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	<title>アラエス &#187; 守護</title>
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	<item>
		<title>守護大名と国人一揆について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1161</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1161#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 19:32:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[南北朝時代・室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[一揆]]></category>
		<category><![CDATA[使節遵行]]></category>
		<category><![CDATA[刈田狼藉]]></category>
		<category><![CDATA[半済令]]></category>
		<category><![CDATA[国人一揆]]></category>
		<category><![CDATA[国衙]]></category>
		<category><![CDATA[守護]]></category>
		<category><![CDATA[守護大名]]></category>
		<category><![CDATA[守護請]]></category>

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		<description><![CDATA[守護大名と国人一揆について考えてみます &#160; &#160; ・守護大名と国人一揆について &#160; &#160; 　・守護大名について &#160; 　　・南北朝の動乱の時に、地方の武士の力が強くなっていった [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1161">守護大名と国人一揆について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>守護大名と国人一揆について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・守護大名と国人一揆について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・守護大名について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・南北朝の動乱の時に、地方の武士の力が強くなっていった</p>
<p>　　　→そこで、地方の武士をそれぞれの国ごとにまとめる役割の人（守護）が</p>
<p>　　　　大きな役割を果たすようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幕府は、武士をコントロールするために、守護の権力を大きく広げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※守護の権力の内容</p>
<p>　　　　・大犯三カ条に加えて、刈田狼藉を取り締まる権利、使節遵行、半済令などを認めた</p>
<p>　　　　　※・刈田狼藉・・田んぼについての争いの時に、自分の田んぼの所有権を主張して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　稲を一方的に刈り取ってしまうこと</p>
<p>　　　　　　・使節遵行・・幕府の裁判の判決を、強制的に行う権利のこと</p>
<p>　　　　　　・半済令・・軍事費を得るために、自分の国の荘園や公領の年貢の半分を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　強制的に取り立てる権限のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→守護は、上のような権力を使って国内の荘園や公領をコントロールするように</p>
<p>　　　　なったので、国内の荘園や公領を武士たちに分け与えることで、</p>
<p>　　　　武士を自分の手下にしようとした</p>
<p>　　　　※荘園や公領の領主が年貢の徴収を守護に任せること（守護請）も</p>
<p>　　　　　盛んに行われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・守護は、基本的に幕府から任命されるものだった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※守護の中には、国衙も自分でコントロールするようになり、</p>
<p>　　　　自分が担当している国の全てを支配するような守護が出てきた</p>
<p>　　　　＝このような守護を、鎌倉時代の守護と区別するために、</p>
<p>　　　　　守護大名と呼ばれることがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国人一揆について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・守護が活躍していた状況でも、地頭などの領主で当時国人と呼ばれた</p>
<p>　　　地方の武士の中には、自立したい思いが強い武士が多かった</p>
<p>　　　→そのため、守護が武士を手下にするのは簡単ではなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※特に、守護の力が弱い地域では、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・守護を無視して、国人たちが自主的に自分達の裁判を解決した</p>
<p>　　　　・農民を支配するために、国人が農民と契約を結び、地域の一部で一揆を結成した</p>
<p>　　　　　＝この一揆を国人一揆と言う</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　　　※一揆とは・・協力して目標を達成しようとするときに、神や仏に誓って</p>
<p>　　　　　　　　　　一致団結した状態（一味同心）の集団のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→国人一揆を行うような国人は、権力をつけてきたので守護の支配に抵抗することもあった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・守護大名についてを押さえる</p>
<p>・国人一揆を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1161">守護大名と国人一揆について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>鎌倉幕府の誕生について②　－幕府の政治スタイル－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1143</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1143#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:52:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[鎌倉時代]]></category>
		<category><![CDATA[侍所]]></category>
		<category><![CDATA[六波羅探題]]></category>
		<category><![CDATA[問注所]]></category>
		<category><![CDATA[地頭]]></category>
		<category><![CDATA[大犯三カ条]]></category>
		<category><![CDATA[守護]]></category>
		<category><![CDATA[平家没官領]]></category>
		<category><![CDATA[政所]]></category>
		<category><![CDATA[鎮西奉行]]></category>

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		<description><![CDATA[鎌倉幕府の政治スタイルについて考えてみます &#160; &#160; ・幕府の政治スタイルについて &#160; 　・幕府のスタイルは簡単で実用的だったと言われている &#160; 　　→中央機関には、侍所、政所、問注 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1143">鎌倉幕府の誕生について②　－幕府の政治スタイル－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>鎌倉幕府の政治スタイルについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・幕府の政治スタイルについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府のスタイルは簡単で実用的だったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→中央機関には、侍所、政所、問注所などが置かれた</p>
<p>　　　・侍所・・御家人を組織して統制する機関で、トップには東国御家人の</p>
<p>　　　　　　　　和田義盛という人が任命された</p>
<p>　　　・政所・・一般政務や財政事務を担当する機関で、トップには貴族出身の</p>
<p>　　　　　　　　大江広元という人が任命された</p>
<p>　　　・問注所・・裁判の事務を担当する機関で、トップには貴族出身の三善康信という人が</p>
<p>　　　　　　　　　任命された</p>
<p>　　　※それ以外に、京都から招いた下級貴族を中心とする側近が源頼朝を補佐した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→地方には、守護、地頭などが置かれた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・守護について</p>
<p>　　　　→・守護は基本的に東国出身の有力な御家人が任命されて、原則として</p>
<p>　　　　　　各国に一人ずつ置かれた</p>
<p>　　　　　・守護が国内の御家人をコントロールして、普段は治安の維持と</p>
<p>　　　　　　警察権の行使を行った</p>
<p>　　　　　・戦いの時には、守護が国内の武士をコントロールした</p>
<p>　　　　　・守護が在庁官人を支配した</p>
<p>　　　　　・守護が東国の国衙の行政に関する事務を引き継いで、</p>
<p>　　　　　　守護が地方の行政官としての役割を果たした</p>
<p>　　　　　・大犯三カ条（京都大番役の催促、謀反人の逮捕、殺害人の逮捕）</p>
<p>　　　　　　という職務を行った</p>
<p>　　　　　　※京都大番役・・様々な国の御家人に、天皇や院の御所という場所を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　警護させる仕事のこと</p>
<p>　　　　　・京都の守護は、後で六波羅探題という名前に変わり、西の方の御家人の指導をした</p>
<p>　　　　　・九州には鎮西奉行という役職を置いて、鎮西奉行が九州の御家人を支配して</p>
<p>　　　　　　太宰府の実権を握った</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　・地頭について</p>
<p>　　　　→・地頭は御家人の中から任命された</p>
<p>　　　　　・地頭には、年貢の徴収と納入、土地の管理、治安維持などの仕事があった</p>
<p>　　　　　　※地頭は、平氏の時にもあったが、給料が一定ではなかった</p>
<p>　　　　　　　→そこで、源頼朝は地頭を任命させたりやめさせたりする権利を</p>
<p>　　　　　　　　国司や荘園領主から奪って、幕府が地頭の任命と罷免の権利を持つようになった</p>
<p>　　　　　・今までの荘官だった人が頼朝によって、地頭に任命された人が多かった</p>
<p>　　　　　・地頭が置かれた範囲は、平家没官領を中心とした謀反人の土地に限られていた</p>
<p>　　　　　　※平家没官領・・平家が倒された時に、朝廷（後白河法皇）が</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　平家から奪った土地のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・幕府のスタイルを押さえる</p>
<p>・守護、地頭の内容を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1143">鎌倉幕府の誕生について②　－幕府の政治スタイル－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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