オスマン帝国の成立と発展について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/14 06:16      
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オスマン帝国の成立と発展について考えてみます

 

 

・オスマン帝国の成立と発展について

 

 

 ・13世紀の終わりに、西方に進出したトルコ人は小アジア西北部に

  オスマン帝国を建設した

  →その後、小アジア側のビザンツ帝国領を奪うということを行った

   =そして、バルカン半島に進出し、1366年にアドリアノープル(現在のエディルネ)を

    首都にした

 

 

 

 ・その後、1396年にバヤジット1世という人が、ニコポリスの戦いで

  バルカン諸国とフランス・ドイツの連合軍を撃破するということが起きた

  →その後は、小アジアに進出したティムールと衝突し、負けてしまった

   ※しかし、メフメト2世の時に国力を回復し、1453年にコンスタンティノープルを倒した

    =そして、結果的にビザンツ帝国を滅ぼした

     ※この時にコンスタンティノープルが首都になり、以後はイスタンブルという呼び方が

      一般的になった

 

 

 

 ・その後、セリム1世という人は、新しく出てきたサファヴィー朝を倒した後に

  シリアへ進出した

  →そして、1517年にはマムルーク朝を倒してエジプトを組み合わせた

   =その結果、それまでマムルーク朝の管理下にあった両方の聖都(メッカとメディナ)の

    保護権を手に入れた

    ※以後、オスマン帝国のスルタンというところは、カリフ政治の後継者として

     スンナ派イスラーム教を守る中心の存在になった 

 

 

 

 ・オスマン帝国は、スレイマン1世という人のもとで最盛期を迎えた

  →スレイマン1世は、以下のようなことを行った

   ・サファヴィー朝から南イラクを奪った

   ・北アフリカに支配を広げた

   ・ハンガリーを征服した

   ・1529年にウィーンを包囲してヨーロッパ諸国に大きな脅威を与えた

   ・1538年にプレヴェザの海戦というので、スペイン・ヴェネツィアの連合艦隊を破って、

    地中海の制海権を手中におさめた

 

  →次に、セリム2世という人が出てきて、以下のようなことを行った

   ・スレイマン1世の時代の慣習にもとづいて、1569年にフランス商人に

    領内での居住と通商の自由をおおやけに認めた

    =これをカピチュレーションという

      ※カピチュレーションについて

       ・この特権は、のちにイギリスやオランダにも与えられた

       ・18世紀以降にオスマン帝国の衰退を迎えた時に、ヨーロッパの国々は

        これを中東侵略の有力な手段としても使った

   ・レパントの海戦で負けた

   ・オスマン艦隊が依然として東地中海を自由に航行した

    

  =そのため、17世紀の終わりまで、オスマン帝国とヨーロッパ諸国との力関係に

   大きな変化はなかった

 

 

 

 

 ・オスマン帝国のスルタンというところは、強大な権力を持つ専制君主だった

  ※スルタンは、イスラーム法にもとづく政治を行って、州、県、郡に分かれる

   整然とした行政機構を整えた

  ※一方で、帝国内に住むキリスト教徒やユダヤ教徒の共同体(ミッレト)には、

   法で定められた自治を認め、イスラーム教徒との共存が目指された

 

 

 

 ・スルタンの軍隊は、ティマールを保持する騎士の軍団とイェニチェリ軍団とからなっていた

  ※ティマールとは、スルタンから与えられた土地からの徴税権を意味している

   →ティマール制は、イクター制を継承した制度だと言われている

  ※イェニチェリ軍団は、バルカン半島の征服後に、キリスト教徒の子弟を強制的に集めて

   編制した歩兵軍団だった

   →そのため、スルタンの常備軍として、ヨーロッパやアジア各地の征服に活動した

 

 

ポイント

・オスマン帝国の流れと内部の様子、周辺との関係についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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