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	<title>アラエス &#187; モンゴル</title>
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	<item>
		<title>モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/810</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/810#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 14:02:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[イスラム教]]></category>
		<category><![CDATA[イル＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[キプチャク＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[チャガタイ＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[パスパ文字]]></category>
		<category><![CDATA[マルコ＝ポーロ]]></category>
		<category><![CDATA[モスクワ大公国]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ9世]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ教皇]]></category>

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		<description><![CDATA[モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について考えてみます &#160; &#160; ・モンゴル時代のヨーロッパとの交流の様子について &#160; &#160; 　・モンゴル帝国が出来たことで、東西の交通網が整 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/810">モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・モンゴル時代のヨーロッパとの交流の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル帝国が出来たことで、東西の交通網が整備されたことがあり、</p>
<p>　　東西の文化の交流が盛んになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、西ヨーロッパは、イスラーム地域を占領したモンゴル帝国に関心を持っていた</p>
<p>　　→そのため、西ヨーロッパの人達は、以下のような動きをおこした</p>
<p>　　　・ローマ教皇・・プラノ＝カルピエという人を使節としてモンゴル高原に送った</p>
<p>　　　・フランスの王であったルイ９世・・ルブルックという人を使節として</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　モンゴル高原に送った</p>
<p>　　　　※イタリアの商人だったマルコポーロという人は、大都に来て元につかえ、</p>
<p>　　　　　その様子をまとめた「世界の記述」（「東方見聞録」）という作品を書いた</p>
<p>　　　</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の宗教と文化の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル帝国は、一時期イスラーム教を圧迫するということが起きた</p>
<p>　　→その後、キプチャク＝ハン国が、さらにその後イル＝ハン国が、</p>
<p>　　　イスラーム教を保護するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、元に来た色目人にイスラーム教徒が多かった</p>
<p>　　→そのため、中国にもイスラーム教が広がっていった</p>
<p>　　　※イスラームの天文学を取り入れて、郭守敬という人が作った授時暦というのは、</p>
<p>　　　　後に日本にも取り入れられた</p>
<p>　　　　＝授時暦は、江戸時代の貞享暦を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・元からイル＝ハン国に中国絵画が伝えられた</p>
<p>　　→この中国絵画が、イランで発達した細密画（ミニチュアール）というのに</p>
<p>　　　大きな影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イル＝ハン国は、初期にネストリウス派という派閥のキリスト教を保護していた</p>
<p>　　※イル＝ハン国は、このキリスト教をヨーロッパのキリスト教諸国や</p>
<p>　　　ローマ教皇庁と使節を交換した</p>
<p>　　　＝この交換がきっかけになって、１３世紀の末にモンテ＝コルヴィノという人が派遣され、</p>
<p>　　　　大都の大司教になった</p>
<p>　　　　→この動きによって、初めて中国でカトリックが布教された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル支配下の地域では、漢語、チベット語、トルコ語、ペルシア語、ロシア語、</p>
<p>　　ラテン語など、様々な言語が使われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、モンゴル語を表記するパスパ文字という文字もあった</p>
<p>　　※パスパ文字は、フビライの師匠だったチベット仏教の教主であるパスパという人が</p>
<p>　　　作ったものだった</p>
<p>　　　＝しかし、結果的にパスパ文字は廃れ、ウイグル文字でモンゴル語で表記することが</p>
<p>　　　　普通になった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・モンゴル帝国の解体について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１４世紀に入ると、以下の大きな２つのことが起きた</p>
<p>　　→・ユーラシア全域で天災が続いた</p>
<p>　　　・モンゴル支配下の各地で、内紛によって政権が揺らぎ始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この時期に、以下のような様々な争いと動きが見られるようになった</p>
<p>　　→・チャガタイ＝ハン国では、分裂争いの中から、ティムールというところが出てきた</p>
<p>　　　　※この動きは、イル＝ハン国の支配していたイラン・イラクにまでいたる広大な地域に</p>
<p>　　　　　領土を広げていった</p>
<p>　　　・キプチャク＝ハン国では、１４世紀なかばころから内紛によって</p>
<p>　　　　政権のつながりが緩んできた</p>
<p>　　　　※この時に、モスクワ大公国が段々と勢力を伸ばしていった</p>
<p>　　　・中国では、放漫な財政や内紛などの影響で、元の統治が揺らぎ始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※さらに、この時期は交鈔の大量発行や専売制度の強化による飢饉などによって、</p>
<p>　　民衆が苦しめられていた</p>
<p>　　→そのため、紅巾の乱などを始めとして各地で反乱が起きるようになった</p>
<p>　　　＝結果的に、１３６８年に元は明軍に大都を奪われて、</p>
<p>　　　　モンゴル高原に退くことになってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・モンゴル時代のヨーロッパとの交流の様子についておさえる</p>
<p>・当時の宗教と文化の様子についておさえる</p>
<p>・モンゴル帝国の解体についておさえる</p>
<p>　</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/810">モンゴル時代のユーラシアとモンゴル帝国の解体について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>モンゴルの民族と帝国について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/808</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/808#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 10:00:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[内陸アジア史]]></category>
		<category><![CDATA[ウイグル人]]></category>
		<category><![CDATA[オゴダイ]]></category>
		<category><![CDATA[チンギス＝ハン]]></category>
		<category><![CDATA[テムジン]]></category>
		<category><![CDATA[ハイドゥ]]></category>
		<category><![CDATA[ホラズム]]></category>
		<category><![CDATA[モンゴル]]></category>
		<category><![CDATA[ワールシュタットの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[千戸制]]></category>
		<category><![CDATA[遼]]></category>

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		<description><![CDATA[モンゴルの民族と帝国について考えてみます &#160; &#160; &#160; ・モンゴルの民族と帝国について &#160; &#160; 　・モンゴル高原では、９世紀なかごろにウイグル人が滅亡した後は、統一勢力が出 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/808">モンゴルの民族と帝国について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>モンゴルの民族と帝国について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・モンゴルの民族と帝国について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モンゴル高原では、９世紀なかごろにウイグル人が滅亡した後は、統一勢力が出てこなかった</p>
<p>　　※このとき、様々な部族の多くは遼（契丹）に服従していた</p>
<p>　　　→その後、１２世紀初めに遼が滅ぶということが起きた</p>
<p>　　　　＝その結果、モンゴル高原の様々な部族の間で統合の動きが強まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらにその後、高原東北部のモンゴル部族の間で、テムジンという人が勢力をのばしてきた</p>
<p>　　→テムジンは、１２０６年のクリルタイでハンという位についた</p>
<p>　　　※このときに位についたテムジンを、チンギス＝ハン（成吉思汗）という</p>
<p>　　　　＝チンギス＝ハンは、モンゴル系、トルコ系の様々な部族を統一してモンゴル帝国を作った</p>
<p>　　　　　※・クリルタイ・・モンゴル語で集会という意味</p>
<p>　　　　　　・ハン・・遊牧民の間で使われていた、君主の称号のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　→チンギス＝ハンは、千戸制を採用した</p>
<p>　　　※千戸制・・帝国の軍事や行政の組織として、全部の遊牧民を１０００戸単位で</p>
<p>　　　　　　　　　編成する制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チンギス＝ハンを中心としたモンゴルの騎馬軍は、草原やオアシス地帯に支配を広げていった</p>
<p>　　→その後、騎馬軍はホラズムという国家を倒して、西北インドに侵入していった</p>
<p>　　　＝そして、結果的に西夏を滅ぼした</p>
<p>　　　　※ホラズム・・西遼を奪ったナイマン、西トルキスタン、イランなどの方面に</p>
<p>　　　　　　　　　　　誕生した新興国家のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チンギス＝ハンの死後に、オゴダイという人が即位した</p>
<p>　　→オゴダイは、金を滅ぼして華北を占拠すると同時に、カラコルムというところに都をおいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、バトゥという人が連れていた軍が、西北ユーラシアの草原を制圧して</p>
<p>　　東欧に侵入するということが起きた</p>
<p>　　→その後バトゥは、１２４１年のワールシュタットの戦いという戦いで</p>
<p>　　　ドイツとポーランドの連合軍を倒してヨーロッパに驚きを与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そして、西アジアでフラグという人がバグダードというところを占領して、</p>
<p>　　アッバース朝という王朝を倒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のような動きの結果、１３世紀のなかばまでにモンゴルの支配が、</p>
<p>　　　東は中国北部から、西はロシアやイランにいたるほどの広大な領域に広がっていった</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→モンゴルの支配していた広大な領土の中には、チンギス＝ハンの子孫達が</p>
<p>　　統治する地方的な政権が作られた</p>
<p>　　※当時、チンギス＝ハンの子孫達が統治していたものには、以下のようなものがある</p>
<p>　　　・イランやイラクの方面にあったイル＝ハン国</p>
<p>　　　・南ロシアにあったキプチャク＝ハン国</p>
<p>　　　・中央アジアにあったチャガタイ＝ハン国　　など</p>
<p>　　　　＝当時のモンゴルは、これらの国が大ハンを中心にして緩やかに連合するという形だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、上のような勢力の間では、大ハン位をめぐる相続争いもしばしば起きていた</p>
<p>　　　→代表的なものに、ハイドゥという人とフビライという人との争いがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・モンゴルの民族と帝国についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/808">モンゴルの民族と帝国について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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