明治政府への反乱について
明治時代初期に起きた明治政府への反乱について考えてみます
・明治政府への反乱について
・戊辰戦争の時に新政府側の軍に参加して戦った士族の中で、
自分の主張が明治政府に反映されないことに不満を持っている人が多かった
※1873年の征韓論の議論は、不満を持つ士族が征韓論を支えたために
議論になっていたと言われている
・征韓論が否決になった時に、西郷隆盛、江藤新平、板垣退助、副島種臣などの
征韓論の賛成派の参議はまとめて辞職してしまった
=この出来事を、明治六年の政変という
→明治六年の政変が起きた次の年の1874年からは、征韓論に賛成していた士族の
不満を背景にして明治政府を批判する運動を始めた
※明治六年の政変の後に政府を指導したのは、
内務卿に就任した大久保利通という人だった
・どのような反乱や反対運動があったのか
・板垣退助や後藤象二郎などは、愛国公党という日本で最初の政党を作った
・さらに、イギリスから帰ってきた知識人の力を借りて、民撰議院設立の建白書
というものを作って、左院に提出した
→この時に、政府官僚の専断(自分の判断で勝手に判断することで、
有司専制とも言う)によって起きてしまう問題点を批判した
・世論をもとにした政治を行うための国会を作ることを要求した
→この考え方は、新聞に載って世論に大きな影響を与えた
=この動きが、自由民権運動のきっかけにもなったと言われている
・保守的な士族の中で、新政府の誕生に貢献しながらも、改革の中で今までの士族の特権が
無くなっていくことに対する不満を持っている人がいた
=そのため、政府に反対するための暴動を起こす人もいた
・1874年に、征韓論の賛成派で元参議だった江藤新平という人が、
自分のふるさとである佐賀にいた政府に不満を持つ武士たちに迎えられて、
征韓党という党の党首になった
→そこで、征韓党は政府に対して反乱を起こした
=この反乱のことを、佐賀の乱という
・1876年に廃刀令と秩禄処分が行われた
→この明治政府の動きに対して、復古的攘夷主義という考え方を持っていた
熊本の反政府の士族が集まって出来た敬神党(神風連)という党が反乱を起こして
熊本鎮台を襲うという出来事が起きた
=この出来事を神風連の乱(敬神の乱)という
・神風連の乱に答える形で、以下のようないくつかの乱が起きた
→・福岡県にいる反政府の士族が反乱を起こした
=この反乱を秋月の乱という
・山口県の萩という場所で、元参議だった前原一誠という人が反乱を起こした
=この反乱を萩の乱という
→佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などいくつもの乱が起きているが、
反乱は全て明治政府が鎮めた
・1873年に、徴兵制度や学制などによって、負担が増える状況に怒った
多くの農民たちが一揆を起こした
=この一揆を血税一揆という
・さらに、1876年に地租改正反対一揆という大規模な農民一揆が起きた
→地租改正反対一揆は、茨城県で起きて、その後に三重、愛知、岐阜、堺の
4県に広がっていって一揆が起きたが政府は軍隊を使って、
地租改正反対一揆を抑えつけた
・1877年に、薩摩に帰っていた西郷隆盛をトップに置いて、
私学校の生徒などの鹿児島の士族を中心にした最大規模の士族の反乱が起きた
→その時に、九州にいる反政府の士族が反乱に加わっていったが、
結果的に政府が約半年をかけて全て鎮圧するという出来事が起きた
=この出来事を西南戦争という
→西南戦争を最後に、反政府の士族による反乱は無くなった
ポイント
・明治政府に対する反乱の内容と概要を押さえる
このあたりが今回のポイントです
コメント
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