古墳時代について① -古墳の変化と人々の生活様式-
古墳時代について、古墳の変化と人々の生活様式について考えてみます
・古墳の変化について
・基本的に、竪穴式石室ではなく、横穴式石室が一般化した
・大量の土器を副葬する風習が出てきた
・埴輪は、円筒埴輪や器材埴輪から、形象埴輪に変わっていった
・古墳が、地域によって特徴が出てきた
※・九州北部では、古墳の周りに石人や石馬が建てられるようになった
・九州、茨城、福島などでは、装飾古墳が出てきた
※装飾古墳・・石室や横穴の墓室に、彩色や線刻された壁画がある古墳のこと
・古墳と政治との関係について(5世紀後半~6世紀)
・近畿では、大きな前方後円墳が大量にあったが、吉備地方(岡山県、広島県東部)では、
大きな前方後円墳が見られなくなった
→このことから、ヤマト政権のスタイルが大きく変わったことがわかる
=昔は、各地の豪族が協力して政権をコントロールするスタイルだったが、
変化後は、大王が中心の近畿地方に各地の豪族が従う、
というようにスタイルが変わっていった
・ヤマト政権のスタイルが変わったことで、群集墳が大量に増えた
※群集墳・・同じような場所で大量に作られた、小型の古墳のこと
→群集墳が作られたことは、何を意味しているのか
・古墳とは一切関係の無かった有力な農民層まで古墳を作るように
なったことを表している
=上のようなことから、以下のような動きが出てきた
→元々のヤマト政権の身分制度は首長層だけで作られていたが、
ヤマト政権が首長層だけの身分制度に、有力農民層を組み込んで、
有力農民層をヤマト政権の直接の支配下におこうとした
・古墳時代の人々の生活様式について
※古墳時代は、豪族と民衆の生活がはっきりと分かれた時代だった
・豪族・・民衆の住む村落から離れた場所に、周りに柵や濠をめぐらせた居館を作り、
そこで生活や祭りを行ったり、余剰生産物を蓄える倉庫を置いたりした
・民衆・・環濠は無く、竪穴住居と平地住居、高床倉庫などが
いくつか集まって集落が作られていた
・生活の時に、土師器と須恵器を使っていた
※・土師器・・古墳時代の前半で使われていた土器のことで、
弥生土器に似ていて赤色だった
・須恵器・・古墳時代の後半に使われ始めた土器のことで、
硬くて灰色の土器だった
→前半は土師器だけだったが、後半から土師器と須恵器が両方使われるようになった
・古墳時代のお祭りには、代表的なものに2種類ある
※・祈年の祭り・・春に豊作を祈る祭りのこと
・新嘗の祭り・・秋に収穫を感謝する祭りのこと
・氏の祖先神(氏神)をまつることも行われるようになった
・青銅製祭器が無くなり、銅鏡や鉄製の武器などが重要な祭器になった
・以下のような、呪術的な風習が行われていた
・禊や祓・・汚れをはらって、災いをまぬがれること
・太占の法・・鹿の骨を焼いて吉か凶かを占うこと
・盟神探湯・・裁判の時に、熱湯に手を入れさせて、手がただれるかで
真偽を決める方法のこと
ポイント
・古墳の変化についておさえる
・人々の生活様式についておさえる
このあたりが今回のポイントです