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	<title>アラエス &#187; 初期荘園</title>
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	<item>
		<title>荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1131</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1131#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[不輸・不入]]></category>
		<category><![CDATA[初期荘園]]></category>
		<category><![CDATA[国免荘]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[墾田地系荘園]]></category>
		<category><![CDATA[官省符荘]]></category>
		<category><![CDATA[寄進地系荘園]]></category>
		<category><![CDATA[検田使]]></category>
		<category><![CDATA[荘園公領制]]></category>
		<category><![CDATA[開発領主]]></category>

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		<description><![CDATA[荘園の仕組みについて考えてみます &#160; &#160; ・荘園について &#160; 　※荘園とは・・貴族や寺社が私的に持っていた土地のこと &#160; 　・８～９世紀あたりに初期荘園という荘園が出てきた 　　※ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1131">荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>荘園の仕組みについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・荘園について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※荘園とは・・貴族や寺社が私的に持っていた土地のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８～９世紀あたりに初期荘園という荘園が出てきた</p>
<p>　　※しかし、初期荘園は国司や郡司の制度に依存して経営されていたため、</p>
<p>　　　１０世紀までにほとんどの初期荘園が衰退していった</p>
<p>　　※初期荘園は、貴族や寺社が自分で開墾したり、墾田を買収したりすることで成り立っていた</p>
<p>　　　＝そのため、墾田地形荘園と呼ばれることがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１０世紀後半からは、国衙に臨時雑役などを免除されることで、</p>
<p>　　一定の土地を開発する人が増えてきた</p>
<p>　　＝このような人達は、１１世紀に開発領主と呼ばれるようになった</p>
<p>　　　→開発領主は、自分が開発した土地に対しての支配権を強くしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開発領主のほとんどは、在庁官人になって行政の道に進んだ</p>
<p>　　※中には、自分の土地にかかる税を逃れようとして、土地を中央政府で</p>
<p>　　　権力のある人に渡して（寄進して）その土地については、</p>
<p>　　　権力者を領主にしてしまうというような荘園を持つ人が出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・渡された荘園の領主は領家と呼ばれるようになった　　</p>
<p>　　→領家が、渡された土地をさらに上の階級の人に渡すことがあった</p>
<p>　　　＝さらに上の階級で領主になった人は、本家と呼ばれるようになった</p>
<p>　　　※領家や本家の中で、実際に支配していた人を本所と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開発領主は荘官になって、自分の土地の個人的な支配をより強めていった</p>
<p>　　※荘官・・荘園の中の年貢の取り立てや治安維持などを行った職業のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のように寄進が行われている荘園を、寄進地系荘園と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・以上のような荘園の中には、貴族や寺社の権力を利用して、中央政府に</p>
<p>　　不輸を認めてもらう荘園が増えてきた</p>
<p>　　※不輸・・政府から官物や臨時雑役の免除を認めてもらうこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国司（受領）によって、その国司が任期の時だけ不輸が認められた荘園が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→中央政府に不輸が認めてもらえた荘園を官省符荘と言い、国司に不輸を認めて</p>
<p>　　　もらえた荘園を国免荘と言う</p>
<p>　　　※官省符荘は、政府が出した太政官符や民部省符というものによって認められていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、不輸の対象の土地や範囲について、開発領主と国司が対立するようになった</p>
<p>　　→そこで、開発領主は領家や本家の権力を使って、不入の権利を得る荘園が増えてきた</p>
<p>　　　※不入・・検田使などのような、国司に派遣されてきた人の立ち入りを禁止すること</p>
<p>　　　　検田使・・国の中の耕作の状況を調べて、官物や臨時雑役の負担の分量を</p>
<p>　　　　　　　　　決めるために国司が派遣した役人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝不輸や不入の権利が広がっていったので、荘園での個人的な支配が</p>
<p>　　どんどん大きくなっていった</p>
<p>　　※この動きは、寄進地系荘園が広がることで、さらに進んだと言われている</p>
<p>　　※この動きの時に、国司は荘園をコントロールしようと考え始めたため、</p>
<p>　　　国司と荘園領主がより対立することになった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・国司がどのように地方を支配したかを押さえる</p>
<p>・国司と荘園についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1131">荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>奈良時代の生活様式と政府の政策について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1119</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1119#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 15:02:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[足利]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[奈良時代]]></category>
		<category><![CDATA[三世一身法]]></category>
		<category><![CDATA[初期荘園]]></category>
		<category><![CDATA[国司]]></category>
		<category><![CDATA[墾田永年私財法]]></category>
		<category><![CDATA[妻問婚]]></category>
		<category><![CDATA[掘立柱住居]]></category>
		<category><![CDATA[東大寺]]></category>
		<category><![CDATA[灌漑施設]]></category>
		<category><![CDATA[百万町歩開墾計画]]></category>
		<category><![CDATA[輸租田]]></category>

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		<description><![CDATA[奈良時代の生活様式と政府の政策について考えてみます &#160; &#160; ・当時の生活様式について &#160; 　・竪穴住居から、平地に建てる掘立柱住居に変わり、普及していった &#160; 　・妻問婚が主流だっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1119">奈良時代の生活様式と政府の政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>奈良時代の生活様式と政府の政策について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の生活様式について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・竪穴住居から、平地に建てる掘立柱住居に変わり、普及していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・妻問婚が主流だった</p>
<p>　　※妻問婚・・男性が女性の家に通って結婚をすること</p>
<p>　　　→夫婦になった後は、どちらかの父母のもとで生活して、</p>
<p>　　　　その後に自分の家を持って生活するようになった</p>
<p>　　</p>
<p>　・女性は結婚をしても、男性に姓を合わせる必要はなく、別姓のままで良かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性は、自分の財産を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、中国の家族制度を参考にしていたので、父親系の相続を重視した</p>
<p>　　※ただし、一般の人々の家族では、生活のための職業や育児などの面で</p>
<p>　　　女性の権力が強かったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の政府の政策について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時人口が増加していたので、政府は人口の増加によって</p>
<p>　　足りなくなった口分田を補うことで、税の収入を増やすことを考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　　→そこで、７２２年に百万町歩開墾計画という計画を立てた</p>
<p>　　　※この計画によって、農民に食料と開墾のための道具を渡して、</p>
<p>　　　　１０日間の開墾を行わせたが、成果が出なかった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、７２３年に三世一身法という法律を作った</p>
<p>　　　※この法律によって、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・自分で新しく灌漑施設を用意して、まだ開墾されていない土地を開墾した場合は、</p>
<p>　　　　　三世のあいだ土地を持つことが認められた</p>
<p>　　　　・今までの灌漑施設を使って、新しく土地を開墾した場合は、</p>
<p>　　　　　本人一代のあいだ土地を持つことが認められた</p>
<p>　　　　　→三世一身法は、一般人が開墾することで耕地を増やすことを</p>
<p>　　　　　　　目指すための法律だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そして、７４３年に墾田永年私財法という法律を作った</p>
<p>　　　※この法律によって、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・自分で開墾した土地を所有することを、永遠に認めた</p>
<p>　　　　・開墾した土地を持てる面積は、身分に合わせて制限された</p>
<p>　　　　・この法律によって持った土地は、輸租田（税を納める土地）として扱われた</p>
<p>　　　　※この法律は、７６５年に寺社以外の開墾が一度禁止されたが、</p>
<p>　　　　　７７２年に開墾と墾田の永遠保有が認められた</p>
<p>　　　　　→この法律には、政府がコントロールする土地を増やすことで、</p>
<p>　　　　　　土地による支配を強化しようとした背景があるが</p>
<p>　　　　　　貴族や地方の豪族の土地を増やす結果にもなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※この法律によって、東大寺などの大きな寺院は、広い土地を独占して、</p>
<p>　　　　　国司や郡司と協力しながら近くの農民や浮浪人と呼ばれる人達を使って、</p>
<p>　　　　　灌漑施設を作って、大量の土地の開墾を行った</p>
<p>　　　　　＝このようにして出来た土地のことを、初期荘園という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・奈良時代の生活様式についておさえる</p>
<p>・奈良時代の政府の政策についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1119">奈良時代の生活様式と政府の政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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