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	<title>アラエス &#187; 国学</title>
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		<title>神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1631</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1631#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:34:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[古道]]></category>
		<category><![CDATA[国学]]></category>
		<category><![CDATA[垂加神道]]></category>
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		<category><![CDATA[尊王攘夷論]]></category>
		<category><![CDATA[平田篤胤]]></category>
		<category><![CDATA[教派神道]]></category>
		<category><![CDATA[本居宣長]]></category>
		<category><![CDATA[神道]]></category>
		<category><![CDATA[賀茂真淵]]></category>

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		<description><![CDATA[神道から国学の誕生に至るまでの部分と、国学や神道を考えた人達について考えてみます &#160; &#160; ・国学の誕生について 　→国学が誕生するまでを知るためには、神道についての流れを知っておく必要がある &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1631">神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>神道から国学の誕生に至るまでの部分と、国学や神道を考えた人達について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学の誕生について</p>
<p>　→国学が誕生するまでを知るためには、神道についての流れを知っておく必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神道について</p>
<p>　　※神道：日本の昔からの神に対しての考え方に基づく宗教的な態度のこと　</p>
<p>　　</p>
<p>　・神道の流れ</p>
<p>　　・神道は、祭祀などの儀礼や神にまつわる物語の形で継承されていた</p>
<p>　　→しかし、密教の影響を受けて、平安時代の末期以降に、</p>
<p>　　　度会家行の伊勢神道や吉田兼倶の吉田神道が登場した</p>
<p>　　→そして、正直や清浄、慈悲などの道徳が意識され、</p>
<p>　　　そのような道徳を守る人は神に救われると考えられていた</p>
<p>　　　※正直：道理を受け入れる気持ちのこと</p>
<p>　　　　清浄：体をキレイにして、欲を持たない心の清らかさのこと</p>
<p>　　　　慈悲：いつくしんだり、あわれんだりすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その後、江戸時代には朱子学と結び付けて垂加神道が登場した</p>
<p>　　　※垂加神道－・儒家神道の一つで、山崎闇斎が作った</p>
<p>　　　　　　　　　・神人合一（神と人とを直接まとめて一つのものとして考えること）を</p>
<p>　　　　　　　　　　提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・そして、江戸時代中期に、契沖という人が「万葉集」を研究した</p>
<p>　　　→この流れを受けて、古道（昔の政治家の理想とされていた考え方）を</p>
<p>　　　　見出そうとする学問が誕生した</p>
<p>　　　　＝この学問を国学と言う</p>
<p>　</p>
<p>　　　　※代表的な国学者に、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学者たちについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・賀茂真淵－・「万葉集」は男性的でおおらかな歌風の歌集（＝ますらをぶり）だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・賀茂真淵は、仏教や儒学の影響を受けていなかった</p>
<p>　　　　　　　　→そのため、「ますらをぶり」のような</p>
<p>　　　　　　　　　簡素で力強い日本の精神の尊重を提唱した</p>
<p>　　　　　　　・荷田春満から教わり、「国意考」や「歌意考」という本を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・本居宣長－・賀茂真淵と違い、女性的で優雅な歌風であるという「たをやめぶり」の精神が</p>
<p>　　　　　　　　日本には必要だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・人々は「古今集」や「源氏物語」などを学び、</p>
<p>　　　　　　　　「もののあはれ」を知るべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　※もののあはれとは・・物事に触れた時に生まれる感嘆のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→もののあはれをダメだと考える人は、他者の苦しみや悲しみが</p>
<p>　　　　　　　　　　理解できないからダメだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　＝このような、他者を理解できない気持ちを、漢意（からごころ）と呼んだ</p>
<p>　　　　　　　　　　　※漢意・・儒学や仏教の考え方に影響を受けた気持ちのこと</p>
<p>　　　　　　　・本居宣長は、「道」（政治家の理想）は古道の段階で実現されているから、</p>
<p>　　　　　　　　「道」についての議論はする必要はないと考えた</p>
<p>　　　　　　　・仏教や儒学の教説は、自分の賢さを自慢するための道具だと考えた</p>
<p>　　　　　　　　→そこで、本居宣長は良くても悪くてもいいから、</p>
<p>　　　　　　　　　生まれた時に持っている心（＝真心）が大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・「古事記伝」や「玉勝間」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平田篤胤－・古道を神道に結び付けて、復古神道という新しい神道を開いた</p>
<p>　　　　　　　　→以前からある神道の教説に含まれている仏教や儒学の教説を</p>
<p>　　　　　　　　　排除するべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　・復古神道は、民間の国学として、尊王攘夷論に影響を与えた</p>
<p>　　　　　　　・「霊能真柱」「古史徴」「古道大意」などを書いた</p>
<p>　</p>
<p>　※平田篤胤の復古神道の後、江戸時代後期に、修行の重要性やや現世利益を考え、</p>
<p>　　人々の救済を目指す黒住教、天理教、金光教などの民族宗教が生まれた</p>
<p>　　＝このような民族宗教をまとめて、教派神道と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・有名な神道として、度会家行の伊勢神道、吉田兼倶の吉田神道、山崎闇斎の垂加神道がある</p>
<p>・契沖の万葉集を始めとして、古道を見出そうとする学問として、国学が誕生した</p>
<p>・賀茂真淵は、「ますらをぶり」を提唱し、「国意考」や「歌意考」を書いた</p>
<p>・本居宣長は、「たをやめぶり」や「もののあはれ」、漢意を排除して真心を大切にすること</p>
<p>　などを提唱し、「古事記伝」や「玉勝間」を書いた</p>
<p>・平田篤胤は、復古神道を提唱し、尊王攘夷論や教派神道に影響を与え、</p>
<p>　「霊能真柱」「古史徴」「古道大志」などを書いた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1631">神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>化政文化の時の国学と洋学について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1235</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1235#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 19:54:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[江戸時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[シーボルト事件]]></category>
		<category><![CDATA[伊能忠敬]]></category>
		<category><![CDATA[国学]]></category>
		<category><![CDATA[平賀源内]]></category>
		<category><![CDATA[復古神道]]></category>
		<category><![CDATA[新井白石]]></category>
		<category><![CDATA[杉田玄白]]></category>
		<category><![CDATA[洋楽]]></category>
		<category><![CDATA[蘭学]]></category>
		<category><![CDATA[鳴滝塾]]></category>

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		<description><![CDATA[化政文化の時の国学と洋学について考えてみます &#160; &#160; ・国学について &#160; 　※国学とは・・「古事記」や「日本書紀」など日本に昔からある文学を研究する学問のこと &#160; 　 　・荷田春満 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1235">化政文化の時の国学と洋学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>化政文化の時の国学と洋学について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※国学とは・・「古事記」や「日本書紀」など日本に昔からある文学を研究する学問のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・荷田春満や賀茂真淵などの人達は、日本の古代の考え方を研究した</p>
<p>　　※その時に、洋学、儒教や仏教などの外国から来た考え方も批判した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・本居宣長という人が「古事記伝」という本を書き、日本に昔からある精神に戻ることが</p>
<p>　　重要だと考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　・平田篤胤という人が復古神道という神道を作り、儒教や仏教を批判した</p>
<p>　　※復古神道・・日本に昔からある純粋な信仰を重視する考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・塙保己一という人が和学講談所という施設を作り、「群書類従」という</p>
<p>　　シリーズの本を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・洋学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※西洋の学問の研究は、日本が鎖国している状況だったので、研究自体が難しかった</p>
<p>　　→そのような状況の中で、西川如見や新井白石などの人達が</p>
<p>　　　洋学の先駆けになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※新井白石の洋学への功績について</p>
<p>　　　・１７０８年に、イタリア人の宣教師のシドッチという人が</p>
<p>　　　　キリスト教を普及させる目的で日本に来た</p>
<p>　　　・シドッチは屋久島で捕まえられ、江戸小石川のキリシタン屋敷に閉じ込められて</p>
<p>　　　　５年後に死んでしまった</p>
<p>　　　　→その時に、新井白石はシドッチからいろいろ聞いて、</p>
<p>　　　　　「采覧異言」と「西洋紀聞」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８代将軍徳川吉宗が、漢訳洋書の輸入制限を緩めて、青木昆陽や野呂元丈などに</p>
<p>　　オランダ語を勉強させた</p>
<p>　　→そのため、洋学が蘭学として発達していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蘭学がどのような活躍を見せたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・蘭学を一番最初に取り入れたのが、医学だった</p>
<p>　　　→蘭学の成果として、前野良沢や杉田玄白などが書いた「解体新書」という本</p>
<p>　　　　が誕生したことが挙げられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※医学は、元や明の医学を重視する考え方から、漢の時代の医学に戻ろうとする</p>
<p>　　　考え方が出てきた</p>
<p>　　　＝この考え方を、古医方という</p>
<p>　　　　→中でも、山脇東洋という人は、日本最初の解剖図録である</p>
<p>　　　　　「蔵志」という本を書いた</p>
<p>　</p>
<p>　　</p>
<p>　　・この後に、大槻玄沢や宇田川玄随という人達が出てきて、</p>
<p>　　　蘭学がさらに研究されるようになった</p>
<p>　　　→大槻玄沢は、「蘭学階梯」という蘭学の入門書を書き、</p>
<p>　　　　江戸に芝蘭堂という施設を作って、多くの生徒を持った</p>
<p>　　　→宇田川玄随は、「西説内科撰要」という本を書いた</p>
<p>　　　→大槻玄沢の門人だった稲村三伯という人が、「ハルマ和解」という辞書を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・平賀源内という人が出てきて、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　→・長崎で勉強した知識を使って物理学の研究を行った</p>
<p>　　　　・本草学を勉強した</p>
<p>　　　　・摩擦発電機（エレキテル）の実験をして、寒暖計などを作った</p>
<p>　　　　・戯曲や滑稽本などを書いた</p>
<p>　　　　・蘭学書で西洋の画法を勉強して、秋田に銅山の開発のために行った時に、</p>
<p>　　　　　西洋の画法を教えた　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府は、１８世紀の半ばに天文方という役職を作り、天文や測地、洋書の翻訳などを行わせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・天文の分野で、天文方の高橋至時という人に寛政暦という暦を作らせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・測地の分野で、伊能忠敬という人に全国の沿岸を測らせて、</p>
<p>　　　「大日本沿海輿地全図」という地図を作らせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・翻訳の分野で、蛮書和解御用という御用職を作り、蛮書和解御用に洋書を翻訳させた</p>
<p>　　　※蛮書和解御用は、天文方の高橋景保という人の意見で作られ、</p>
<p>　　　　後に蕃書調所という名前になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・オランダ語の通訳者の志筑忠雄という人が「暦象新書」という本を書いた</p>
<p>　　　→この本の中で、ニュートンの万有引力やコペルニクスの地動説を紹介した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・民間レベルでも蘭学の研究が行われた</p>
<p>　　　→１９世紀の前半に、２つの塾が作られ、多くの人材を育てた</p>
<p>　　　　・オランダ商館医だったドイツ人のシーボルトという人が、</p>
<p>　　　　　長崎の郊外に鳴滝塾という塾を作った</p>
<p>　　　　　　※シーボルトは、「日本」という本を書いた</p>
<p>　　　　・緒方洪庵という人が大坂に適塾（適々斎塾）という塾を作った</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※洋学の研究は、シーボルト事件や蛮社の獄などによって、規制を受けた</p>
<p>　　　　→そのため、幕府の外交政策の批判や政治に直接影響を与えることが無かった</p>
<p>　　　　→洋学の研究は、医学や地理学などの実学としての性格が強くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※シーボルト事件とは・・</p>
<p>　　　　・１８２８年にシーボルトが帰国する時に、持ち出しが禁止されている日本地図を</p>
<p>　　　　　持っていたために、国外追放の処分を受けた</p>
<p>　　　　・地図を渡した高橋景保を始めとした関係者も処罰された</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、シーボルト事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※当時、佐久間象山という幕末に開国論を展開した人が、</p>
<p>　　　　「東洋道徳、西洋芸術」という考えを表明した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・国学について押さえる</p>
<p>・洋学について押さえる</p>
<p>・蘭学について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1235">化政文化の時の国学と洋学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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