明治時代初期の国際問題について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/28 06:18      
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明治時代前期の様々な国際問題について考えてみます

 

 

・岩倉使節団の動きについて

 

 ※初期の外交では、江戸幕府が結んだ不平等条約の改正が重要な課題の一つだった

 

 

 ・1871年に右大臣の岩倉具視を中心とした使節団がアメリカやヨーロッパに派遣された

  =この使節団を岩倉使節団という

   ※岩倉使節団は、条約の改正のための予備交渉と、欧米の視察を目的として行った

    →この時に、副使以下約50人と、留学生約60人が参加し、

     津田梅子なども留学生として参加していた

 

  ※岩倉使節団は、アメリカと交渉をしたが、失敗に終わっている

   →仕方ないので、岩倉使節団は欧米の近代国家の政治や産業の様子を

    細かくチェックして帰ってきた

 

 

 ・1876年に、外務卿の寺島宗則という人がアメリカと交渉して、

  関税自主権の回復にほぼ成功したかと思われた

  →しかし、イギリスやドイツが回復に反対したために、結局無効となった

 

 

 

 

 

・清との関係について

 

 

 ・1871年に清国に使節を派遣して日清修好条規という条約を結んだ

  →この条約によって、日本と清はお互いに港を開いて、お互いに領事裁判権を

   認めることなどが決められた

   ※日清修好条規は、日本が外国と最初に結んだ対等条約だったが、

    日本はこの条約に不満だった

    →そのため、すぐには条約を結ばず、1873年にやっと認めた

 

 

 

 

 

・琉球王国との関係について

 

 

 ・琉球王国は、江戸時代から事実上薩摩藩(島津氏)が支配していたが、

  名目上は清国が琉球王国をコントロールするという複雑な状況だった

 

 

 ・上のような状況で、日本は琉球王国を日本領にする方針を取った

  →そこで、1872年に琉球藩を設置して、琉球王国の尚泰という人を

   藩のトップに置いた

   ※しかし、このような日本の動きを、清国は強く批判して、

    琉球藩にするという日本の行動を認めなかった

 

 

 ・1871年に台湾で琉球漂流民殺害事件という事件が発生した

  →この事件によって、日本と清との間で琉球漂流民を保護するのはどちらか、

   という責任問題で揉めた

  →そこで政府は、軍人や士族が日本は悪くないことを押し通し続けたこともあって、

   1874年に台湾に出兵する、という出来事が起きた

   =この出来事を台湾出兵(征台の役)という

 

 

 ・台湾出兵に対して清は、イギリスが日本と清の間を仲介したこともあって、

  日本の出兵を正当な行動と認めた

  →そのため、清は日本に賠償金を支払った

 

  →さらに1879年に、日本政府は琉球藩と琉球王国を廃止して、沖縄県の設置を行った

   =この出来事を、琉球処分という

    

   ※琉球処分の時に、沖縄県として日本領土の一部に組み込まれたが、

    沖縄県の様々な制度は以前の制度をそのまま使っていて、

    本土との経済的な格差も大きかった

 

 

 

 

 

・朝鮮との関係について

    

    

 ・明治政府は、出来た時から朝鮮と国交を作ろうとしていた

  →しかし、当時の朝鮮は鎖国政策を取っていたので、日本の交渉態度が納得いかない

   という理由で日本との交渉に応じなかった

 

 

 ・1873年に、留守政府のトップだった西郷隆盛と板垣退助は

  征韓論という考え方を提唱したが、岩倉使節団として帰ってきた大久保利通などに

  反対されて、征韓論を実行はしなかった

  ※征韓論・・西郷隆盛を朝鮮に派遣して開国を求めて、朝鮮が拒否した場合は

        武力を使ってでも開国を求めるという考え方のこと

   →しかし、大久保利通などは、朝鮮との交渉よりも日本国内を整備する方が

    先だと考えて反対した

 

 

 ・その後、1875年の江華島事件という事件をきっかけに朝鮮に近づいた

  →そして、次の年の1876年に日朝修好条規(江華条約)という条約を結んだ

  =この条約の時に、朝鮮を開国させた

   

   ※・江華島事件・・政府に任命されて海路の測量を行っていた雲揚という日本の軍艦が

            朝鮮の首都の漢城の近くの江華島という場所で朝鮮を挑発したために

            戦いに発展した事件のこと

    

    ・日朝修好条規・・釜山、仁川、元山という3つの港を開かせて、

             日本の領事裁判権や関税自主権を

             認めさせるなどの不平等な条約だった

 

 

 

 

・ロシアとの関係について

 

 

 ・幕末以降から、ロシアとの間で樺太をどうするかということが問題になった

 

 

 ・日本は、北海道の開拓で樺太について考えている余裕が無かった

  →そこで、日本はロシアと樺太・千島交換条約という条約を結んだ

 

  ※樺太・千島交換条約

   →樺太にあった全ての日本側の権利をロシアにゆずり、

    その代わりに千島全てを日本の領土にするということを決めた条約のこと

 

 

 

 

・小笠原諸島について

 

 

 ・小笠原諸島は、どこの国の領土なのかがはっきりしていなかった

  →そこで、小笠原諸島を日本の領土にした

 

  ※小笠原諸島を日本の領土にすることについて、イギリスとアメリカは反対しなかった

   →そのため、1876年に小笠原諸島の管理を内務省が担当することになった

 

 

→以上の動きによって、南北の領土がはっきりしたと言われている

 

 

ポイント

・岩倉使節団の動きを押さえる

・琉球王国との関係を押さえる

・朝鮮との関係を押さえる

・ロシアとの関係を押さえる

・小笠原諸島について押さえる  

 

このあたりが今回のポイントです

 



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