室町時代の日本と東アジアとの関係について -日明貿易と日朝貿易-
東アジアとの関係について考えてみます
・東アジアの動きについて
・南北朝の動乱の時に、対馬、壱岐、肥前松浦という地方の住民を中心とした海賊の集団が、
朝鮮半島や中国の沿岸を襲う、という事件が起きた
=この時の海賊の集団のことを倭寇と言う
※倭寇は何をしたのか
→朝鮮半島沿岸の人々を捕まえたり、米や大豆などの食料を奪ったりした
※高麗という国は倭寇に悩まされていたので、日本に人を送って
倭寇を禁止することをお願いした
→しかし、日本の内部が混乱している状況だったので、
倭寇を禁止させることができなかった
・中国の動きについて
・中国では、1368年に朱元璋という人が元を倒して、明という国を誕生させた
→明は、中国を中心とした国際関係にすることを目指して、近くの国と交渉した
※日本は、蒙古襲来の後も元と正式な国交はなく、
個人的な商船の往復があるだけだった
※足利尊氏は、夢窓疎石という人のすすめによって、天竜寺という
後醍醐天皇の冥福を祈るための寺を建てようとしていて、
そのための費用を得るために天竜寺船という船を元に送った
→この動きは、建長寺という寺の修復の資金を得ようとして元に送った
建長寺船の例を参考にしたと言われている
・足利義満は、明が近くの国と交渉しようとしていることを知って、
明に使いを送り、国交を開いた
※その時の使いの第1回は、正使が僧の祖阿、副使が博多商人の肥富という人だった
・日本と明との関係について
・日本は、明と日明貿易という貿易を行った
→しかし、明は自分を中心とした国際関係を作りたかった
=そのため、日本が明に朝貢(日本が明の朝廷に貢物を渡す)して、
そのお礼に品物を受け取る、という方式だった
※このような貿易のスタイルを朝貢貿易と言う
・国交を開く時に、足利義満は使者に国書(その国のトップが国の名前を使って作る
外交のための文書のこと)を持たせて明に派遣した
→この時、明の皇帝は日本に明の暦を渡した
=そのため、日本から明に送る文書には、「日本国王臣源」と署名していた
※どういうことなのか
→当時は、暦を受け取ることは、相手の国に服従する、
ということを認める象徴的な行為だった
=そのため、日本は朝貢貿易のような形になってしまった
※さらに、日本は遣明船(明への船)を明に送る時は、明から渡された
勘合という証票を持って行くことが義務になった
=そのため、日明貿易は勘合貿易とも言われている
・日明貿易は、4代将軍の足利義持が朝貢貿易のスタイルに反対して、一旦中断したが、
6代将軍の足利義教の時に再開した
※朝貢貿易の時は、日本の滞在費や運搬費などを全て明が負担してくれていた
=そのため、日本の貿易による利益はとても大きかった
→特に、明から大量に入ってきた銅銭(明銭)は、
日本の貨幣の流通に大きな影響を与えたと言われている
※日本は、武器、工芸品、鉱山物などを輸出した
日本は、銅銭、生糸、陶磁器、書籍、絵画などを輸入した
→明から入ってきたモノは、唐物と呼ばれ、重視されていた
・日本の貿易の時の状況について
・15世紀の後半に、幕府が衰退していった
→それと同時に貿易の権限は、堺の商人と手を組んだ細川氏、
博多の商人と手を組んだ大内氏などが持つようになった
・細川氏と大内氏は、貿易の権限のために戦うようになった
→特に1523年には、寧波というところで大きな対立が起きた
=この戦いのことを、寧波の乱と言う
・寧波の乱では、大内氏が勝ったため、貿易の権力を大内氏が独占した
※しかし、16世紀に大内氏が倒れると同時に、勘合貿易も止まってしまった
・勘合貿易が止まった時に、倭寇の活動がまた活発になった
※海賊の行動は、豊臣秀吉という人が海賊取締令という法律を出すまで
続いたと言われている
※南北朝の内乱の時の倭寇を前期倭寇と言い、
勘合貿易が止まった時に出てきた倭寇を後期倭寇と言う
・当時の朝鮮半島の状況について
・朝鮮半島では、1392年に、武将の李成桂という人が倭寇を倒したので有名になった
→李成桂は、高麗を倒して朝鮮を作った
・朝鮮は国交と倭寇の禁止を日本に求めた
→この要求に対しては、足利義満が応じたので、日本と朝鮮との間に国交が開かれ、
貿易も行われた
=この時の、日本と朝鮮との貿易を日朝貿易と言う
・日朝貿易は、明との貿易とは違い、最初から守護、国人、商人など様々な人が
参加して、活発に行われた
※朝鮮側は、対馬の宗氏という豪族を通して、国交についての制度を決めて、
貿易の制限をした
※日朝貿易は応永の外寇という出来事によって、一回ストップしてしまったが、
16世紀まで活発に行われた
応永の外寇・・宗氏のトップが変わって、倭寇の活動が活発になったため、
1419年に朝鮮軍が対馬を倭寇の本拠地だと考えて、
対馬を攻撃した出来事のこと
・朝鮮は、日朝貿易のために、富山浦(釜山)、乃而浦(斉浦)、塩浦(蔚山)の
3つの港(三浦)を開いて、三浦と朝鮮の首都の漢城(漢陽)に、
倭館という日本の使いの接待と貿易のための施設を設置した
・朝鮮からは、特に木綿が大量に輸入された
→木綿は、日本の衣服に関して大きな影響を与えたと言われている
※・日本は、鉱山物、工芸品、蘇木、香木などを輸出した
・日本は、大蔵経なども輸入した
・日朝貿易は、1510年に三浦の乱が起きてから、少しずつ減っていってしまった
※三浦の乱・・三浦に住んでいた日本人には特権があったが、
その特権がだんだん少なくなっていったことに対して
怒った日本人が暴動を起こした事件のこと
ポイント
・東アジアの動きを押さえる
・中国の動きを押さえる
・日本と明との関係を押さえる
・日本の貿易の状況を押さえる
・朝鮮半島の動きと日本との関係を押さえる
このあたりが今回のポイントです