奈良時代の生活様式と政府の政策について
奈良時代の生活様式と政府の政策について考えてみます
・当時の生活様式について
・竪穴住居から、平地に建てる掘立柱住居に変わり、普及していった
・妻問婚が主流だった
※妻問婚・・男性が女性の家に通って結婚をすること
→夫婦になった後は、どちらかの父母のもとで生活して、
その後に自分の家を持って生活するようになった
・女性は結婚をしても、男性に姓を合わせる必要はなく、別姓のままで良かった
・女性は、自分の財産を持っていた
・当時は、中国の家族制度を参考にしていたので、父親系の相続を重視した
※ただし、一般の人々の家族では、生活のための職業や育児などの面で
女性の権力が強かったと言われている
・当時の政府の政策について
・当時人口が増加していたので、政府は人口の増加によって
足りなくなった口分田を補うことで、税の収入を増やすことを考えた
→そこで、722年に百万町歩開墾計画という計画を立てた
※この計画によって、農民に食料と開墾のための道具を渡して、
10日間の開墾を行わせたが、成果が出なかった
→さらに、723年に三世一身法という法律を作った
※この法律によって、以下のようなことが決められた
・自分で新しく灌漑施設を用意して、まだ開墾されていない土地を開墾した場合は、
三世のあいだ土地を持つことが認められた
・今までの灌漑施設を使って、新しく土地を開墾した場合は、
本人一代のあいだ土地を持つことが認められた
→三世一身法は、一般人が開墾することで耕地を増やすことを
目指すための法律だった
→そして、743年に墾田永年私財法という法律を作った
※この法律によって、以下のようなことが決められた
・自分で開墾した土地を所有することを、永遠に認めた
・開墾した土地を持てる面積は、身分に合わせて制限された
・この法律によって持った土地は、輸租田(税を納める土地)として扱われた
※この法律は、765年に寺社以外の開墾が一度禁止されたが、
772年に開墾と墾田の永遠保有が認められた
→この法律には、政府がコントロールする土地を増やすことで、
土地による支配を強化しようとした背景があるが
貴族や地方の豪族の土地を増やす結果にもなった
※この法律によって、東大寺などの大きな寺院は、広い土地を独占して、
国司や郡司と協力しながら近くの農民や浮浪人と呼ばれる人達を使って、
灌漑施設を作って、大量の土地の開墾を行った
=このようにして出来た土地のことを、初期荘園という
ポイント
・奈良時代の生活様式についておさえる
・奈良時代の政府の政策についておさえる
このあたりが今回のポイントです