古墳とヤマト政権について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/21 05:38      
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古墳とヤマト政権について考えてみます

 

 

・ヤマト政権について

 

 

 ・ヤマト政権が出来るまでの流れについて

 

  ・3世紀の後半に、より大きな古墳(代表的なものに前方後円墳や前方後方墳など)が

   西日本を中心に出てきた

   →当時の古墳には、長い木棺を竪穴式石室に納めるという埋葬施設があったり、

    多くの呪術的な副葬品があったりした

    =当時の古墳には、画一的な特徴があったと考えられている

  

  ※古墳が出来るようになった背景として、幅広い政治連合が作られていたことが

   考えられている

   →政治連合の王様を埋葬するために、大きな墓を作った

    =墓の大きさが、埋葬された人の力を表していた   

  

  ・古墳が出てきた時に、最も大きかった古墳は、大和地方(奈良県)にある

   箸墓古墳という古墳だった

   →これは、その当時の政治の連合が、大和地方を中心とした勢力によって

    作られたものだからだと言われている

    =このような、大和地方を中心とする政治連合のことを、ヤマト政権と言う

 

 

 

 

・古墳について

 

 ・古墳には、前方後円墳、円墳、方墳など、様々な種類があるが、

  大きな古墳は基本的に前方後円墳だった

 

 ・古墳の周りには、埴輪が並べられた

  →古墳時代の前期には器材埴輪という埴輪が、後期には形象埴輪という埴輪が置かれた

 

 ・墳丘の周りに濠をめぐらせたものも多い

 

 ・前期は粘土槨(棺を粘土で覆ったもの)や竪穴式石室など、竪穴系のものが作られ、

  後期は横穴式石室が増えた

  ※横穴式石室は、墓を置く部屋である玄室と墳丘の外とを結ぶ通路(羨道)があるため、

   追葬が出来るようになった

 

 ・副葬品は、前期は三角縁神獣鏡などの、大量の銅鏡や鉄製の農工具など、

  呪術や宗教の色合いが強いものが多かった

  →前期に古墳に埋葬された人(=各地の王)は司祭者のような性格が

   あったのではないかと考えられている

 

 ・副葬品は、中期は馬具なども追加されるようになっていった

  →中期に古墳に埋葬された人は武人のような性格が

   強くなったのではないかと考えられている

 

 ・現段階で最大の規模となる古墳は、中期に作られた

  大阪府の大仙陵古墳(現在は仁徳天皇陵)という古墳だった

  →このような大規模な古墳は、大王(ヤマト政権の中心人物)の墓だと考えられている

 

 ・日本にある古墳で大きなものは、近畿地方に多い

  =近畿地方に存在する豪族が重要だったと考えられている 

   ※豪族・・その地方に住んでいる人の中で、財力や勢力がある一族のこと

 

 

 

ポイント

・古墳についておさえる

・ヤマト政権についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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