昭和初期の思想・超国家主義・現代の日本の思想の状況について
昭和初期の思想と超国家主義、現代の日本思想の状況について考えます
・昭和初期の思想に影響を与えた人達について
・宮沢賢治-・自我は、自我だけでは存在せず、様々な事象や物事と一緒に
現れたり消えたりするものであると考えた
・法華経信仰を伝える人を目指したが、病気の身だったので、
達成できなかった
→そこで、農学校の教師になり、農民の相談を受けるようになった
・自我を四次元に拡張させる新しい農民の芸術を作った
→そのため、多くの詩や童話を作った
・小林秀雄-・近代の日本の思想は、表面上変わるだけで、
その時々の流行でしかないことを批判した
→そこで、自分の根底を徹底的に知ることが重要だと考えた
・ランボーやベルクソンという人達などに魅力を感じ、
詩と哲学をつなげることを考え、批評という新しい考え方の形を生み出した
・柳田国男-・「遠野物語」という本を書いた
・民族学を作り、村落共同体で生活している人(=常民)の
生活の様子から思想を作ろうとした
※知識人が書いた本などではなく、常民の信仰や行事、慣習などの中から
思想を探した
・人々が空想で描いている世界よりも、現実の方が
圧倒的に多くの意味を持っていて、奥が深いと考えた
・折口信夫-・「古代研究」などの本を書いた
・神は、豊穣と光明の世界から定期的に
村落を訪れる「まれびと(客人)」だと考えた
・和歌や物語などは、神と関係して発せられた言葉から
生まれたものであると考えた
→柳田国男や折口信夫の研究内容は、本居宣長や平田篤胤の考え方を批判しつつ
継承した側面があった
=そのため、柳田国男や折口信夫の研究内容は、新国学とも呼ばれた
・北一輝-・「日本改造法案大綱」というものの中で、2つのことを考えた
→・クーデターを起こして、天皇と国民が直接的な関係になるようにして、
富を平等に分けるべき
・外国との戦争を起こして、植民地の支配を等しく、
同じ割合に分けることが大切である
・北一輝は、中国の辛亥革命に加わったり、昭和維新運動を展開したりした
・二・二六事件の首謀者とみなされて、翌年に死刑となった
※北一輝が活躍した当時(昭和時代初期)は、超国家主義という
極端な国家主義の考え方があった
※また、満州事変をきっかけに軍国主義が大きくなっていき、
自由主義も制限されるようになっていった
→このような流れの中で、美濃部達吉、津田左右吉という二人の人が現れた
・美濃部達吉-・天皇機関説を提唱したが、
日本の国体(天皇を「現人神」とする国柄)に反する学説だとして
告発された
※天皇機関説-・統治する権利は国家にあって、天皇は国家の最高機関であるから
憲法に従って統治する権利(統治権)を使うべき
だと解釈する考え方のこと
・1935(昭和10)年に、政府は国体明徴声明
(日本の国体は明らかな証拠があり、正しいという考え方)
を出して、天皇機関説を否定した
・津田左右吉-・「神代史の新しい研究」というものを出したが、
天皇に対する不敬罪に問われて発禁処分となった
※不敬罪-天皇などに尊敬の念を持たず、
礼儀を持たないことによる罪のこと
→このように、思想と学問の自由な発展は阻害されていった
※また、上のような時代を超えて、戦中、戦後は様々な動きや考えが現れ、
価値観の崩壊や思想の混乱などがあったが、そのような状況の中で、
坂口安吾という人が自分の考えを提唱した
・坂口安吾-・「堕落論」というものを発表した
・「堕落論」の中で、「目の前の出来事に惑わされたり、
適当に逃げ道を作ったりするのではなく、「堕ちよ」と提唱した
※「堕ちよ」とはどういうことか・・
→自分自身の本来の姿である、「孤独」に戻って、
何もない本当の自分をちゃんと見つめることからはじめるべき
であると考えた
ポイント
・宮沢賢治、小林秀雄の考え方を押さえる
・柳田国男は、「遠野物語」を書き、常民や現実を重視した
・折口信夫は、「古代研究」などの本を書き、客人や和歌などについて言及した
・柳田国男や折口信夫の研究内容は、新国学とも呼ばれた
・北一輝、美濃部達吉、津田左右吉などの考え方を押さえる
・美濃部達吉の天皇機関説は、政府の国体明徴声明によって否定された
・坂口安吾は、「堕落論」を発表し、「堕ちよ」と提唱した