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	<title>アラエス &#187; プラッシーの戦い</title>
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		<title>近代初期のアジア市場の攻防について②　－イギリス・フランス－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/938</link>
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		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 18:23:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[アンボイナ事件]]></category>
		<category><![CDATA[イギリス]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[プラッシーの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>

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		<description><![CDATA[近代初期のアジア市場の攻防の様子について、イギリス、フランスを中心に考えてみます &#160; &#160; ・イギリスとフランスについて &#160; &#160; &#160; 　・イギリスは、アンボイナ事件以降、イ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/938">近代初期のアジア市場の攻防について②　－イギリス・フランス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代初期のアジア市場の攻防の様子について、イギリス、フランスを中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスとフランスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスは、アンボイナ事件以降、インド経営に力を注いだ</p>
<p>　　※中でも、マドラス、ボンベイ、カルカッタを基地として、さかんな通商活動を展開した</p>
<p>　　　→その後、３回の対オランダ戦争を通して、１７世紀の終わりに世界貿易の権力を握った</p>
<p>　　　　＝このイギリスの最後の競争相手になったのがフランスだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※フランス東インド会社は、１７世紀の初めに作られながらも、</p>
<p>　　　すぐに活動を停止してしまった</p>
<p>　　　→その後、フランス東インド会社は１６６４年に再建されて、</p>
<p>　　　　コルベールのもとでインドに進出した</p>
<p>　　　　＝フランスは結果的に、ポンディシェリ、シャンデルナゴルを基地として</p>
<p>　　　　　イギリスと対抗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスとフランスは、ムガル帝国の皇帝や地方政権の許可のもとでインドに進出した</p>
<p>　　※しかし、帝国が内紛になると、地方の豪族も巻き込んだ勢力争いを繰り返していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８世紀にイギリスとフランスは、北アメリカなど世界の他の地域でも</p>
<p>　　衝突を繰り返していた</p>
<p>　　→そのため、ヨーロッパで戦争が起こると、海外にも戦争が広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　※七年戦争の時に、インドでは、以下のようなことが起きていた</p>
<p>　　→・クライヴという人が、イギリス東インド会社の傭兵軍を引き連れていた</p>
<p>　　　・クライヴが、フランスと地方政権の連合軍を</p>
<p>　　　　１７５７年のプラッシーの戦いで打ち破った</p>
<p>　　　　＝結果的に、イギリス領インドの基礎をきずいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イギリスとフランスの様子をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/938">近代初期のアジア市場の攻防について②　－イギリス・フランス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/902</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/902#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 07:42:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[アウラングゼーブ帝]]></category>
		<category><![CDATA[インド]]></category>
		<category><![CDATA[オーストリア継承戦争]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[プラッシーの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[マイソール戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ムガル帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァスコ＝ダ＝ガマ]]></category>
		<category><![CDATA[七年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>

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		<description><![CDATA[西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます &#160; &#160; ・西ヨーロッパ勢力の進出について &#160; 　※西欧の国々の進出までの流れについて 　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/902">西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ヨーロッパ勢力の進出について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※西欧の国々の進出までの流れについて</p>
<p>　　・西欧の勢力が進出する以前のインド洋世界には、港市を結ぶネットワークが形成されていた</p>
<p>　　　→このネットワークでは、ムスリム商人やインド商人が活躍していた</p>
<p>　　・１５世紀の終わりにヴァスコ＝ダ＝ガマという人によってインドへの直接の航路が</p>
<p>　　　発見されるようになった</p>
<p>　　　→すると、ヨーロッパの商業勢力がインド洋世界への新たな参加者として登場した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ヨーロッパ勢力の動きとインドの植民地化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの商業勢力の活動が本格化する１７世紀から１８世紀にかけてのインドは、</p>
<p>　　商品経済の発展を背景に、各地で政治経済活動が活発化し、</p>
<p>　　地方政権が力をつけていった時期だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・オランダ、イギリス、フランスなど、ヨーロッパ各国の東インド会社が、</p>
<p>　　以下のようなことを行っていた</p>
<p>　　→・ヨーロッパで需要が大きかったインド産の綿布の獲得を目指していた</p>
<p>　　　・そこで、インドに各地に着々と商館を建設し、商業活動を拡大した</p>
<p>　　　・その対価として、インドへ金や銀を大量に持ち込んできた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝このような、綿布を中心の輸出商品とする対外交易の拡大と、大量の金や銀の流入は、</p>
<p>　　　農業生産物を現物で分配するということを基礎として成り立ってきたという</p>
<p>　　　今までのインド経済の構造に大きな変化をもたらす要因になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方政権の台頭に悩まされていたアウラングゼーブ帝が１８世紀の初めに死去する</p>
<p>　　ということが起きた</p>
<p>　　→すると、ムガル帝国は支配領域をまとめていく政治的な力を急速に失っていった</p>
<p>　　　＝結果的に、ムガル帝国は名目的な存在になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、地方の様々な勢力は、独立性をさらに高めていった</p>
<p>　　※そのため、お互いに軍事的な抗争を繰り返すようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヨーロッパの国々のうち、イギリスとフランスの両方の東インド会社は、</p>
<p>　　１８世紀にはいってからも活発な商業活動を続けていた</p>
<p>　　→両方の東インド会社は、これらの抗争に関わらないでいつづけることが出来ず、</p>
<p>　　　だんだんと抗争に巻き込まれていった</p>
<p>　　　※さらに、両方の東インド会社は、インドとは無関係のヨーロッパでの対立を</p>
<p>　　　　持ち込むこともあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような対立の例として、以下のようなものがある</p>
<p>　　　・１８世紀のなかばに、インド南部のカーナティックと呼ばれた地域を舞台に、</p>
<p>　　　　オーストリア継承戦争や七年戦争と関連してイギリス、フランス、インドなどの</p>
<p>　　　　地方勢力が入り乱れて繰り広げられた戦争</p>
<p>　　　・インド東部でベンガル地方政権とフランスとの連合勢力がイギリスと抗争した</p>
<p>　　　　１７５７年のプラッシーの戦い</p>
<p>　　　　＝結局、軍事力と資金力が高かったイギリスは、１７６３年のパリ条約で</p>
<p>　　　　　インドでのイギリスとフランスとの戦いに決着をつけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→イギリスは、他のような争いも起きた</p>
<p>　　　・インドの様々な勢力に対して、１７６５年にイギリスは東部でベンガルとビバールの</p>
<p>　　　　両方の地域の徴税権を獲得して、財政基盤を確保した</p>
<p>　　　・南部で４回にわたるマイソール戦争、西部でのマラーター戦争、</p>
<p>　　　　西北部でのシク王国との戦争でイギリスはそれぞれ勝利をおさめた</p>
<p>　　　　＝結果的にイギリスは、１９世紀の半ばにインド全域を支配することに成功した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような流れを受けてイギリスは、一部は藩王国として間接統治とし、</p>
<p>　　　他は直接支配するという体制を作った</p>
<p>　　　※この体制によって、インドの政治的植民地化を完成させたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・西欧の国々の進出についておさえる</p>
<p>・イギリスがインドを支配するまでの流れをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/902">西ヨーロッパ勢力の進出とインドの植民地化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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