近現代の日本の思想のスタート -文明開化と啓蒙思想と自由民権運動-
近現代の思想のスタートである、文明開化、啓蒙思想、福沢諭吉、自由民権運動の部分を考えます
・文明開化について
・文明開化の時の明治政府の動き
→・明治政府は、富国強兵を目指して、近代の西洋の技術や社会制度、
生活様式などを取り入れていこうとした
・祭政一致を提唱し、神仏分離令を出し、神仏習合を廃止した
→それによって、仏教から分離させた神道を新しく国教(国家神道)だとした
・廃仏毀釈によって、神社の仏像や寺の神殿などが取り壊され、
人々の文化に大きな変化を与えた
※・祭政一致・・祭祀と政治は一致しているべきである、という考え方のこと
・神仏分離令・・神仏習合を禁止し、神道と仏教をはっきり区別すること
・啓蒙思想について
・啓蒙思想(理性を使って、人々の思考を共通に進歩させるための考え方のこと)の
日本の普及ために、多くの人が考えた
・福沢諭吉(後でも登場)・・「学問のすゝめ」「文明論之概略」を書いた
・中村正直・・「西国立志論」「自由之理」を書き、功利主義、自由主義を紹介した
・森有礼・・一夫一妻制を提唱した
・西周・・西洋哲学の移入のために努力し、多くの訳語を作った
・加藤弘之・・立憲政治の制度を紹介した
→この人達は、他に何人かを加え、明六社を作った
その時に、「明六雑誌」を作って、幕藩体制やその当時の道徳を批判した
・福沢諭吉について
・福沢諭吉は、近代の西洋にあった自然権の考え方にもとづいて、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」と考えた
→人々は生まれながらに平等で、他者の邪魔をしなければ、
自分の力で自由に安定した人生を送る権利を
天から賦与されている(与えられている)と考えた
=このような考え方を天賦人権説と言う
・福沢諭吉は、文明の重要な部分は、外から目で見える形にして表現したものではなく
独立自尊の精神だと考えた
→福沢諭吉は、東洋の儒教に無くて、西洋の文明にあるものは、
数理学と独立心だと考えた
※数理学・・実証的、合理的かつ、実用的、実利的な学問のこと
→そこで福沢諭吉は、独立自尊の生活のためには、
「日常に役立つ実学」が必要だと考えた
※だから、数理学を提唱した
・福沢諭吉は、人々に独立自尊の精神が生まれないと、日本の独立は無いと考えた
=「一身独立して一国独立す」と考えた
・当時は、政府が尊重され、人々が見下されている風潮があった
そこで福沢諭吉は、このような空気を変えるために、脱亜論を提唱した
※脱亜論・・野蛮なアジアを抜け出して、
西洋諸国の仲間入りをするべきだという考え方
・自由民権運動について
・自由民権運動に関係した人達として、中江兆民と植木枝盛がいる
※福沢諭吉を中心とした啓蒙思想家は、イギリスの功利主義、経験論の影響を
受けているという前提がある
・中江兆民-・「民約訳解」(ルソーの「社会契約論」という本の翻訳したもの)と
「三酔人経綸問答」などを書いた
・民権(人民の権利、人民が政治に参加する権利のこと)は
「恩賜的民権」と「恢復的民権」の2種類があると考えた
※・「恩賜的民権」・・政治を行う人が人々に与える民権のこと
・「恢復的民権」・・人々が自ら獲得する民権のこと
→中江兆民は、日本は「恩賜的民権」を育てて、
「恢復的民権」を目指すべきだと考えた
・植木枝盛-・どんな政府であろうと、政府が民権を妨げる時は、
人々は政府に対抗する権利を持っていると考えた
→そのため、民権は国権とは反対の立場にあると考えた
・中江兆民らの考え方を自由民権論と言い、この自由民権論は、
啓蒙思想と一緒に自由民権運動に影響を与えた
※自由民権運動では、藩閥打破や国会開設の要求などをしていた
ポイント
・文明開化の時の明治政府の動きをおさえる
・啓蒙思想については、福沢諭吉、中村正直、森有礼、西周、加藤弘之らが考えた
・福沢を中心に明六社を作って、明六雑誌を発刊した
・福沢諭吉は、天賦人権説、独立自尊の精神、脱亜論などを考えた
・中江兆民は、恩賜的民権と恢復的民権を提唱した