東南アジアの民族運動について
東南アジアの民族運動について、オランダ、フィリピン、ベトナムを中心に考えてみます
・東南アジアの民族運動について
・当時の東南アジア地域は、タイ以外の全ての地域が植民地支配を受けていた
※どの地域でも植民地支配に対する抵抗運動が見られた
→しかし、多くの地域は弾圧されて挫折していった
・オランダについて
・オランダでは、衰退し続けるインドネシアの状況に対して批判する世論が作られていった
→そのため、強制栽培制度の廃止など、植民地政策の根本的な見直しがすぐ必要になった
=その結果、20世紀にはいって住民への福祉政策が用いられ、
現地人での官吏養成政策の一つとして多くの学校を作った
・当時のオランダでは、貴族の子弟を中心に、オランダ語の教育や専門教育が行なわれた
→この時、教育を受けた子弟の間で、しだいに民族的な自覚が生まれてきた
=このようにして、1911年に民族的な組織である
イスラーム同盟(サレカット=イスラーム)が結成された
・イスラーム同盟は、最初はお互いに助け合う性格が強かった
※しかし、イスラーム同盟は段々と政治活動も行うようになっていった
→1918~20年の民族運動が盛り上がった時期には、中心的な役割を果たした
※この時に、イスラーム同盟は民族独立や社会主義を掲げた
※しかし、植民地政庁の弾圧によって、イスラーム同盟の組織が崩壊してしまった
=そのため、1920年代に入ると、急激に衰退していった
・フィリピンについて
・フィリピンでは、教育を受けた新しい世代のフィリピン人が、19世紀の後半から、
スペインの支配を批判して、民衆の啓蒙活動を始めるようになった
・1880年代に入ると、ホセ=リサールなどが民族意識を目覚めさせる言論活動を始めた
→その結果、1896年にフィリピン革命が始まった
※このフィリピン革命に、アメリカ合衆国が介入した
→すると、アギナルドという人を中心とするフィリピンの革命軍が
自分達の力で解放を目指した
=その結果、日本に武器の援助を求めるなどして運動を進め、共和国を作った
・ところが、アメリカ=スペイン戦争後に、スペインとの条約によってアメリカは
フィリピンの領有権を得ていた
→そこでアメリカは、フィリピンに侵攻し、フィリピンに侵攻して、
フィリピン=アメリカ戦争を起こした
=この時に、共和国側は敗北し、アメリカは1902年から本格的な統治を始めた
※しかし、その後もムスリムを中心に各地で反乱が続いていた
・ベトナムについて
・ベトナムでは、明治維新以降、近代化して強国になった日本の姿に刺激されて、
ファン=ボイ=チャウという人を中心に、1904年にフランスからの独立と立憲君主制の
樹立を目指す維新会が組織された
・維新会は、日本へ留学生を送って新しい学問や技術を学ばせようとする
ドンズー(東遊)運動を組織した
※この時に、武力闘争の準備も行われた
→しかし、ベトナムは日本とフランスの両方の弾圧を受けた
=そのため、ドンズ―運動は1912年に広東で組織された
ベトナム光復会に引き継がれた
ポイント
・東南アジアの民族運動についておさえる
・オランダについておさえる
・フィリピンについておさえる
・ベトナムについておさえる
このあたりが今回のポイントです