元の東アジア支配について
元の東アジア支配について考えてみます
・元の東アジア支配について
・フビライの動きについて
・モンゴル帝国で、相続争いの末に、第5代にフビライという人が即位した
※フビライは、以下のようなことを行った
→・自分の勢力の強かった東方に支配への気持ちを向けた
・大都(現在の北京)に都を定めた
・1271年に、国名を中国風に元とした
・南宋を滅ぼして中国全土を支配した
・モンゴル高原と中国を領有した
・チベットや高麗を属国にした
・南方に進出し、日本、ベトナム、ミャンマー、ジャワ、チャンパーに遠征軍を送った
※ただし、この遠征は強い抵抗にあって、多くの場合目的を達成できなかった
※遠征軍を送られた地域では、以下のようなことが起きていた
→・ミャンマー・・パガン朝を滅亡させた
・タイ・・モンゴル人の雲南の侵入に押されて南下したタイ人が
スコータイ朝とアユタヤ朝という王朝を作った
・ジャワ・・元軍が攻めてきたことをきっかけに、マジャパヒト王国というのが誕生した
※全体的には、インド洋地域との交易も活発に行われ、
東南アジアのイスラーム化が進んでいった
・元の社会の様子について
・元は、中国の統治の時に、中国の伝統的な官僚制を採用していた
→ただし、実質的な政策の決定は、中央政府の上層部を独占する
モンゴル人によって行われていた
※また、色目人と呼ばれる中央アジアや西アジアの出身の様々な民族が、
財務官僚として使われていた
→さらに、金の支配下にあった人々は漢人、南宋の支配下にあった人々は南人と呼ばれていた
※漢人は、華北の漢人の他に、契丹人や女真人などを指す
→そして、武人や実務官僚が重視され、科挙が行なわれた回数も少なかった
=結果的に、儒学の古典に通じた士大夫が官界で活躍することは少なかった
・元の地理的な様子について
・元の時代には、中国もモンゴル帝国の広い範囲での交易網の中に組み込まれていた
=そのため、長距離の商業が活発になっていった
・モンゴル帝国は初期から、交通路の安全の重視、交通路の整備や治安の維持、
駅伝制の施行などを行った
=その結果、おもにムスリム商人の隊商によって、東アジアからヨーロッパまでの
陸路貿易が盛んに行われた
※駅伝制・・大都を中心とする道路にそって駅を作って、
駅に周辺の住民から馬や食料などを提供させる制度のこと
駅伝は、モンゴル語でジャムチという
→この後、海上貿易が宋代に引き続いて発展していった
※この時に、杭州、泉州、広州などの港市が栄えていった
→さらに、江南と大都を結ぶ南北の交通として、以下のような挙げられる
・大運河が補修され、新運河が開かれるようになった
・長江下流から山東半島をまわって大都に着くという海運も発達した
・元の文化について
・元の貨幣としては、銅銭、金、銀が使われていた
→後になって、交鈔というものが政府から発行された
※交鈔は、多くの取引や輸送に便利だったため、元の基本的な通貨になった
※使われなくなった銅銭は、日本などに流出して、
日本の貨幣経済を発達させることになった
※元の政府は、支配下の地域の社会や文化については基本的に放任的な態度を取っていた
→そのため、大土地所有が宋代から引き続いて発展していった
→同時に、都市の庶民文化も発展していった
※中でも、戯曲は元曲として中国文学史上に重要な地位を占めていた
=代表的な作品に「西廂記」や「琵琶湖」などがある
ポイント
・フビライの動きをおさえる
・この当時の元の社会の様子についておさえる
・元の地理的な要素をおさえる
・元の文化についておさえる
このあたりが今回のポイントです