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	<title>アラエス &#187; 南アフリカ戦争</title>
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	<item>
		<title>アフリカの植民地化と植民地に対する各国の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1001</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1001#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 05:22:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アドワの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[アルヘシラス国際会議]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア＝トルコ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ウラービー運動]]></category>
		<category><![CDATA[ケープ植民地]]></category>
		<category><![CDATA[ファショダ事件]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン会議]]></category>
		<category><![CDATA[モロッコ事件]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[３Ｃ政策]]></category>

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		<description><![CDATA[アフリカの植民地化の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・アフリカの植民地化の動きについて &#160; &#160; 　・１９世紀の前半、ヨーロッパ人のアフリカに関する知識は、北部とインド航路の港など [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1001">アフリカの植民地化と植民地に対する各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アフリカの植民地化の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・アフリカの植民地化の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９世紀の前半、ヨーロッパ人のアフリカに関する知識は、北部とインド航路の港など</p>
<p>　　アフリカ沿岸部に限られていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９世紀のなかば、リヴィングストンやスタンリーという人などが</p>
<p>　　中央アフリカを探検して事情を伝えた</p>
<p>　　→その後、列強の国々がこの地域に関心を示すようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８０年代の初めに、コンゴ地域をめぐってヨーロッパ国々の間で対立が起こった</p>
<p>　　→すると、ドイツのビスマルクは１８８４～１８８５年に</p>
<p>　　　ベルリン会議（ベルリン＝コンゴ会議）を開いた</p>
<p>　　　＝この会議で以下のようなことを決めた</p>
<p>　　　　・ベルギー国王の所有地としてコンゴ自由国の設立を認めた</p>
<p>　　　　・アフリカの植民地化の原則を決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ベルリン会議の後、列強に殺到し、すぐにアフリカの大部分を分割することになった</p>
<p>　　　※現地の人々は、地域の自立や固有の文化を守ろうとして抵抗した</p>
<p>　　　　＝このような抵抗運動は、民族主義運動や民族解放運動となり、</p>
<p>　　　　　２０世紀の歴史的な大きな流れの一つになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・植民地に対する各国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスでは、１８８０年代の初めに、ウラービー運動を武力で制圧して、</p>
<p>　　エジプトを事実上保護下にした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスは、スーダンにも侵入した</p>
<p>　　→スーダンでは、マフディー派というのが抵抗して、ゴードンが指揮したイギリス軍を</p>
<p>　　　ハルツームというところで一時的に侵入を阻止したものの、</p>
<p>　　　１８８９年に征服されてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アフリカ南部では、セシル＝ローズという人の指導で、ケープ植民地から周辺に</p>
<p>　　侵攻する政策がとられた</p>
<p>　　→１８９９年には、ブール人と南アフリカ戦争を起こした</p>
<p>　　　＝その結果、トランスヴァールとオレンジの両方の国を併合した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスは、ケープタウンとカイロをつないで、その２つをインドのカルカッタと結びつけた</p>
<p>　　＝この政策を３Ｃ政策という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスでは、１８８１年にチュニジアを保護国にした</p>
<p>　　→その後、サハラ砂漠地域をおさえ、アフリカを横断して</p>
<p>　　　ジブチやマダガスカルとつなげようとした</p>
<p>　　　※この計画が、イギリスの縦断政策とぶつかってしまい、</p>
<p>　　　　１８９８年にファショダ事件という出来事が起きた</p>
<p>　　　　＝この事件は、フランスが譲歩することで解決した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ファショダ事件の後、フランスとイギリスが接近した</p>
<p>　　＝その結果、１９０４年に英仏協商を成立させた</p>
<p>　　　→ここで、以下のような動きを見せた</p>
<p>　　　　・エジプトにおけるイギリスの支配的地位を認めた</p>
<p>　　　　・モロッコにおけるフランスの支配的地位を認めた</p>
<p>　　　　・ドイツに対抗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツでは、１８８０年代なかばに、カメルーン、南西アフリカ、東アフリカなどの</p>
<p>　　植民地を得た</p>
<p>　　※しかし、どの植民地も経済的な価値は低かった</p>
<p>　　　→そこでドイツは、２０世紀に入って新しい植民地の獲得のために、</p>
<p>　　　　１９０５年と１９１１年の２回にわたって</p>
<p>　　　　フランスのモロッコ支配に対抗するという出来事を起こした</p>
<p>　　　　＝この出来事をモロッコ事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→しかし、モロッコ事件は２回ともイギリスがフランスを支援したために失敗となった</p>
<p>　　　　＝結果的に、１９１２年にモロッコがフランスの保護国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※モロッコ事件について</p>
<p>　　　・第１次は、フランスのモロッコ進出に抗議して、ヴィルヘルム２世が</p>
<p>　　　　モロッコのタンジールに上陸して、列国会議を要求した事件のこと</p>
<p>　　　　→１９０６年のアルヘシラス国際会議で、ドイツの要求はしりぞけられた</p>
<p>　　　・第２次は、ドイツが砲艦をアガディールに派遣して、フランスを牽制した事件のこと</p>
<p>　　　　→この時、ドイツにはフランス領コンゴの一部が与えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イタリアは、１８８０年代にソマリランドとエリトリアを獲得して、エチオピアに侵入した</p>
<p>　　※しかし、イタリアは１８９６年にアドワの戦いで負けて、イタリアは後退した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、１９１１～１９１２年にイタリアは、イタリア＝トルコ戦争を起こした</p>
<p>　　＝この戦争の結果、オスマン帝国からリビア（トリポリ、キレナイカ）を奪った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のような動きを受けて、２０世紀の初めには、アフリカ全土が、</p>
<p>　　　エチオピア帝国とリベリア共和国以外が、列強の支配下に置かれることになった</p>
<p>　　　※リベリア共和国・・アメリカ植民協会が、解放された黒人奴隷を入植させて、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　１８４７年に独立させた共和国のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→列強は、原料や資源の獲得、商品市場などの経済的な利害、戦略基地設置などの関心などから</p>
<p>　　意図的に境界線を定めた</p>
<p>　　※この動きは、現地の人々のつながりや交易網を破壊することにつながった</p>
<p>　　　＝そのため、それ以降の住民の自立や独立に大きな障害となったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・アフリカの植民地化の動きについておさえる</p>
<p>・植民地に対する各国の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1001">アフリカの植民地化と植民地に対する各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>帝国主義時代のイギリスについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/993</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/993#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 16 Oct 2013 10:29:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アイルランド自治法]]></category>
		<category><![CDATA[イギリス]]></category>
		<category><![CDATA[シン＝フェイン党]]></category>
		<category><![CDATA[ディズレーリ]]></category>
		<category><![CDATA[フェビアン協会]]></category>
		<category><![CDATA[ロイド＝ジョージ]]></category>
		<category><![CDATA[世界の工場]]></category>
		<category><![CDATA[労働代表委員会]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[議会法]]></category>

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		<description><![CDATA[帝国主義時代のイギリスについて考えてみます &#160; &#160; ・帝国主義時代のイギリスについて &#160; &#160; 　※イギリスは、１９世紀のなかばに「世界の工場」と言われていた 　　 　・当時のイギリ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/993">帝国主義時代のイギリスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>帝国主義時代のイギリスについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・帝国主義時代のイギリスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※イギリスは、１９世紀のなかばに「世界の工場」と言われていた</p>
<p>　　</p>
<p>　・当時のイギリスは、圧倒的な海軍力の優越を背景に、世界各地で自由貿易を推し進めた</p>
<p>　　※そのため国内では、植民地不要論も一部では提唱されていた</p>
<p>　　　→しかし、結果的にイギリスの植民地は拡大し続けていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→イギリスは、２つのパターンで植民地の支配を行った</p>
<p>　　　　・植民地帝国を維持するために、非白人系植民地では直接支配を行った</p>
<p>　　　　・白人植民地の多い植民地は、カナダのように自治領にして間接的な支配を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７０年代以降、イギリスは世界的な不況や、他の工業国との競合に直面する</p>
<p>　　ということが起きた</p>
<p>　　→すると、保守党のディズレーリという首相は、１８７５年にスエズ運河会社の</p>
<p>　　　株式を買収して、運河の経営権を握った</p>
<p>　　　※同時に、ロシア＝トルコ戦争戦争にも関わって、インドへの道を確保した</p>
<p>　</p>
<p>　・１８８０年代に、イギリスはエジプトを支配下に置いた</p>
<p>　　→すると、１８９５年に植民相になったジョセフ＝チェンバレンのもとで、</p>
<p>　　　植民地との連携強化を狙った</p>
<p>　　　＝その結果、以下の３つが自治領になった</p>
<p>　　　　・１９０１年にオーストラリア連邦が自治領になった</p>
<p>　　　　・１９０７年にニュージーランドが自治領になった</p>
<p>　　　　・１９１０年に南アフリカ連邦が自治領になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チェンバレンは、国内の社会問題の解決には、植民地が必要だと考えた</p>
<p>　　＝そのため、セシル＝ローズという人を支援して、</p>
<p>　　　南アフリカ（南ア、ブール）戦争を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリス国内では、フェビアン協会や労働組合が労働者独自の政党を求めた</p>
<p>　　→その後、１９００年に労働代表委員会が結成された</p>
<p>　　　＝労働代表委員会は、１９０６年に労働党になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※フェビアン協会とは</p>
<p>　　　・知識人を中心にした社会主義団体のこと</p>
<p>　　　・フェビアン協会では、バーナード＝ショーやウェッブ夫妻などが活躍した</p>
<p>　　　・その社会主義は、フェビアン社会主義と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・労働党は、最初は社会主義を目標にかかげた</p>
<p>　　→結果的には、ゆるやかな改革をつうじてその実現を目指す方針をとった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０５年には、自由党内閣というのが成立した</p>
<p>　　→自由党内閣は、労働党の協力を得て社会改革を実行した</p>
<p>　　　＝そして、１９１１年には国民保険法を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらにイギリスは、ドイツに対抗する海軍の拡張費を得るために、</p>
<p>　　ロイド＝ジョージ大蔵相は、社会の上層の人達の税の負担を増やした</p>
<p>　　※これに対して、保守党が強い上院が抵抗した</p>
<p>　　　＝そこで政府は１９１１年に議会法という法律を作った</p>
<p>　　　　→この時に、下院の法案決定権が上院に優先するということを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自由党内閣は、１９１４年にアイルランド自治法を成立させた</p>
<p>　　→しかし、イギリス人の多い北アイルランドはこれに反対した</p>
<p>　　　＝そのため、アイルランドの独立を主張するシン＝フェイン党という政党と対立した</p>
<p>　　　　※そして、政府は第一次世界大戦の勃発を理由に、自治法の実施を延期した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※シン＝フェイン党などは上の動きに反発した</p>
<p>　　　＝そのため、一部の独立強硬派が１９１６年に武装蜂起を起こした</p>
<p>　　　　→しかし、鎮圧されてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・帝国主義時代のイギリスの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/993">帝国主義時代のイギリスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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