室町時代の文化について⑤ -室町時代の新しい仏教-

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投稿者:       投稿日時:2013/10/24 02:33      
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室町時代の文化について、新仏教を考えてみます

 

 

・新しい仏教について

 

 ・天台宗や真言宗などの昔の仏教は、朝廷や幕府が弱まったことが原因で

  段々と勢力が弱くなっていった

 ・一方で、鎌倉時代の仏教が都市や農村に広がっていった

 

 ・禅宗の五山派は、幕府が衰退ことが原因で、段々と勢力が弱くなっていった

 ・一方で、禅宗諸派(林下)が地方での普及を意識していたため、

  地方の武士や庶民に受け入れられた

   ※林下の布教の中心になった寺や人には、以下のようなものや人がいる

    ・曹洞宗の系統・・永平寺、総持寺など

    ・臨済宗の系統・・大徳寺、妙心寺

    ・中心になって広めた人・・大徳寺の僧の一休宗純という人

 

 

 ・日蓮宗(法華宗)が広がる流れについて

 

  →・日蓮宗は、東国からスタートして京都に広げていった       

    

   ・日蓮宗を広めていく時に、6代将軍足利義教の時に出てきた日親という人の

    布教の方法が戦闘的だった

    ※日親という人が戦闘的だったので、他の宗派と激しい論争になり、

     日親は何度が攻撃されている

 

   ・京都でお金を貯めた商工業者の中には、日蓮宗の信者が多かった

    →そのため、京都でお金を貯めた商工業者たちは、1532年に法華一揆を結成して

     一向一揆と戦うことで、自分達の住んでいる地域の政治を自主的に行った

 

   ・法華一揆は1536年に延暦寺の宗徒とぶつかることになり、

    延暦寺側から寺の焼打ちを受けてしまった

    →そのため、法華一揆は一度都から離れた

     =この時の法華一揆と延暦寺側との戦いを天文法華の乱という

 

 

 ・浄土真宗(一向宗)が広がるまでの流れ

 

  →・浄土真宗は、農民、各地を移動する商人や手工業者などに受け入れられていった

 

   ・応仁の乱のころに、本願寺の蓮如という人は、阿弥陀仏の救いを信じれば、

    誰でも極楽往生が出来ることを文章で説明した

    =この、蓮如が書いた文書のことを御文と言う

 

   ・講(同じ信仰や宗教の人達が集まっている集団のこと)を作って、

    惣村にも広めていった

 

   ・蓮如の布教活動によって、本願寺の勢力が地方にどんどん拡大していった

    →この動きによって、それぞれの地域が結束して強く大きくなっていくようになった

     =そのため、農村を支配しようとしていた大名と、門徒(浄土真宗の信者)の集団が

      ぶつかるようになり、様々な地域で一向一揆が起きるようになった

      ※その代表的な一向一揆が加賀の一向一揆だった

 

 

 

ポイント

・新しい仏教の普及と流れを押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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