サファヴィー朝について
サファヴィー朝の動きについて考えてみます
・サファヴィー朝について
・ティムール朝が衰えるということが起きた
→その後、イランでは神秘主義教団の長であるイスマーイールが武装した遊牧民の信者を連れて
サファヴィー朝を開いた
・サファヴィー朝は、最初は統一したイラン国家ではなかった
→逆に、重要な地域を遊牧民のトップが支配する遊牧国家だった
※しかし、サファヴィー朝は建国後に国内統一のためにシーア派を国教とした
=そして、古代以来イランの王を意味するシャーの称号を用いて、
イラン人の民族意識を高めようとした
・サファヴィー朝は、アッバース1世という人の時に最盛期を迎えた
→アッバース1世はオスマン帝国と戦って領土の一部を取り返して、
ポルトガル人をホムルズ島から追放した
→さらに、新しい首都としてイスファハーンを作って、
美しいモスク、学院、庭園などを首都で飾った
※この時に「イスファーンは世界の半分」と言われるほどの繁栄をもたらした
と言われている
※アッバース1世の時代の時に、イランがはじめてヨーロッパ諸国と外交や通商関係を結んだ
=そして、サファヴィー朝はしだいに混乱して、崩壊に向かっていった
※ただし、この王朝のもとで建築、美術、工芸に代表されるイランの芸術は
最高の発達をとげたと言われている
ポイント
・サファヴィー朝の動きをおさえる
このあたりが今回のポイントです