古墳時代について① -古墳の変化と人々の生活様式-

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投稿者:       投稿日時:2013/10/21 06:08      
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古墳時代について、古墳の変化と人々の生活様式について考えてみます

 

 

・古墳の変化について

 

 ・基本的に、竪穴式石室ではなく、横穴式石室が一般化した

 

 ・大量の土器を副葬する風習が出てきた

 

 ・埴輪は、円筒埴輪や器材埴輪から、形象埴輪に変わっていった

 

 ・古墳が、地域によって特徴が出てきた

  ※・九州北部では、古墳の周りに石人や石馬が建てられるようになった

   ・九州、茨城、福島などでは、装飾古墳が出てきた

    ※装飾古墳・・石室や横穴の墓室に、彩色や線刻された壁画がある古墳のこと

 

 

 

 

・古墳と政治との関係について(5世紀後半~6世紀)

 

 ・近畿では、大きな前方後円墳が大量にあったが、吉備地方(岡山県、広島県東部)では、

  大きな前方後円墳が見られなくなった

  →このことから、ヤマト政権のスタイルが大きく変わったことがわかる

   =昔は、各地の豪族が協力して政権をコントロールするスタイルだったが、

    変化後は、大王が中心の近畿地方に各地の豪族が従う、

    というようにスタイルが変わっていった

 

 ・ヤマト政権のスタイルが変わったことで、群集墳が大量に増えた

  ※群集墳・・同じような場所で大量に作られた、小型の古墳のこと

  

   →群集墳が作られたことは、何を意味しているのか

    ・古墳とは一切関係の無かった有力な農民層まで古墳を作るように

     なったことを表している

    

 =上のようなことから、以下のような動きが出てきた

  →元々のヤマト政権の身分制度は首長層だけで作られていたが、

   ヤマト政権が首長層だけの身分制度に、有力農民層を組み込んで、

   有力農民層をヤマト政権の直接の支配下におこうとした

 

 

 

 

 

・古墳時代の人々の生活様式について

 

 ※古墳時代は、豪族と民衆の生活がはっきりと分かれた時代だった

  ・豪族・・民衆の住む村落から離れた場所に、周りに柵や濠をめぐらせた居館を作り、

       そこで生活や祭りを行ったり、余剰生産物を蓄える倉庫を置いたりした

  ・民衆・・環濠は無く、竪穴住居と平地住居、高床倉庫などが

       いくつか集まって集落が作られていた

 

 ・生活の時に、土師器と須恵器を使っていた

  ※・土師器・・古墳時代の前半で使われていた土器のことで、

         弥生土器に似ていて赤色だった

   ・須恵器・・古墳時代の後半に使われ始めた土器のことで、

         硬くて灰色の土器だった

    →前半は土師器だけだったが、後半から土師器と須恵器が両方使われるようになった

 

 ・古墳時代のお祭りには、代表的なものに2種類ある

   ※・祈年の祭り・・春に豊作を祈る祭りのこと

    ・新嘗の祭り・・秋に収穫を感謝する祭りのこと

 

 ・氏の祖先神(氏神)をまつることも行われるようになった

 

 ・青銅製祭器が無くなり、銅鏡や鉄製の武器などが重要な祭器になった

 

 ・以下のような、呪術的な風習が行われていた

  ・禊や祓・・汚れをはらって、災いをまぬがれること

  ・太占の法・・鹿の骨を焼いて吉か凶かを占うこと

  ・盟神探湯・・裁判の時に、熱湯に手を入れさせて、手がただれるかで

         真偽を決める方法のこと

 

 

ポイント

・古墳の変化についておさえる

・人々の生活様式についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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