帝国主義時代のイギリスについて
帝国主義時代のイギリスについて考えてみます
・帝国主義時代のイギリスについて
※イギリスは、19世紀のなかばに「世界の工場」と言われていた
・当時のイギリスは、圧倒的な海軍力の優越を背景に、世界各地で自由貿易を推し進めた
※そのため国内では、植民地不要論も一部では提唱されていた
→しかし、結果的にイギリスの植民地は拡大し続けていった
→イギリスは、2つのパターンで植民地の支配を行った
・植民地帝国を維持するために、非白人系植民地では直接支配を行った
・白人植民地の多い植民地は、カナダのように自治領にして間接的な支配を行った
・1870年代以降、イギリスは世界的な不況や、他の工業国との競合に直面する
ということが起きた
→すると、保守党のディズレーリという首相は、1875年にスエズ運河会社の
株式を買収して、運河の経営権を握った
※同時に、ロシア=トルコ戦争戦争にも関わって、インドへの道を確保した
・1880年代に、イギリスはエジプトを支配下に置いた
→すると、1895年に植民相になったジョセフ=チェンバレンのもとで、
植民地との連携強化を狙った
=その結果、以下の3つが自治領になった
・1901年にオーストラリア連邦が自治領になった
・1907年にニュージーランドが自治領になった
・1910年に南アフリカ連邦が自治領になった
・チェンバレンは、国内の社会問題の解決には、植民地が必要だと考えた
=そのため、セシル=ローズという人を支援して、
南アフリカ(南ア、ブール)戦争を起こした
・イギリス国内では、フェビアン協会や労働組合が労働者独自の政党を求めた
→その後、1900年に労働代表委員会が結成された
=労働代表委員会は、1906年に労働党になった
※フェビアン協会とは
・知識人を中心にした社会主義団体のこと
・フェビアン協会では、バーナード=ショーやウェッブ夫妻などが活躍した
・その社会主義は、フェビアン社会主義と呼ばれた
・労働党は、最初は社会主義を目標にかかげた
→結果的には、ゆるやかな改革をつうじてその実現を目指す方針をとった
・1905年には、自由党内閣というのが成立した
→自由党内閣は、労働党の協力を得て社会改革を実行した
=そして、1911年には国民保険法を作った
・さらにイギリスは、ドイツに対抗する海軍の拡張費を得るために、
ロイド=ジョージ大蔵相は、社会の上層の人達の税の負担を増やした
※これに対して、保守党が強い上院が抵抗した
=そこで政府は1911年に議会法という法律を作った
→この時に、下院の法案決定権が上院に優先するということを決めた
・自由党内閣は、1914年にアイルランド自治法を成立させた
→しかし、イギリス人の多い北アイルランドはこれに反対した
=そのため、アイルランドの独立を主張するシン=フェイン党という政党と対立した
※そして、政府は第一次世界大戦の勃発を理由に、自治法の実施を延期した
※シン=フェイン党などは上の動きに反発した
=そのため、一部の独立強硬派が1916年に武装蜂起を起こした
→しかし、鎮圧されてしまった
ポイント
・帝国主義時代のイギリスの様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです