室町時代の文化について⑤ -室町時代の新しい仏教-
室町時代の文化について、新仏教を考えてみます
・新しい仏教について
・天台宗や真言宗などの昔の仏教は、朝廷や幕府が弱まったことが原因で
段々と勢力が弱くなっていった
・一方で、鎌倉時代の仏教が都市や農村に広がっていった
・禅宗の五山派は、幕府が衰退ことが原因で、段々と勢力が弱くなっていった
・一方で、禅宗諸派(林下)が地方での普及を意識していたため、
地方の武士や庶民に受け入れられた
※林下の布教の中心になった寺や人には、以下のようなものや人がいる
・曹洞宗の系統・・永平寺、総持寺など
・臨済宗の系統・・大徳寺、妙心寺
・中心になって広めた人・・大徳寺の僧の一休宗純という人
・日蓮宗(法華宗)が広がる流れについて
→・日蓮宗は、東国からスタートして京都に広げていった
・日蓮宗を広めていく時に、6代将軍足利義教の時に出てきた日親という人の
布教の方法が戦闘的だった
※日親という人が戦闘的だったので、他の宗派と激しい論争になり、
日親は何度が攻撃されている
・京都でお金を貯めた商工業者の中には、日蓮宗の信者が多かった
→そのため、京都でお金を貯めた商工業者たちは、1532年に法華一揆を結成して
一向一揆と戦うことで、自分達の住んでいる地域の政治を自主的に行った
・法華一揆は1536年に延暦寺の宗徒とぶつかることになり、
延暦寺側から寺の焼打ちを受けてしまった
→そのため、法華一揆は一度都から離れた
=この時の法華一揆と延暦寺側との戦いを天文法華の乱という
・浄土真宗(一向宗)が広がるまでの流れ
→・浄土真宗は、農民、各地を移動する商人や手工業者などに受け入れられていった
・応仁の乱のころに、本願寺の蓮如という人は、阿弥陀仏の救いを信じれば、
誰でも極楽往生が出来ることを文章で説明した
=この、蓮如が書いた文書のことを御文と言う
・講(同じ信仰や宗教の人達が集まっている集団のこと)を作って、
惣村にも広めていった
・蓮如の布教活動によって、本願寺の勢力が地方にどんどん拡大していった
→この動きによって、それぞれの地域が結束して強く大きくなっていくようになった
=そのため、農村を支配しようとしていた大名と、門徒(浄土真宗の信者)の集団が
ぶつかるようになり、様々な地域で一向一揆が起きるようになった
※その代表的な一向一揆が加賀の一向一揆だった
ポイント
・新しい仏教の普及と流れを押さえる
このあたりが今回のポイントです