文明開化について① -思想・教育・文学-
文明開化について考えてみます
・文明開化について
※日本は近代化を目指して、西洋の様々なスタイルを取り入れていた
→この動きと一緒に、明治時代の初期の人々の生活で、
文明開化と呼ばれる新しい風潮が出てきた
・文明開化の時の思想について
・儒教や神道の考え方は古くて時代遅れということで、排除されるようになった
→その代わりに、自由主義や個人主義などと呼ばれる西洋の近代思想が流行した
※当時はミルやスペンサー、ダーウィンなどの人達の本が読まれるようになった
・福沢諭吉という人などが提唱した天賦人権の思想が広まった
※天賦人権の思想・・人々は生まれながらに平等で、
人間としての権利を持っているという考え方のこと
・この当時に、中江兆民という人がフランスに留学して、
ルソーの社会契約説などを日本に紹介した
・当時は、福沢諭吉の「西洋事情」「学問のすゝめ」「文明論之概略」、
中村正直という人が訳したスマイルズという人の「西国立志論」、
ミルの「自由之理」などが読まれた
→これらの本は、人々の考えを変える上で重要な役割を果たした
・文明開化の時の教育について
・1871年に文部省を作って、1872年に学制という法律を出した
→その時に政府は、小学校教育に力を入れて、男女関係なく等しく勉強させるという
国民皆学教育を目指した
※この時の教育は、功利主義という考え方のような教育観を狙っていた
※学制は、現実にあまりにも合わなかったために、
1879年の教育令という法律で改められた
・1877年に、旧幕府の開成所と医学所をスタートとするいくつかの学校を統合して、
東京大学という大学を作り、多くの外国人教師を連れてきた
・教員を養成するために師範学校、産業教育や女子教育を行うための専門的な学校を作った
※1872年、東京に日本で初めての女学校が出来て、その後に女子師範学校も作られた
・教育制度は基本的に政府が積極的に行っていったが、
個人で学校を作って教育に関わっていった人もいた
→例:福沢諭吉の慶応義塾、新島襄の同志社 など
・文明開化の時の文学について
・幕末以降から、幕府が外国新聞の翻訳を行っていた
→この翻訳は明治になっても旧幕臣を続けていた
→さらに、本木昌造という人が鉛製活字の量産技術に成功して、
活字印刷の技術が発達していった
=そのため、東京を中心に日刊新聞や雑誌がいくつも作られていった
・新聞や雑誌では、報道や政治問題の評論などを行うようになり、
新しい言論の活動が始まったと言われている
→そのため、学術書や啓蒙書の出版もさかんになった
・西周、森有礼、福沢諭吉、加藤弘之、西村茂樹などの洋学者が
1873年に明六社という団体を作ってその次の年に「明六雑誌」を発行したり、
演説会を開いて近代思想を普及したりした
ポイント
・文明開化の時の思想を押さえる
・文明開化の時の教育を押さえる
・文明開化の時の文学を押さえる
このあたりが今回のポイントです