近世・近代の東アジアの様子について
近世・近代の東アジアの様子について考えてみます
・近世や近代の東アジアの様子について
※交易の活発化や、新式の火器のヨーロッパからの伝来は、東アジアの各地で
新興勢力の成長を促したと言われている
・日本では、織田信長や豊臣秀吉が南蛮貿易の利益を得つつ、
新式の火縄銃や大砲を使って日本の統一を進めていった
※豊臣秀吉は、さらに領土の拡大をめざして
朝鮮の侵略(朝鮮では壬辰・丁酉倭乱という)を行った
→しかし、日本の軍は、明の援軍や朝鮮の李舜臣が連れた水軍、民間の義兵などの
抵抗を受けた
=その結果、秀吉の死と同時に日本軍は撤退した
→秀吉の死後は、徳川家康という人が実権を握って江戸に幕府を開いて、
朱印船貿易を促した
※日本人は、東南アジアの各地に進出して日本町を作った
・日本と中国とのあいだの銀と生糸の貿易は、16世紀から17世紀にかけて
大きな利益を上げたものだった
→その時に、中国人、日本人、ポルトガル人、オランダ人などが貿易の利益をめぐって争った
=その中で、ポルトガル人が拠点としたマカオ、オランダ人が拠点とした台湾など、
新たな貿易中心地が成長した
※しかし江戸幕府は、幕府の統治の基礎を固めるために、
キリスト教禁止や貿易の統制を強化した
=その結果、1630年代に日本人の海外渡航やポルトガル人の来航を禁止した
(→これを鎖国という)
※マカオは、19世紀の終わりに正式にポルトガルの植民地になり、
1999年末に中国に返還された
・一方で中国の東北地方には、農牧や狩猟生活を営む女真(女直、後に満州と改称)が住んで、
明の支配を受けていた
※満州とは、女真人が信仰していた文殊菩薩に由来する民族名のこと
→この地方でも、薬用人参や毛皮の交易が盛んになり、その利益をめぐって
女真の様々な部族の争いが激しくなった
=その中で、16世紀の終わりにヌルハチという人が自立して女真の様々な部族を従えた
→そして、1616年に建国して国号をアイシン(満州語で金の意味)と定めた
※ヌルハチは、八旗の編制や満州文字の制作など、独自の国家建設を行うことで、
明に対抗した
・八旗・・満州族の血縁集団や地縁集団を再編成した軍事的・行政的組織のことで、
八つの軍団がそれぞれ色の違う旗を標識とした
※第2代の太宗のホンタイジという人は、内モンゴルのチャハルという人を従えた
→そして、支配下の満州人、漢人、モンゴル人におされて1636年に皇帝と称した
=その後、国号を清に改めた
・16世紀の後半から17世紀の前半には、北虜南倭に続いて朝鮮半島や東北地方にも
戦争が広がった
※中でも明は、軍事費の増加のために、財政難におちいった
※明の財政難について
・万暦帝という人の時代の初期に、張居正という人が行なった中央集権的な
財政の立て直しが、地方出身の官僚たちの反発を招いた
→その後、東林派と非東林派との争いによって、政治も混乱した
※東林派・・江蘇省無錫の東林書院の関係者が政府批判の中心になったので、
こう呼ばれるようになった
・明の内部では、重税と飢饉のために各地で反乱が起こった
→そして、1644年に明は李自成という人の反乱軍に、北京を占領されて滅亡した
ポイント
・近世や近代の東アジアの様子と各地の動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです