室町時代の農業と商工業について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 00:07      
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室町時代の農業と商工業について考えてみます

 

 

・当時の農業について

 

 ※当時の農業の大きな特徴は、土地の生産性を上げるために、集約的かつ多角的だった

  ということだと言われている

 

 ・当時の畿内では、灌漑や排水の施設が整備されたり改善されたりしたため、

  三毛作も行われるようになった

  ※三毛作・・同じ土地で1年間に3種類の作物を作ること

 

 ・水稲の品種改良が進んだので、早稲、中稲、晩稲という3種類の品種の稲が作られた

 

 ・肥料に、今までの刈敷や草木灰に加えて、下肥というものが使われるようになった

  →そのため、土地と収穫が安定してきたと言われている

 

 ・手工業の原料(苧、桑、漆、藍、茶など)の栽培が盛んになった

  →農村での加工業も発達したので、原料が商品として出回るようになった

   =このような向上は、農民の生活の向上、モノの需要の増加などを生み、

    農村で商品経済が浸透したと言われている

 

 

 

 

・当時の商工業について

 

 ・当時は、農業と農民の生活が向上したため、商工業などの地方の産業が盛んになった

  →中でも、地方の特色を生かした地方の特産品が作られるようになった

 

  ※当時の特産物について

   ・加賀や丹後・・絹織物

   ・美濃・・美濃紙

   ・播磨・・杉原紙

   ・備前・・刀

   ・河内・・鍋

   ・京都・・高級絹織物

   ・美濃や尾張・・陶器

   ・能登や筑前・・釜 

   ・河内や大和や摂津・・酒 etc

    

    →刀は、国内での消費だけでなく、日明貿易という貿易の時に輸出する商品

     としても重宝された

 

 

 ・製塩(塩を作ること)のための塩田が2種類出てきた

  ・自然浜(揚げ浜)・・ほとんど手を加えていない塩田のこと

  ・古式入浜(後の入浜塩田)・・砂浜を堤で囲った砂浜に、潮の満ち引きを利用して

                 海水を取り入れる塩田のこと

 

 

 ・地方の市場は、今までは月に3回開いていたが、応仁の乱が起きてからは

  月に6回開かれるようになった

  =月に6回開かれる市を、六斎市と言う

 

 ・当時は、連雀商人や振売と呼ばれる行商人の数が増えて行った

  ※・連雀商人・・連雀という道具を使って行商した商人のこと

   ・振売・・商品を担いで、モノの名前を言いながら売り歩いた商人のこと

 

  →連雀商人や振売には、大原女や桂女を始めとして、女性の活躍が増えてきた

   ※・大原女・・炭や薪を売る商人のこと

    ・桂女・・鵜飼いの集団で、鮎を売る商人のこと

     

   ※女性は、金融業などにも進出していたと言われている

 

 ・京都の米場や淀の魚市と呼ばれるような、ある特定の商品だけを売る市場が出てきた

 

 

 ・手工業や商人の座(同業組合のこと)の種類が圧倒的に増えた

  ※中には、大寺社や天皇家から神人、供御人という称号与えられたことを理由に、

   関銭の免除や広い範囲での独占的な販売の権利を認められて、

   全国レベルで活動した座もあった

   

   ※様々な免除を受けた例

    ・灯炉供御人(鋳物師)は、蔵人所を本所として、朝廷の権力によって

     関銭を免除されて、全国レベルで商売を行った

    ・大山崎の油神人(油座)は、石清水八幡宮を本所として、幅広い油の販売と、

     荏胡麻(油の原料)を買う独占権を持っていた

 

  ※15世紀以降は、座に加わらない新しい商人が出てきたり、

   本所を持たない座(仲間)が増えてきた

 

 

ポイント

・室町時代の農業についておさえる

・室町時代の商工業についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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