近代初期のアジア市場の攻防について② -イギリス・フランス-

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投稿者:       投稿日時:2013/10/15 03:23      
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近代初期のアジア市場の攻防の様子について、イギリス、フランスを中心に考えてみます

 

 

・イギリスとフランスについて

 

 

 

 ・イギリスは、アンボイナ事件以降、インド経営に力を注いだ

  ※中でも、マドラス、ボンベイ、カルカッタを基地として、さかんな通商活動を展開した

   →その後、3回の対オランダ戦争を通して、17世紀の終わりに世界貿易の権力を握った

    =このイギリスの最後の競争相手になったのがフランスだった

 

  ※フランス東インド会社は、17世紀の初めに作られながらも、

   すぐに活動を停止してしまった

   →その後、フランス東インド会社は1664年に再建されて、

    コルベールのもとでインドに進出した

    =フランスは結果的に、ポンディシェリ、シャンデルナゴルを基地として

     イギリスと対抗した

 

 

 

 ・イギリスとフランスは、ムガル帝国の皇帝や地方政権の許可のもとでインドに進出した

  ※しかし、帝国が内紛になると、地方の豪族も巻き込んだ勢力争いを繰り返していった

 

 ・18世紀にイギリスとフランスは、北アメリカなど世界の他の地域でも

  衝突を繰り返していた

  →そのため、ヨーロッパで戦争が起こると、海外にも戦争が広がっていった

 

  

 ※七年戦争の時に、インドでは、以下のようなことが起きていた

  →・クライヴという人が、イギリス東インド会社の傭兵軍を引き連れていた

   ・クライヴが、フランスと地方政権の連合軍を

    1757年のプラッシーの戦いで打ち破った

    =結果的に、イギリス領インドの基礎をきずいた

 

 

ポイント

・イギリスとフランスの様子をおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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