		<category><![CDATA[ササン朝]]></category>
		<category><![CDATA[シャープール1世]]></category>
		<category><![CDATA[セレコウス朝]]></category>
		<category><![CDATA[ニハーヴァンドの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[バクトリア]]></category>
		<category><![CDATA[パルティア]]></category>
		<category><![CDATA[マニ教]]></category>

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		<description><![CDATA[パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について考えてみます &#160; &#160; ・パルティアについて &#160; &#160; 　・紀元前３３４年に、マケドニアの王様だったアレクサンドロス大王という人は、 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/659">パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・パルティアについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・紀元前３３４年に、マケドニアの王様だったアレクサンドロス大王という人は、</p>
<p>　　東方の遠征に行き、エジプトを征服した</p>
<p>　　→その後、アケメネス朝のペルシアを滅ぼして、</p>
<p>　　　インドの北西部に進出していった</p>
<p>　　　＝結果的にアレクサンドロス大王は、東西にまたがるほどの大きな帝国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アレクサンドロス大王が亡くなった後、</p>
<p>　　アレクサンドロス大王が征服したアジアの領土については、</p>
<p>　　全ての領土をギリシア系のセレコウス朝に受け継がれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、紀元前３世紀の半ばころに、アム川上流にいたギリシア人が独立して、</p>
<p>　　バクトリアという王国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、遊牧のイラン人の族長だったアルサケスという人が、</p>
<p>　　カスピ海東南部にパルティア（中国名で安息）という国を作った</p>
<p>　　→パルティアは、紀元前２世紀の半ばころに、メソポタミアを自分の地域に併合させた</p>
<p>　　　＝その結果、クテシフォンというところに都を設定し、</p>
<p>　　　　東西貿易の利益を独占して、栄えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ササン朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・農業を土台とするイラン人が、パルティアを倒して、ササン朝という王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝は、アルダシール１世という人が作った</p>
<p>　　→アルダシール１世は、クテシフォンを首都にし、</p>
<p>　　　ゾロアスター教を国の宗教にして、国を統一しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、ササン朝の２代目の皇帝にシャープール１世という人が就いた</p>
<p>　　→シャープール１世は以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・シリアに侵入して、ローマ軍を倒し、</p>
<p>　　　　シリアの皇帝だったウァレリアヌスを捕虜にした</p>
<p>　　　・東方で、インダス川の西岸にまで広がるような広い地域を統合して、</p>
<p>　　　　中央集権的な体制を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝は、５世紀の後半に、中央アジアの遊牧民だったエフタルに侵入された</p>
<p>　　→そこで、ホスロー１世という人の時代の時に、</p>
<p>　　　　トルコ系遊牧民だった突厥と手を組んで、エフタルを倒した</p>
<p>　　→その後、ビザンツ帝国というところとの戦いも有利に進めていき、和平を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、ホスロー１世が亡くなってからは、ササン朝はだんだんと衰えていった</p>
<p>　　→そのため、７世紀の半ばに新しく出てきたイスラーム勢力だったアラブ人によって</p>
<p>　　　征服されて滅んでしまった</p>
<p>　　　※滅亡したのは、６５１年だった</p>
<p>　　　※しかし、６４２年のニハーヴァンドの戦いという出来事の時に</p>
<p>　　　　ササン朝はアラブに負けてしまったので、</p>
<p>　　　　その時にササン朝は、事実上崩壊してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イラン文明について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・パルティアの初期の文化は、ヘレニズムという文化の影響を強く受けていた</p>
<p>　　※そのため、王様は、「ギリシア人を愛するもの」という称号を帯びていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、紀元前１世紀ころに、イランの伝統文化が復活し始めた</p>
<p>　　＝その結果、ギリシアの神々と、イランの神々の両方が、　</p>
<p>　　　一緒にまつられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝の時に、「アヴェスター」という教典が編集された</p>
<p>　　※アヴェスター・・イランの民族的宗教だったゾロアスター教の教典のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・３世紀に、宗教家だったマニという人が、ゾロアスター教、仏教、キリスト教を融合して、</p>
<p>　　独自にマニ教という宗教を作った</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※マニ教について</p>
<p>　　　　・マニ教は、ササン朝の内部では、特殊すぎるということで</p>
<p>　　　　　弾圧されて広まらなかった</p>
<p>　　　　・しかし、北アフリカ、中央アジアなどにマニ教は広まっていった</p>
<p>　　　　・唐の時代の中国にもマニ教は伝えられた</p>
<p>　　　　・アウグスティヌスという人は、カルタゴというところに住んでいた時に</p>
<p>　　　　　マニ教の影響を受けた</p>
<p>　　　　・キリスト教の中で異端派だった派閥（アルビジョワ派など）の一部にも、</p>
<p>　　　　　マニ教の影響が認められている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ササン朝時代に、建築、美術、工芸などの分野が発達した</p>
<p>　　→精巧につくられた銀器、ガラス器、彩釉陶器の技術や様式は特に素晴らしく、</p>
<p>　　　様々な場所に受け継がれた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※当時の技術はどこに受け継がれたのか</p>
<p>　　　　・ササン朝の次のイスラーム時代に受け継がれた</p>
<p>　　　　・ビザンツ帝国を通って、地中海世界に受け継がれた</p>
<p>　　　　・南北朝、隋唐時代の中国を通って、飛鳥・奈良時代の日本に受け継がれた</p>
<p>　　　　　※日本で受け継がれて作られた代表的な作品に、</p>
<p>　　　　　　法隆寺の獅子狩文錦、正倉院の漆胡瓶などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・パルティアについておさえる</p>
<p>・ササン朝についておさえる</p>
<p>・イラン文明についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/659">パルティアとササン朝・イラン文明の特徴について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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