<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 北一輝</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e5%8c%97%e4%b8%80%e8%bc%9d/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e5%8c%97%e4%b8%80%e8%bc%9d/feed" />
	<item>
		<title>昭和初期の思想・超国家主義・現代の日本の思想の状況について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1640</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1640#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 20:35:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想後期　－近現代－]]></category>
		<category><![CDATA[北一輝]]></category>
		<category><![CDATA[坂口安吾]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[宮沢賢治]]></category>
		<category><![CDATA[小林秀雄]]></category>
		<category><![CDATA[折口信夫]]></category>
		<category><![CDATA[柳田国男]]></category>
		<category><![CDATA[津田左右吉]]></category>
		<category><![CDATA[美濃部達吉]]></category>
		<category><![CDATA[超国家主義]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1640</guid>
		<description><![CDATA[昭和初期の思想と超国家主義、現代の日本思想の状況について考えます &#160; &#160; ・昭和初期の思想に影響を与えた人達について &#160; &#160; 　・宮沢賢治－・自我は、自我だけでは存在せず、様々な事 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1640">昭和初期の思想・超国家主義・現代の日本の思想の状況について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>昭和初期の思想と超国家主義、現代の日本思想の状況について考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・昭和初期の思想に影響を与えた人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・宮沢賢治－・自我は、自我だけでは存在せず、様々な事象や物事と一緒に</p>
<p>　　　　　　　　現れたり消えたりするものであると考えた</p>
<p>　　　　　　　・法華経信仰を伝える人を目指したが、病気の身だったので、</p>
<p>　　　　　　　　達成できなかった</p>
<p>　　　　　　　　→そこで、農学校の教師になり、農民の相談を受けるようになった</p>
<p>　　　　　　　・自我を四次元に拡張させる新しい農民の芸術を作った</p>
<p>　　　　　　　　→そのため、多くの詩や童話を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・小林秀雄－・近代の日本の思想は、表面上変わるだけで、</p>
<p>　　　　　　　　その時々の流行でしかないことを批判した</p>
<p>　　　　　　　　→そこで、自分の根底を徹底的に知ることが重要だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・ランボーやベルクソンという人達などに魅力を感じ、</p>
<p>　　　　　　　　詩と哲学をつなげることを考え、批評という新しい考え方の形を生み出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・柳田国男－・「遠野物語」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　・民族学を作り、村落共同体で生活している人（＝常民）の</p>
<p>　　　　　　　　生活の様子から思想を作ろうとした</p>
<p>　　　　　　　　※知識人が書いた本などではなく、常民の信仰や行事、慣習などの中から</p>
<p>　　　　　　　　　思想を探した</p>
<p>　　　　　　　・人々が空想で描いている世界よりも、現実の方が</p>
<p>　　　　　　　　圧倒的に多くの意味を持っていて、奥が深いと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・折口信夫－・「古代研究」などの本を書いた</p>
<p>　　　　　　　・神は、豊穣と光明の世界から定期的に</p>
<p>　　　　　　　　村落を訪れる「まれびと（客人）」だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・和歌や物語などは、神と関係して発せられた言葉から</p>
<p>　　　　　　　　生まれたものであると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→柳田国男や折口信夫の研究内容は、本居宣長や平田篤胤の考え方を批判しつつ</p>
<p>　　継承した側面があった</p>
<p>　　＝そのため、柳田国男や折口信夫の研究内容は、新国学とも呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北一輝－・「日本改造法案大綱」というものの中で、２つのことを考えた</p>
<p>　　　　　　　→・クーデターを起こして、天皇と国民が直接的な関係になるようにして、</p>
<p>　　　　　　　　　富を平等に分けるべき</p>
<p>　　　　　　　　・外国との戦争を起こして、植民地の支配を等しく、</p>
<p>　　　　　　　　　同じ割合に分けることが大切である</p>
<p>　　　　　　・北一輝は、中国の辛亥革命に加わったり、昭和維新運動を展開したりした</p>
<p>　　　　　　・二・二六事件の首謀者とみなされて、翌年に死刑となった</p>
<p>　　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※北一輝が活躍した当時（昭和時代初期）は、超国家主義という</p>
<p>　　極端な国家主義の考え方があった</p>
<p>　※また、満州事変をきっかけに軍国主義が大きくなっていき、</p>
<p>　　自由主義も制限されるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような流れの中で、美濃部達吉、津田左右吉という二人の人が現れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・美濃部達吉－・天皇機関説を提唱したが、</p>
<p>　　　　　　　　　日本の国体（天皇を「現人神」とする国柄）に反する学説だとして</p>
<p>　　　　　　　　　告発された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※天皇機関説－・統治する権利は国家にあって、天皇は国家の最高機関であるから</p>
<p>　　　　　　　　　　憲法に従って統治する権利（統治権）を使うべき</p>
<p>　　　　　　　　　　だと解釈する考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　・１９３５（昭和１０）年に、政府は国体明徴声明</p>
<p>　　　　　　　　　　（日本の国体は明らかな証拠があり、正しいという考え方）</p>
<p>　　　　　　　　　　を出して、天皇機関説を否定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・津田左右吉－・「神代史の新しい研究」というものを出したが、</p>
<p>　　　　　　　　　天皇に対する不敬罪に問われて発禁処分となった</p>
<p>　　　　　　　　　※不敬罪－天皇などに尊敬の念を持たず、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　礼儀を持たないことによる罪のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このように、思想と学問の自由な発展は阻害されていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※また、上のような時代を超えて、戦中、戦後は様々な動きや考えが現れ、</p>
<p>　　価値観の崩壊や思想の混乱などがあったが、そのような状況の中で、</p>
<p>　　坂口安吾という人が自分の考えを提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・坂口安吾－・「堕落論」というものを発表した</p>
<p>　　　　　　　・「堕落論」の中で、「目の前の出来事に惑わされたり、</p>
<p>　　　　　　　　　適当に逃げ道を作ったりするのではなく、「堕ちよ」と提唱した</p>
<p>　　　　　　　　※「堕ちよ」とはどういうことか・・</p>
<p>　　　　　　　　　→自分自身の本来の姿である、「孤独」に戻って、</p>
<p>　　　　　　　　　　何もない本当の自分をちゃんと見つめることからはじめるべき</p>
<p>　　　　　　　　　　であると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・宮沢賢治、小林秀雄の考え方を押さえる</p>
<p>・柳田国男は、「遠野物語」を書き、常民や現実を重視した</p>
<p>・折口信夫は、「古代研究」などの本を書き、客人や和歌などについて言及した</p>
<p>・柳田国男や折口信夫の研究内容は、新国学とも呼ばれた</p>
<p>・北一輝、美濃部達吉、津田左右吉などの考え方を押さえる</p>
<p>・美濃部達吉の天皇機関説は、政府の国体明徴声明によって否定された</p>
<p>・坂口安吾は、「堕落論」を発表し、「堕ちよ」と提唱した</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1640">昭和初期の思想・超国家主義・現代の日本の思想の状況について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1640/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1640" />
	</item>
		<item>
		<title>二・二六事件について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1305</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1305#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:03:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[「国策の基準」]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[北一輝]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[戒厳令]]></category>
		<category><![CDATA[相沢事件]]></category>
		<category><![CDATA[総力戦体制]]></category>
		<category><![CDATA[軍財抱合]]></category>
		<category><![CDATA[軍部大臣現役武官制]]></category>
		<category><![CDATA[近衛文麿]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1305</guid>
		<description><![CDATA[二・二六事件を中心とした当時の様子を考えてみます &#160; &#160; ・二・二六事件について &#160; &#160; 　・国内政治に対する政党の影響力が、五・一五事件の後に少しずつ小さくなっていった 　　→逆 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1305">二・二六事件について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>二・二六事件を中心とした当時の様子を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・二・二六事件について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国内政治に対する政党の影響力が、五・一五事件の後に少しずつ小さくなっていった</p>
<p>　　→逆に、軍部（中でも陸軍）や、すでにある政党に反発する政党、</p>
<p>　　　現状打破、革新などを提唱する人達の政治的な発言力が大きくなっていった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※現状打破を考える人達は、以下のような理想を持っていた</p>
<p>　　　　・天皇を中心にして国民をまとめる</p>
<p>　　　　・計画経済を行い、内閣や議会の制度を改革する</p>
<p>　　　　・ワシントン体制を終了させる　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、当時斉藤実と岡田啓介という人達によって、</p>
<p>　　　２代連続で海軍穏健派の内閣が続いたことは、</p>
<p>　　　軍部や現状打破を提唱する人達などが不満を持つ原因の一つになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、１９３４年に陸軍省というところが、「国防の本義と其強化の提唱」という</p>
<p>　　パンフレットを作った</p>
<p>　　※このパンフレットは、陸軍が政治や経済に積極的に関わっていく意思を示していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に、貴族院で軍出身の議員だった菊池武夫という人が、</p>
<p>　　美濃部達吉の天皇機関説は反国体的だということで非難をした</p>
<p>　　→この非難をきっかけに、若干の政治問題となった</p>
<p>　　　＝この出来事を天皇機関説問題という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※天皇機関説とは・・統治する権利は国家にあって、天皇は国家の最高機関であるから</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　天皇は憲法に従って統治する権利（統治権）を使うべき</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　だと解釈する考え方のこと</p>
<p>　　　　→天皇機関説は、統治権は天皇にあり、天皇の統治権は無制限にある</p>
<p>　　　　　という考え方の上杉慎吉という人などと対立していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天皇機関説は、今までは明治憲法の体制を理論的に支えるための</p>
<p>　　大切な考え方だとされていた</p>
<p>　　→しかし、現状打破を期待する陸軍や右翼、在郷軍人会という団体などが</p>
<p>　　　全国で激しい運動を行った</p>
<p>　　　＝そのため、当時の岡田内閣は運動に従う形で、国体明徴声明（日本の国体は</p>
<p>　　　　明らかな証拠があり、正しいという考え方）を出して、天皇機関説を否定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※上のような結果になったため、政党政治や政党内閣制が</p>
<p>　　　　理論的な支えを失うことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の陸軍内部では、皇道派と統制派が対立する状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※皇道派と統制派について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・皇道派・・軍隊に所属している青年を中心に、直接的な行動を取ることで、</p>
<p>　　　　　　　　　今までの支配層を倒したり、天皇親政を目指したりすることを</p>
<p>　　　　　　　　　目指す派閥のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→代表的な人に、荒木貞夫や真崎甚三郎という人などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・統制派・・陸軍省や参謀本部などを中心に、革新派の官僚や財閥などと手を組んで</p>
<p>　　　　　　　　　軍部の強い統制の中で総力戦体制という体制を作ることを</p>
<p>　　　　　　　　　目指す派閥のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→代表的な人に、永田鉄山や東条英機という人などがいる</p>
<p>　　　　※総力戦体制・・国の力を全てつぎ込むという体制のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・皇道派と統制派の対立がはっきりした出来事として、１９３５年の</p>
<p>　　　　相沢事件という事件がある</p>
<p>　　　　※相沢事件・・皇道派の相沢三郎という人が、陸軍省で統制派だった永田鉄山を</p>
<p>　　　　　　　　　　　殺した事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３６年２月２６日の早朝に、北一輝という人の考え方に影響を受けていた</p>
<p>　　皇道派の一部の青年たちが、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・約１４００人の兵隊を連れて、首相官邸や警視庁などを襲った</p>
<p>　　　・斉藤実内務大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監などを殺害した</p>
<p>　　　・国会を含む国政の中心部分を４日間占拠した</p>
<p>　　　　＝これら一連の出来事をまとめて、二・二六事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この事件は、国家の改造や軍部政権の誕生などを目指したものだったが、</p>
<p>　　　天皇が厳しく罰することを支持したこともあり、反乱軍という扱いになって鎮圧された</p>
<p>　　　※さらに、首都には戒厳令という法律が出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この時は、北一輝の「日本改造法案大綱」という本が、</p>
<p>　　　　右翼の人達のバイブルになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この事件の後、統制派が皇道派を倒して、陸軍内での主導権を取った</p>
<p>　　　※この時に、陸軍の政治での発言力が一層高まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、岡田啓介内閣の次に広田弘毅内閣という内閣が誕生した</p>
<p>　　※広田弘毅内閣は、政府の人選、財政改革、軍備の拡張などの面で軍の要求を取り入れて、</p>
<p>　　　なんとか成立したというレベルだった</p>
<p>　　※広田弘毅内閣は、１９３６年に陸軍の要求を取り入れて、</p>
<p>　　　軍部大臣現役武官制を復活させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３６年に、ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約が</p>
<p>　　　終了することが分かっていた</p>
<p>　　→そこで、陸軍と海軍が帝国国防方針の改定を考え、この改定に基づいて</p>
<p>　　　広田弘毅内閣が「国策の基準」というものを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※「国策の基準」の内容</p>
<p>　　　　・日本の地位を高める</p>
<p>　　　　・海軍の南進論（東南アジアや南洋諸島にじわじわと進出する考え方）を取った　　</p>
<p>　　　　・陸軍の北進論（ドイツを手を組んでソ連と対抗する考え方）を取った</p>
<p>　　　　・国内で、大規模な軍備の拡張計画が進められた</p>
<p>　　　　　※海軍は、戦艦大和や武蔵などを含む大建艦計画が進められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、国内の改革が中途半端なことに対して不満を持つ軍と</p>
<p>　　軍拡に反対する政党のそれぞれが反発した</p>
<p>　　→そのため、広田弘毅内閣は１９３７年の１月に総辞職した　　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、陸軍の穏健派の宇垣一成という人が内閣を担当するという話が出てきた</p>
<p>　　→しかし、宇垣一成内閣に反発する陸軍が、陸軍大臣を推薦しなかった</p>
<p>　　　＝そのため、宇垣一成内閣を作ることが出来なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→結果的に、当時陸軍の大将だった林銑十郎という人が内閣を作った</p>
<p>　　　※陸軍の統制派は、軍拡を展開するために、最初に重要な産業を育成することが</p>
<p>　　　　必要だと考えた</p>
<p>　　　　＝そこで、林銑十郎内閣は軍財抱合（軍部と財界を調整すること）を行った　</p>
<p>　　　　　→しかし、この行動も失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、１９３７年６月に貴族院の議長を担当していた近衛文麿という人が</p>
<p>　　　様々な層から支持された</p>
<p>　　　＝そこで、第１次近衛文麿内閣が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・二・二六事件を中心に、当時の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1305">二・二六事件について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1305/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1305" />
	</item>
	</channel>
</rss>
