サファヴィー朝について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/14 06:08      
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サファヴィー朝の動きについて考えてみます

 

 

・サファヴィー朝について

 

 

 ・ティムール朝が衰えるということが起きた

  →その後、イランでは神秘主義教団の長であるイスマーイールが武装した遊牧民の信者を連れて

   サファヴィー朝を開いた

 

 

 ・サファヴィー朝は、最初は統一したイラン国家ではなかった

  →逆に、重要な地域を遊牧民のトップが支配する遊牧国家だった

   ※しかし、サファヴィー朝は建国後に国内統一のためにシーア派を国教とした

    =そして、古代以来イランの王を意味するシャーの称号を用いて、

     イラン人の民族意識を高めようとした

 

 

 

 ・サファヴィー朝は、アッバース1世という人の時に最盛期を迎えた

  →アッバース1世はオスマン帝国と戦って領土の一部を取り返して、

   ポルトガル人をホムルズ島から追放した

 

  →さらに、新しい首都としてイスファハーンを作って、

   美しいモスク、学院、庭園などを首都で飾った

   ※この時に「イスファーンは世界の半分」と言われるほどの繁栄をもたらした

    と言われている

 

  ※アッバース1世の時代の時に、イランがはじめてヨーロッパ諸国と外交や通商関係を結んだ

 

 

 =そして、サファヴィー朝はしだいに混乱して、崩壊に向かっていった

  ※ただし、この王朝のもとで建築、美術、工芸に代表されるイランの芸術は

   最高の発達をとげたと言われている

 

 

ポイント

・サファヴィー朝の動きをおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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