守護大名と国人一揆について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/22 04:32      
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守護大名と国人一揆について考えてみます

 

 

・守護大名と国人一揆について

 

 

 ・守護大名について

 

  ・南北朝の動乱の時に、地方の武士の力が強くなっていった

   →そこで、地方の武士をそれぞれの国ごとにまとめる役割の人(守護)が

    大きな役割を果たすようになった

 

  ・幕府は、武士をコントロールするために、守護の権力を大きく広げた

 

   ※守護の権力の内容

    ・大犯三カ条に加えて、刈田狼藉を取り締まる権利、使節遵行、半済令などを認めた

     ※・刈田狼藉・・田んぼについての争いの時に、自分の田んぼの所有権を主張して、

              稲を一方的に刈り取ってしまうこと

      ・使節遵行・・幕府の裁判の判決を、強制的に行う権利のこと

      ・半済令・・軍事費を得るために、自分の国の荘園や公領の年貢の半分を

            強制的に取り立てる権限のこと

   

   →守護は、上のような権力を使って国内の荘園や公領をコントロールするように

    なったので、国内の荘園や公領を武士たちに分け与えることで、

    武士を自分の手下にしようとした

    ※荘園や公領の領主が年貢の徴収を守護に任せること(守護請)も

     盛んに行われるようになった

 

  ・守護は、基本的に幕府から任命されるものだった

  

   ※守護の中には、国衙も自分でコントロールするようになり、

    自分が担当している国の全てを支配するような守護が出てきた

    =このような守護を、鎌倉時代の守護と区別するために、

     守護大名と呼ばれることがある

 

 

 ・国人一揆について

 

  ・守護が活躍していた状況でも、地頭などの領主で当時国人と呼ばれた

   地方の武士の中には、自立したい思いが強い武士が多かった

   →そのため、守護が武士を手下にするのは簡単ではなかった

 

   ※特に、守護の力が弱い地域では、以下のようなことが起きた

    ・守護を無視して、国人たちが自主的に自分達の裁判を解決した

    ・農民を支配するために、国人が農民と契約を結び、地域の一部で一揆を結成した

     =この一揆を国人一揆と言う

      

   ※一揆とは・・協力して目標を達成しようとするときに、神や仏に誓って

          一致団結した状態(一味同心)の集団のこと

 

 

   →国人一揆を行うような国人は、権力をつけてきたので守護の支配に抵抗することもあった

  

 

ポイント

・守護大名についてを押さえる

・国人一揆を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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