近代初期のアジア市場の攻防について① -ポルトガル・オランダ-
近代初期のアジア市場の攻防の様子について、ポルトガル、オランダを中心に考えてみます
・アジア市場の攻防の様子について
・ヨーロッパ人がアジアに進出した当初は、既存のアジア内貿易に参加する形が中心だった
※領土の支配が重視されるようになったのは、18世紀以降だった
・ポルトガルについて
・インド航路を開拓したポルトガルは、1510年にインドのゴアを占領した
※ポルトガルは、ゴアをアジア貿易の根拠地とした
→そしてポルトガルは、それまで香辛料貿易を独占していたムスリム商人と競合しつつ、
スリランカ、マラッカ、モルッカ諸島なども支配下においた
・1517年に、ポルトガルは広州で明と通商を開いた
→その後、1557年にはマカオに居住権を得て、
マカオを拠点に対中国貿易を繰り広げていった
・1543年にポルトガル人の乗った船が種子島に着いたのをきっかけに、
ポルトガル人が平戸に来航した
※ポルトガル人は、17世紀の初めまで日本と通商関係を持っていた
→しかし、アジアにおけるポルトガルの勢力は、
その貿易が王室の独占事業で国内産業の発展につながらなかった
=そのため、長続きしなかった
・一方で、スペインは、フェリペ2世の時代にフィリピンを領有した
→その後、フィリピンをメキシコと結んで、マニラを拠点としたアジアの貿易を行った
・オランダについて
・オランダは、1602年に東インド会社を設立してアジアに進出した
→その後、ジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)を根拠地に、
ポルトガル人を排除しつつ、香辛料貿易の実験を握っていった
・また、アンボイナ事件をきっかけに、イギリスの勢力をインドネシアから締め出した
→さらに、後のオランダ領東インドの基礎を固めた
→そして、1652年にアジアへの中継地として南アフリカにケープ植民地をきずいた
※アンボイナ事件・・1623年に、インドメシア東部のモルッカ諸島のアンボイナ島で、
オランダ商館襲撃の陰謀を理由にして、雇用日本人を含む
イギリス商館員の多くをオランダ人が殺害した事件のこと
・1639年に日本の「鎖国」の体制が完成した後も、日本との貿易を許されたオランダは、
一時的に台湾も占領した
ポイント
・アジア市場について、ポルトガルとオランダをおさえる
このあたりが今回のポイントです