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	<title>アラエス &#187; 奥州藤原氏</title>
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	<item>
		<title>鎌倉幕府の誕生について①　－鎌倉幕府が出来るまでの流れ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1142</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1142#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:45:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[兵糧米]]></category>
		<category><![CDATA[右近衛大将]]></category>
		<category><![CDATA[奥州藤原氏]]></category>
		<category><![CDATA[寿永二年十月宣旨]]></category>
		<category><![CDATA[御家人]]></category>
		<category><![CDATA[惣追捕使]]></category>
		<category><![CDATA[源義経]]></category>
		<category><![CDATA[源頼朝]]></category>
		<category><![CDATA[藤原泰衡]]></category>
		<category><![CDATA[鎌倉幕府]]></category>

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		<description><![CDATA[鎌倉幕府が出来るまでの流れについて考えてみます &#160; &#160; ・鎌倉幕府が出来るまでの流れについて &#160; &#160; 　・平氏への反対勢力のうち、東国の武士団が、源氏である源頼朝のところに 　　集 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1142">鎌倉幕府の誕生について①　－鎌倉幕府が出来るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>鎌倉幕府が出来るまでの流れについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・鎌倉幕府が出来るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平氏への反対勢力のうち、東国の武士団が、源氏である源頼朝のところに</p>
<p>　　集まるようになった</p>
<p>　　→そのため、勢力の中でも源頼朝の勢力が最も大きくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・源頼朝は、鎌倉という場所を拠点にして、主従関係を作ろうとした</p>
<p>　　→そこで、関東の荘園や公領を支配することで、御家人の土地の支配を保障していった</p>
<p>　　　※御家人・・将軍と主従関係にある武士のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１１８３年に源頼朝が京都の後白河法皇と相談して、源頼朝が東国を支配することを</p>
<p>　　承認してもらった</p>
<p>　　＝このことを寿永二年十月宣旨と言う</p>
<p>　</p>
<p>　※しかし、１１８５年に平氏が倒れた後、あまりにも源頼朝の力が強くなりすぎたため、</p>
<p>　　後白河法皇が源義経に源頼朝を倒すことを命令した</p>
<p>　　→この動きに対して、源頼朝は軍隊を京都に送ったため、後白河法皇よりも</p>
<p>　　　強い立場になってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　＝そのため、源頼朝が以下のようないろいろな権利を得た</p>
<p>　　　　→・様々な国に守護を、荘園や公領に地頭を任命する権利を得た</p>
<p>　　　　　　※守護は、最初は惣追捕使や国地頭などと呼ばれたが、</p>
<p>　　　　　　　最終的に守護に統一された</p>
<p>　　　　　・１段当たり５升という単位で兵糧米（戦いの時の兵糧のためのお金のこと）を</p>
<p>　　　　　　徴収する権利を得た　</p>
<p>　　　　　・様々な国の国衙の実権を握る在庁官人を支配する権利を得た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のような動きを行ったり、権利を得たりしたので、源頼朝が東国だけでなく、</p>
<p>　　　西の方も支配するようになった</p>
<p>　　　＝このようにして全国に源頼朝の力が広がっていったので、</p>
<p>　　　　武家政権としての鎌倉幕府が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・鎌倉幕府を誕生させた後、源頼朝は、源義経をかばったという理由で</p>
<p>　　奥州藤原氏を倒した</p>
<p>　　※具体的にどうやって倒したのか</p>
<p>　　　・藤原秀衡が死んだ後に、子どもの藤原泰衡が諦めて源頼朝の要求に従い、</p>
<p>　　　　源義経を殺した</p>
<p>　　　　→その後、源頼朝は藤原泰衡が義経を一回かばっているということを理由にして、</p>
<p>　　　　　１１８９年に奥州に軍を出して藤原泰衡を倒し、</p>
<p>　　　　　陸奥と出羽の２つの国を支配することが出来た</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・源頼朝が、１１９０年に上洛（地方から京都に移ること）を達成して、</p>
<p>　　右近衛大将という令外官になった</p>
<p>　　→その後、１１９２年に後白河法皇が死んだため、源頼朝が征夷大将軍という役職に</p>
<p>　　　任命された</p>
<p>　　　＝このようにして、鎌倉幕府が名前だけでなく、内容的にも成立してから、</p>
<p>　　　　滅亡するまでの時代を鎌倉時代と呼ぶ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※幕府は、武士のトップが作った政権のことを言い、</p>
<p>　　　　征夷大将軍は、源頼朝が任命されてからは、武士をまとめる地位を示す</p>
<p>　　　　官職のことを言ったが、昔は幕府も征夷大将軍も意味が違っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・鎌倉幕府が出来るまでの流れについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1142">鎌倉幕府の誕生について①　－鎌倉幕府が出来るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>院政について②　－院政の時期の様子－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1136</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1136#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:08:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[不輸・不入]]></category>
		<category><![CDATA[八条院領]]></category>
		<category><![CDATA[奥州藤原氏]]></category>
		<category><![CDATA[知行国の制度]]></category>
		<category><![CDATA[藤原清衡]]></category>
		<category><![CDATA[鎮護国家]]></category>
		<category><![CDATA[長講堂領]]></category>
		<category><![CDATA[院分国の制度]]></category>
		<category><![CDATA[院政]]></category>
		<category><![CDATA[院近臣]]></category>

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		<description><![CDATA[院政について、院政の時期の様子を考えてみます &#160; &#160; ・院政の時期の様子について &#160; 　・上皇のまわりには、院近臣と呼ばれる集団が集まり、院近臣が上皇の力を借りて、 　　収益の多い国の国司な [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1136">院政について②　－院政の時期の様子－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>院政について、院政の時期の様子を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・院政の時期の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上皇のまわりには、院近臣と呼ばれる集団が集まり、院近臣が上皇の力を借りて、</p>
<p>　　収益の多い国の国司などの官職に任命されることがあった</p>
<p>　　　※・院司として上皇に従った近臣たちは、最初は朝廷での官職が</p>
<p>　　　　　さほど高いわけではなく、様々な国の国司を担当した人が多かった</p>
<p>　　　　・院近臣・・裕福な受領、后妃、乳母の一族などのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政の時期に、知行国の制度、院分国の制度などが広がった</p>
<p>　　→そのため、公領が知行国主や国司の自分の土地（私領）のようになった</p>
<p>　　　＝この動きが、院政の経済を支える基盤になったといわれている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※・院分国の制度・・院自身が国の収益を得る制度のこと</p>
<p>　　　　・知行国の制度・・上級の貴族に、知行国主として一つの国の支配権を与えて、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　その国からの収入を知行国主に与える制度のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※なぜ、知行国の制度を作ったのか</p>
<p>　　　　・知行国主は、自分の子どもや近親の人などを国守に任命して、</p>
<p>　　　　　現地に目代を派遣して国の支配をした</p>
<p>　　　　　→この時に、貴族の給料を表面上は与えるとしておきながら実際は与えない</p>
<p>　　　　　　ということが起きたので、貴族の収益を確保する、という目的で</p>
<p>　　　　　　知行国の制度が作られることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政の時期には、寄進地系荘園も経済の基盤になった</p>
<p>　　→・鳥羽上皇の時代には、院のまわりに荘園の寄進が集まったり、</p>
<p>　　　　有力な貴族や大きな寺院への荘園の寄進なども増えた</p>
<p>　　　・上皇は、近親の女性と同じような待遇を与えた</p>
<p>　　　　→代表的なものに、八条院領、長講堂領などがある</p>
<p>　　　　　※・八条院領・・鳥羽法皇が皇女である八条院に伝えた荘園のこと</p>
<p>　　　　　　・長講堂領・・後白河法皇が長講堂に寄進した荘園のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　・不輸や不入の権を持っている荘園が一般的になって、</p>
<p>　　不入の権が警察権を排除するレベルまで拡大された</p>
<p>　　＝そのため、荘園の独立的な性格が強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大寺院が多くの荘園を持ち、大寺院にいる下級の僧侶を僧兵として、国司と争ったり、</p>
<p>　　朝廷に強訴（訴えや要求をすること）をして要求を通そうとしたりした</p>
<p>　　※・興福寺の僧兵を奈良法師と言い、京都に入って強訴した</p>
<p>　　　・延暦寺の僧兵を山法師と言い、日吉神社の神輿をかついで強訴をした</p>
<p>　　　・興福寺を南都、延暦寺を北嶺と言う</p>
<p>　　　・大寺院は鎮護国家を提唱していた</p>
<p>　　　　→大寺院の上のような行動は、法ではなく実力で争うという、院政の時期の社会の特徴を　　</p>
<p>　　　　　表現していると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神や仏の権威を恐れた貴族は、大寺院の力に対抗することができず、</p>
<p>　　武士を使って警護や鎮圧を行わせた</p>
<p>　　＝このような動きがあり、武士が中央の政治の世界に進むきっかけになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方は、各地の武士が館という建物を作って、一族や地域などの結びつきを強めるようになった</p>
<p>　　※特に奥羽地方では、陸奥の平泉という場所を拠点にして、藤原清衡の力が強くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・奥州藤原氏は、清衡、基衡、秀衡の３代で約１００年の間、繁栄していった</p>
<p>　　※奥州藤原氏が行ったこと</p>
<p>　　　・金や馬などの産物の富で京都の文化を移入してきた</p>
<p>　　　・北の方の土地との交易によって、奥州独自の文化を育てた</p>
<p>　　　・奥州の２回の反乱の後に、奥州の藤原氏が勢力をきずくようになった</p>
<p>　　　・北の方の産物が都に持っていかれるようになった</p>
<p>　　　・藤原氏は金によって、平泉を中心に繁栄した　etc</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政の時期には、私的な土地の所有が行われるようになった</p>
<p>　・院、大寺社、武士などが独自な権力を持つようになり、権力が分かれていくようになった</p>
<p>　・社会を法律などではなく、実力で動かそうとする風潮が強くなっていった</p>
<p>　　→以上のような特徴を踏まえた当時の社会は、中世社会と言われるようになり、</p>
<p>　　　この時期から中世社会が始まったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・院政の時期の様子について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1136">院政について②　－院政の時期の様子－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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