近代初期のアジア市場の攻防について② -イギリス・フランス-
近代初期のアジア市場の攻防の様子について、イギリス、フランスを中心に考えてみます
・イギリスとフランスについて
・イギリスは、アンボイナ事件以降、インド経営に力を注いだ
※中でも、マドラス、ボンベイ、カルカッタを基地として、さかんな通商活動を展開した
→その後、3回の対オランダ戦争を通して、17世紀の終わりに世界貿易の権力を握った
=このイギリスの最後の競争相手になったのがフランスだった
※フランス東インド会社は、17世紀の初めに作られながらも、
すぐに活動を停止してしまった
→その後、フランス東インド会社は1664年に再建されて、
コルベールのもとでインドに進出した
=フランスは結果的に、ポンディシェリ、シャンデルナゴルを基地として
イギリスと対抗した
・イギリスとフランスは、ムガル帝国の皇帝や地方政権の許可のもとでインドに進出した
※しかし、帝国が内紛になると、地方の豪族も巻き込んだ勢力争いを繰り返していった
・18世紀にイギリスとフランスは、北アメリカなど世界の他の地域でも
衝突を繰り返していた
→そのため、ヨーロッパで戦争が起こると、海外にも戦争が広がっていった
※七年戦争の時に、インドでは、以下のようなことが起きていた
→・クライヴという人が、イギリス東インド会社の傭兵軍を引き連れていた
・クライヴが、フランスと地方政権の連合軍を
1757年のプラッシーの戦いで打ち破った
=結果的に、イギリス領インドの基礎をきずいた
ポイント
・イギリスとフランスの様子をおさえる
このあたりが今回のポイントです