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	<title>アラエス &#187; ヤマト政権</title>
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		<title>古墳時代について②　－ヤマト政権の政治スタイルと地方の政治の様子－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1107</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1107#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 20 Oct 2013 21:13:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[緑の葉っぱ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古墳時代]]></category>
		<category><![CDATA[ヤマト政権]]></category>
		<category><![CDATA[ワカタケル大王]]></category>
		<category><![CDATA[倭の五王]]></category>
		<category><![CDATA[倭王武]]></category>
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		<category><![CDATA[屯倉]]></category>
		<category><![CDATA[氏姓制度]]></category>
		<category><![CDATA[磐井の乱]]></category>
		<category><![CDATA[臣]]></category>

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		<description><![CDATA[古墳時代について、ヤマト政権の政治スタイルと地方の政治の様子について考えてみます &#160; &#160; ・ヤマト政権の政治制度について &#160; 　・倭の五王が中国の南朝に朝貢したことで、倭の五王と認められた  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1107">古墳時代について②　－ヤマト政権の政治スタイルと地方の政治の様子－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>古墳時代について、ヤマト政権の政治スタイルと地方の政治の様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ヤマト政権の政治制度について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・倭の五王が中国の南朝に朝貢したことで、倭の五王と認められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・倭の王の権力が勢力を広げていって、地方豪族を倭の王に従わせるようになった</p>
<p>　　→５世紀の後半から、６世紀にかけて、大王が中心のヤマト政権が</p>
<p>　　　地方の豪族を従わせる支配の仕組みを作っていった</p>
<p>　　→支配したことは、埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣と熊本県の江田船山古墳の鉄刀に、</p>
<p>　　　「獲加多支鹵大王」（ワカタケル大王）という大王の名前と、</p>
<p>　　　大王に協力した豪族の名前が書いてあることからわかる</p>
<p>　　　※ここでの大王は、倭王武（＝雄略天皇）である</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・氏姓制度という支配の仕組みを作った</p>
<p>　</p>
<p>　　※氏姓制度について</p>
<p>　　　・豪族は氏（血縁関係をもとにして作られた組織のこと）にまとめられ、</p>
<p>　　　　氏ごとにヤマト政権の仕事を分けた</p>
<p>　　　　→その時に、大王が豪族に姓（カバネ）を与えて、順序をつけた</p>
<p>　　　　　※姓の呼び名について</p>
<p>　　　　　　・近畿とその周辺の有力な豪族（蘇我など）→臣</p>
<p>　　　　　　・決まった職務を行う豪族（大伴、物部など）→連</p>
<p>　　　　　　・地方の有力豪族→君</p>
<p>　　　　　　・一般の地方豪族→直</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※中央の政治について</p>
<p>　　　・中央の政治は、臣と連の姓の豪族から、大臣、大連が任命されて、政治を行った</p>
<p>　　　　→その下の位の伴造が、伴やそれを支える部という集団を連れて</p>
<p>　　　　　軍事、財政、祭祀、外交などの仕事を行った</p>
<p>　　　　　※渡来人も伴造や伴に組み込まれ、品部という職能集団が伴造や伴を支えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方の政治について</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・大王の権力の拡大に対しては、地方の豪族の抵抗があった</p>
<p>　　　※抵抗が大きくなって起きた出来事として、磐井の乱という戦いがあった</p>
<p>　　　　・磐井の乱・・６世紀初めに、筑紫国造磐井という豪族が新羅と手を組んで起こした</p>
<p>　　　　　　　　　　　大きな戦乱のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　→磐井の乱は、大王の軍が２年かけて制圧してしまったため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　新羅側は負けに終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ヤマト政権は、地方の豪族の抵抗を排除しながら、</p>
<p>　　　地方豪族をヤマト政権に従わせるようにしていった</p>
<p>　　　→排除と同時に、ヤマト政権の直轄領として屯倉を、直轄民として名代・子代を</p>
<p>　　　　地方の各地に作っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・６世紀に、地方豪族を国造（各地域の支配者）に任命して、</p>
<p>　　　その地方を支配する権利をヤマト政権から保障された</p>
<p>　　　※その代わり、地方豪族の子供を舎人（中央政府で仕事をする人のこと）として、</p>
<p>　　　　ヤマト政権に送り、地方の特産物を献上すること、屯倉や名代・子代の管理をすること、</p>
<p>　　　　軍事行動をすることなどを通して、ヤマト政権に貢献することにもなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・地方の豪族は、田荘という私有地や部曲という私有民を経済的な基盤として使っていた</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※当時の土地と人の支配は、ヤマト政権も地方も私地私民だった　</p>
<p>　※氏には、奴（奴婢）という奴隷が存在していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・古墳の変化を押さえる</p>
<p>・古墳時代の人々の生活様式を押さえる</p>
<p>・ヤマト政権の政治スタイルを、中央と地方でそれぞれ押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1107">古墳時代について②　－ヤマト政権の政治スタイルと地方の政治の様子－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>古墳とヤマト政権について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1104</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1104#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 20 Oct 2013 20:38:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[緑の葉っぱ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古墳時代]]></category>
		<category><![CDATA[ヤマト政権]]></category>
		<category><![CDATA[三角縁神獣鏡]]></category>
		<category><![CDATA[前方後円墳]]></category>
		<category><![CDATA[古墳]]></category>
		<category><![CDATA[埴輪]]></category>
		<category><![CDATA[大仙陵古墳]]></category>
		<category><![CDATA[横穴式石室]]></category>
		<category><![CDATA[箸墓古墳]]></category>
		<category><![CDATA[粘土槨]]></category>
		<category><![CDATA[豪族]]></category>

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		<description><![CDATA[古墳とヤマト政権について考えてみます &#160; &#160; ・ヤマト政権について &#160; &#160; 　・ヤマト政権が出来るまでの流れについて &#160; 　　・３世紀の後半に、より大きな古墳（代表的なも [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1104">古墳とヤマト政権について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>古墳とヤマト政権について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ヤマト政権について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヤマト政権が出来るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・３世紀の後半に、より大きな古墳（代表的なものに前方後円墳や前方後方墳など）が</p>
<p>　　　西日本を中心に出てきた</p>
<p>　　　→当時の古墳には、長い木棺を竪穴式石室に納めるという埋葬施設があったり、</p>
<p>　　　　多くの呪術的な副葬品があったりした</p>
<p>　　　　＝当時の古墳には、画一的な特徴があったと考えられている</p>
<p>　　</p>
<p>　　※古墳が出来るようになった背景として、幅広い政治連合が作られていたことが</p>
<p>　　　考えられている</p>
<p>　　　→政治連合の王様を埋葬するために、大きな墓を作った</p>
<p>　　　　＝墓の大きさが、埋葬された人の力を表していた　　　</p>
<p>　　</p>
<p>　　・古墳が出てきた時に、最も大きかった古墳は、大和地方（奈良県）にある</p>
<p>　　　箸墓古墳という古墳だった</p>
<p>　　　→これは、その当時の政治の連合が、大和地方を中心とした勢力によって</p>
<p>　　　　作られたものだからだと言われている</p>
<p>　　　　＝このような、大和地方を中心とする政治連合のことを、ヤマト政権と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・古墳について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・古墳には、前方後円墳、円墳、方墳など、様々な種類があるが、</p>
<p>　　大きな古墳は基本的に前方後円墳だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・古墳の周りには、埴輪が並べられた</p>
<p>　　→古墳時代の前期には器材埴輪という埴輪が、後期には形象埴輪という埴輪が置かれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・墳丘の周りに濠をめぐらせたものも多い</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・前期は粘土槨（棺を粘土で覆ったもの）や竪穴式石室など、竪穴系のものが作られ、</p>
<p>　　後期は横穴式石室が増えた</p>
<p>　　※横穴式石室は、墓を置く部屋である玄室と墳丘の外とを結ぶ通路（羨道）があるため、</p>
<p>　　　追葬が出来るようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・副葬品は、前期は三角縁神獣鏡などの、大量の銅鏡や鉄製の農工具など、</p>
<p>　　呪術や宗教の色合いが強いものが多かった</p>
<p>　　→前期に古墳に埋葬された人（＝各地の王）は司祭者のような性格が</p>
<p>　　　あったのではないかと考えられている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・副葬品は、中期は馬具なども追加されるようになっていった</p>
<p>　　→中期に古墳に埋葬された人は武人のような性格が</p>
<p>　　　強くなったのではないかと考えられている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・現段階で最大の規模となる古墳は、中期に作られた</p>
<p>　　大阪府の大仙陵古墳（現在は仁徳天皇陵）という古墳だった</p>
<p>　　→このような大規模な古墳は、大王（ヤマト政権の中心人物）の墓だと考えられている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本にある古墳で大きなものは、近畿地方に多い</p>
<p>　　＝近畿地方に存在する豪族が重要だったと考えられている　</p>
<p>　　　※豪族・・その地方に住んでいる人の中で、財力や勢力がある一族のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・古墳についておさえる</p>
<p>・ヤマト政権についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1104">古墳とヤマト政権について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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