14世紀の東アジアの様子について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/14 05:05      
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14世紀の東アジアの様子について、中国と日本を中心に考えてみます

 

 

・14世紀の東アジアについて

 

 

 ・14世紀には、世界各地で自然災害や疫病が多発した

  ※この時、東アジアでも飢饉が続いた

   =結果的に元朝の支配力が衰えて、混乱の時代を迎えた

 

 

 

 

 

・14世紀の中国について

 

 

 ・中国では、白蓮教徒による紅巾の乱をきっかけに、群雄割拠が起きた

  ※白蓮教について

   ・白蓮教とは・・仏教的要素の強い民間の宗教結社のこと

   ・白蓮教は、宋の時代に始まり、元の終わりには、下生信仰と結びついて勢力を広げていった

    ※下生信仰・・弥勒仏が救世主としてこの世に現れるという信仰のこと

 

  →反乱の中で頭角をあらわした貧農出身の朱元璋という人は、以下のようなことを行った

   ・朱元璋は、儒学の素養を持つ知識人の協力を得ながら、長江下流域の穀倉地帯をおさえた

   ・朱元璋は1368年に南京で皇帝の位についた

    →この時の位は洪武帝で、廟号は太祖というのだった

     ※明代以降は、一皇帝一元号(一世一元)としたため、「洪武帝」のように

      元号で皇帝を呼ぶことが多い

     ※廟号は、死後に贈られる名前の一種

   ・朱元璋は明朝をたてた

 

 

  →明軍に追われた元の皇室はモンゴル高原にしりぞいた(北元)

  

  →明は、南京を都として中国を統一した

 

 

 

 

 

・14世紀の日本と朝鮮について

 

 

 ・日本では、鎌倉幕府が倒れて南北朝が対立するということが起きた

 

 ・政治の混乱で海上の秩序も乱れた

  →この時に倭寇の活動が活発になった

 

 ・元に従っていた高麗の中で、親元派(元に友好的な派閥)と反元派(元に敵対的な派閥)の

  対立があった

  →その後、倭寇を破って有名になってきた李成桂という人が高麗を倒した

   =その結果、李成桂が1392年に王位につき(太祖)、国号を朝鮮として、

    漢城(現在のソウル)に都を置いた

    ※この朝鮮を、李氏朝鮮という

 

 ・1392年に日本でも南北朝の合一が行なわれた

 

  =14世紀の終わりから、東アジアの様々な地域では新しい政治秩序が一応安定した

 

 

ポイント

・14世紀の東アジアの概要をおさえる

・14世紀の中国をおさえる

・14世紀の日本をおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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  • : 2018/9/21(金) 19:20:53 | クロムハーツ ジッポ スーパーコピー | 返信する

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